持ちかけられた取引
プラント臨時最高評議会議長に就任したアイリーン・カナーバは、目の前に立つフェイスの徽章をつけた少女を見ていた。
少女の名はチャスカ・ザラ。
第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦のさなかに捕らえられた前最高評議会議長パトリック・ザラの娘であり、ザフトの軍人。MSパックスのパイロットで赤服。特務隊フェイス所属。“英雄”アスラン・ザラの妹にして『血のバレンタイン』の被害者の娘。
その年齢にしてはたくさんのものを背負っている少女は、その背負っているものに相応しい表情で、アイリーンの前に立っていた。
「いたずらに時間を過ごすのは好みませんし、議長もそのようなお暇はないでしょう。ですからはっきり言わせていただきます」
取引をしませんか?
そう言ったチャスカは、狡猾にアイリーンの弱点になる部分をついてきた。
◇◆◇
「これは私が今までに調べた“クライン派”の犯罪です」
その言葉の通り、回りくどい言葉は一切口にせずにチャスカは戦中にクライン派の行ってきた“犯罪”の証拠を“クライン派議員”であるアイリーンに示してくる。
「これは……」
フリーダム、エターナル……他の奪取、横領。それだけでなく、他にもある犯罪。
自身は知らなかったそれに、アイリーンは目を見張ってそれを手にとるしか出来なかった。
「もちろん、議長がこれをご存じなかったことは調べが付いています。さすがに、ここまでの面の皮の厚さはお持ちでないでしょう? 何よりリラ・カナーバを見ていれば、このようなこと受け入れられないことは存じています」
「あ、ああ……」
目の前の少女と自分の娘は幼馴染である。親の派閥は違えど親しい彼女たちは、お互いの性格を良く知っているのだろう――――そして、会えば挨拶はもとより少しであっても会話をする相手ならば、チャスカにアイリーンの思想が知れていても不思議ではない。
「しかしだからと言って、責任がないとは言えないと思います。――――シーゲル・クライン氏の側近であったのならなおさら」
そうだ、とアイリーンは内心で肯定した。
側近だったのだ、シーゲル・クラインの。
穏健派なのだ。――――いや、穏健派“だった”のだ。
チャスカが「ご存じなかった」と言ったとはいえ、その中にラクス・クラインの電波ジャックや、その他小さなこと――フリーダムやエターナルの強奪、横領に比べ――は含まれていない。
アイリーンは知っていたのだ。
プラント市民に対する裏切り行為には当たらないものに関しては、知っていた。関わっていなかっただけで。予測していただけで。
けれどチャスカが取引に使ってきたこれらは何だろう。
あまりにもひどい。ひどすぎた。
これが本当に穏健派のすることか? そんな感情をアイリーンに抱かせるには十分なものだった。
特に“フリーダム”の奪取。しかも地球軍の人間に与えている事実。結果的には地球軍の戦力にはなっていないが、それでもプラント……ザフトとは敵対している。
コーディネーターを守ることを使命としたザフトに。
アイリーンは“フリーダム”が完成したときの状況を思い出していた。
あれは、そう、目の前の少女の実の兄であるアスランが行方不明になった時だ。
その前に娘の幼馴染であるニコル・アマルフィが地球軍の“ストライク”に討たれ、怪我を負った。生命に別状はなく、第二次ヤキン・ドゥーエで復帰したけれど、それでも重症を負っていた。そしてその敵をとるようにアスランが機体ごと“ストライク”に組み付き、自爆、そして行方不明となった。
その一報が入ってきた時のパトリック、ユーリ・アマルフィ、エザリア・ジュール等、彼らの親や彼らの幼馴染の親のショックは計り知れない。自分だってそうだったのだから、アスランやニコルの幼馴染たちはもっと傷ついただろう。
それを目の当たりにしたのはたまたま大きな戦績を上げ、フェイス任命のためにプラント本国に戻ってきていたチャスカ。目の前にいる少女の姿だった。
周囲の目など気にもせずに父親にすがりつき、泣きながら自分が探しに行くと叫んでいた。
結局、アスラン発見の報が入り、チャスカが地球に下りることはなかった。
しかし、確かにニコルの撃墜とアスランの行方不明が影響し、穏健派だったユーリは急進派へと転向、それまでパトリックの要求にも決して首を縦に振らなかった彼が、Nジャマーキャンセラーを“ジャスティス”および“フリーダム”に取り付けた。
けれどその時の彼の葛藤を知っている。
アイリーンも、娘がニコルのように、アスランのようになっていたら急進派へと傾いたかもしれない。
ただ、リラは無事だったからクライン派のままだった。
それだけの違いだった――――
けれど、と思う。
決して彼らの気持ちがわからなかったわけではない。
彼らがああなってしまったことも、当然だと、それだけ戦争がひどかったのだ。
けれど……他のクライン派――彼らからその座を奪ったものたちはそれを理解してはいない。
パトリックやエザリアたちに何もかもをかぶせ、最悪の罰を与えようとしている彼らのほうこそ罰を受けるべきなのだと、チャスカに渡されたデータは示している。
「これを元に、私は臨時最高評議会議長のあなたに取引を持ちかけます」
これを使って家族を、幼馴染の親たちを助けろ、チャスカは言外にそう言っていた。
「不可能ではないはずです。これを示せば彼らは黙らざるをえない。――――それだけ、権力欲がありますから」
「…………」
どこから“それ”を調べだしたのか。一瞬考えようとしたが情報源はいくらでもあることを思い出して、考えるのをやめた。
