21. Innocent
くすくすと笑いながら、少女は歌っていた。
それを目にしたキラやカガリ、AAクルーやエターナルクルーは眉を寄せ、気味悪そうに少女を見ている。
それは少女の表情のためか、それとも歌声――――とても低く、歌っている歌に明らかに合わない声を耳にしているためか。
その理由は隅で見ているアスランにはわからなかったが、ラクスの顔がこわばり、青ざめている理由はわかった。
ああ、覚えていたのか。
そう思ったと同時にいいや、と否定する。
知っていたのか、もしくはラクス自身が首謀者か。
後者はおそらくないだろうが、ラクスを見ればあのことを不快に思っていたことは容易に想像が出来た。
そしてそんな彼女を――何より周囲の者たち自身の欲望のために彼らがとった行動もまた、想像するのはたやすい。
そこまで思い至って、アスランは気付かれないように眉を寄せた。
当然キラたちとはその理由は異なるが。
そう、違うんだ。
俺とキラたちでは少女に対する感情は異なる。
そしてラクスと俺の感情もまた、相反するものだ。
さらに……イザークやディアッカは俺と同じ……ニコルも、ラスティも。
けれどそのことをラクスは知らない。
だから一人だけ、俺にすがるような視線を向けてくる。
けれどその視線に対する俺の反応を見て、ラクスは更に顔を青くした。
ふらりと倒れそうになるラクス。
それをあわてて支えたキラは「ラクス!!」と叫び、そうして少女に視線を向ける。
それは怒りに満ちたものだった。
「やめろ!」
そう叫ぶけれど、少女には伝わらない。
それはそうだ。“何を”やめろと言うのか。
彼女はただ歌っているだけだ。
歌いたいから歌っているだけだ。
そしてここはキラが彼女の歌を止められるような場所じゃない。
ここはコンサートホール。
何故かAAやエターナルの一部クルーが集められ、この場に来たときには少女は既に歌っていた。
別に彼女が勝手に入り込んだのではない。
彼女が歌っているところに集められただけ。
だからイレギュラーな存在なのはキラたちであって彼女ではない。
そんなことキラたちは知らないからこその言葉なのだろうが、彼女にとってはそれこそ関係ないことだ。
ここは少女の舞台。
誰にも邪魔されることのない、彼女だけの舞台だ。
それをラクスは知っているはずだ。
このホールの名前を知っている、自身が何度か利用したことのあるホールの名を、知らないはずがない。
そしてその意味を――――唯一彼女だけが邪魔されないその意味を。
「ここは、ラズワルド・ホールと言うんだ」
少女の歌の邪魔にならないように静かに、それでいてキラたちに聞こえるように口にした言葉にラクスは肩を震わせる。
そんなラクスの名をもう一度呼び、それでも俺に視線を移したキラは何を言っているんだと不審な目を向ける。
「知らないか? ……まあ、難しいとは思うが。ラズワルドは“アジュール”という単語の語源だ」
「だから、何? そんなの今は関係ないでしょう?」
プラントに住んだことのないキラやカガリ、AAクルーは仕方がないと思う。けれどエターナルクルーは違う。知っているはずだ。このホールの名を、意味を。とても有名な意味なのだから。
そしてそこにラクスは関わっていないことを。
「そして今歌っている彼女の名は――――アジュール」
「え…………」
俺の言葉に、キラたちは目を見張る。
そして少女――アジュールを見た。
ようやく“アジュール”を認識した。
そうすればわかるはずだ。
アジュールは彼女そのものなのだから。
「…………ホールの、名前」
そして彼女の名。
さらに彼女の色。
それが示すものはただひとつ。
彼女の名を冠するこのホールは、彼女のために作られたのだと言うこと。
◇◆◇
「アジュールのもともとの声はこんなに低くはなかった」
思い出す、あの頃の彼女の声を。
「もともと、歌姫と言われていたのはアジュールだった」