「――――わかった」
結局のところ、今のアイリーンは取引に応じる以外に道はなかった。
◇◆◇
それから数刻、どの情報を誰の罰と引き換えにするかでアイリーンとチャスカは話し合った。
最終的に残ったのは二名に対する判断のみ。
パトリック・ザラとアスラン・ザラ
けれどチャスカはここでアイリーンの考えてもいなかった組み合わせで彼らの銃殺刑を減刑することを望んだ。
「まず、兄に関してはこれを――――」
そういって差し出されたものは、アスランがラクス・クラインに協力していたと言う事実。
そしてジェネシスを爆破させたと言う功績。
「しかし……」
離反してしまった事実は動かしようがない。それはディアッカ・エルスマンにも言えることだが、それは既に解決済みだ。イザーク・ジュールとタッド・エルスマンの努力によって。しかしアスランはその立場がディアッカよりも複雑で、誰にもどうすることも出来なかった。
アスランはパトリックの息子だ。チャスカも娘ではあるが、離反はしていない。それがこの場合大きな違いを生んでしまったのだ。
それでもアスランは父と袂を別っている。そしてラクス・クラインに味方した。
そのことは十分に理解しているはずだ。そして銃殺刑などに出来ないことを。だが、何もなかったことにするにはしてしまったことが大きい。
しかしチャスカは表情を変えずに口にする。
「そして、父の銃殺刑をなくす代わりに兄にはプラント追放の刑を」
「なっ…………」
あんまりな取引内容に、アイリーンは絶句した。兄想いの妹が口にするとは思えないそれに、ただただ驚くだけだ。
けれどそんな反応も予想のうちか、チャスカはさらに続ける。
「クライン派にとって、兄は邪魔でしょう。その力で権力を得たとはいえ、兄自身はクライン派ではない。今後どうなるかは一切わからないし、何より兄はザラ家の跡取りですから……ザラ派を助長させてしまう可能性がある」
「ああ……しかし、銃殺刑には出来ない」
「そう。けれど、邪魔だ。それならどうすればいいか……兄がラクス・クラインに協力したこととジェネシスを爆破した功績に兄のしたことに目をつぶっていただきます。そして、その兄を追い出すことで父の銃殺刑を自宅軟禁に変えていただきます。自宅軟禁の父には監視でも何でもつければいい。けれど生命だけは奪わないでいただきます。それで十分でしょう? 母も――――ようやく目を覚ましたのですから。
母をあんな目に合わせたナチュラルを憎んでいた父です、母が目を覚ました今ではその母にストッパーになっていただけるはずです。――――これで、父が再びあのようなことをする可能性はなくなります。そして兄を追い出せば、クライン派には恐れるものはない」
違いますか?
チャスカの言ったように単純には進まないだろう。
けれど、それが今は一番言い判断だと言うこともまた、わかっていた。
アイリーンはパトリックを死刑にしなければいけないとは思っていない。
彼が何故あれほどナチュラルを殲滅することを望んでいたのか、その理由はわかっている。
そして止められなかった自分たちもいけないのだと思っている。
子供たちはとても仲がいいのに、その親である自分たちが思想を異にしていたために泥沼化した今までがあるとも――――
そう考えて、アイリーンはチャスカの提案を受け入れた。
今のところそれしか、捕らえられた元最高評議会議員の生命を救うことは出来なかったから。
「一つだけ、聞いてもいいか?」
「――――はい」
議長室から出て行こうとするチャスカの背に向かって、アイリーンは声をかけた。
「何故、アスランをプラントから追放するのと引き換えに、パトリックの減刑を望んだのだ? 他のクライン派のしたことを表に出さないことを引き換えに、減刑は可能だったのではないか?」
「――――兄がプラントを追放されたから自分は生きているのだと父が知れば、二度と“あんなこと”は考えないでしょうし、悲観して自殺をすることもないと思いました」
「…………」
「父と兄は対立してしまいましたが、それでも父は兄が大切ですし、兄も父が好きです。お互いの状況に、お互いが関わっていることを理解すれば、兄の苦しみを無視して父が自殺することもない。父と敵対してしまったことを悔いていた兄は、父の生命が助かっているのなら、苦しみも軽くなる――――そう、思ったから……」
「しかし、それでも“追放”は――――」
重過ぎないか?
そう思ったアイリーンに、チャスカは肩をすくめる。
「それは単純に私の好悪の問題です」
「それは?」
「――――――議長の前で口にするのはどうかと思いますが、言ってしまえば“嫌”なんです。兄が、“クライン派”に使われることが」
「…………」
「議長がカナーバ様のままであれば、かまいませんが。でも、“絶対”はないでしょう?」
「ああ」
「私、“権力欲にまみれた”人間は嫌いですから」
それに多少余計にこちらが罰を背負うのも悪くはない――――後で返してもらいますから。
そうきっぱりと口にすると、一礼をしてからアイリーンの言葉を待たずに部屋を出て行った。
「確かに――――」
私も権力欲にまみれた人間は嫌いだ。
チャスカの渡したクライン派の罪の証を手にしながら、アイリーンは呟いた。
これからこれらの証拠を突きつけ、元最高評議会議員の刑を減刑する苦労があるけれど、それでもそれをすすんでやろうと思えるくらいには、嫌悪するものが“クライン派”には多かった。
それにしてもよく知っている、と、チャスカの手際にアイリーンは微かに笑った。
さすがパトリック・ザラの娘、と。
– END –