その言葉にキラ、カガリ、AAクルーは驚いた表情をし、エターナルクルーは何を言い出すんだ、と言う表情をした。ラクスの信望者である彼らには認められないのだろう。ラクス以外が“歌姫”と言われることに。
「異論を挟もうと挟むまいと、事実だ」
十年以上前のプラントでは常識だった。
「けれど、それも彼女があの声を失うまでのことだ」
ある日、アジュールは“歌姫”とまで言われた声を失った。
原因ははっきりしない。
けれど、あの時の状況から――――陰謀以外の何を考えられただろう。
社交界のパーティーの席で、アジュールが飲み物を口にした途端に首を――のどを掻き毟りながら苦しみ始めた。
すぐに病院へ運ばれたが原因がわからず、一週間苦しみぬいたあとに声を失っていた。
その代わりに得たのは少女にとっては……いや、女性にしては低い声。
それ以外に変わったところはなかった。
ただ、声だけが変わり、どうやっても治らなかった。元の声を出すことは出来なくなった。
もう二度と人前で――プラント市民の前で歌うことは出来ないからと短すぎる歌手活動の引退を表明してすぐに、今度はラクスがデビューした。
市民はアジュールと言う歌姫を失った悲しみからラクスにその代わりを求め――――そしてラクスこそが“歌姫”だとまで言い出した。
それを知ってどんな感情を俺たちが抱いたかなんて知らないだろう。
あの頃、俺やイザーク、ディアッカ、ニコル、ラスティが多忙な親に対して寂しい思いを抱かずに済んだのは、彼女によるところが大きい。
何時も優しく包み込み、歌ってくれた年上の少女。
それがアジュール。
もう歌えないと悲しみ、楽しみにしてくれていたのにごめんねと謝った彼女。
そんな大切な彼女の声を奪った人間に憎しみを抱いたとしても不思議ではないだろう?
そう口にした俺にラクスは恐怖に染められた目を向ける。
……ようやく理解したようだ。俺たちがラクスに向けるその感情を。
「わ、わたくしは……っ」
「ラクス・クライン。貴女がたとえ手を下したのではなくとも、関わっていることはこちらも調べが付いているんです。……憎かったんでしょう? 自分のほうが歌はうまいと思ったでしょう? だからそれを口にしたんでしょう? 『どうしてラクスはみなさんのまえにでれないのですか?』と――――」
そう口にすれば、娘を溺愛する父親が、市民には綺麗な手をしていると思わせている裏で、その手を黒く、赤く染め続けている男が何もしないわけがない。
それを当時認識はしていなくても、自分がねだれば何でも望みをかなえてくれていた父親だ。その願いもかなえてくれるとわかっていたはずだ。
そして時がたち、父親が何をしていたかを知ったラクスが、自分が“歌姫”となれた理由を知らずに済んだわけがない。
“ラクス・クラインは知った”
そう連絡をくれたのはイザークだ。
そして俺たち以外にもそのことに気付いた人間がいることを教えてくれたのはディアッカ。
だから彼らの協力を得てこの舞台を用意した。
最後にアジュールに連絡を取ったのは俺。
最初は拒否されたが、ニコルとラスティの死の原因、それからそれまでのラクスたちの行ってきたことを話すと、市民のためになるのならと協力を取り付けることが出来た。
そうやって立った舞台。
初めは戸惑っていたアジュールも、歌い始めれば気にならなくなったかのようにうれしそうに歌い続けている。
あの頃のまま、ただ、楽しんでいた。
そんな彼女の歌声を贅沢にもBGMにして、俺はラクスに、キラに、カガリに……そのほかのクルーに言う。
「彼女は協力してくれた。市民を、国民を捨てたあなたたちの目を覚まさせるためなら、と」
「アスラン?」
意味はわからないだろう。
そんなことは百も承知。
本来なら彼らをここに集める必要も、アジュールに協力してもらう必要もなかった。
それをしたのは俺の、俺たちのエゴでしかない。
けれど、どうしても思い知らせたかった。
大きな勘違いを、正したかった。
そう思うと同時にホール内に数多くの軍人がなだれ込んできた。
先頭に立つのはイザークとディアッカ。
その表情に、殺気に、クルーたちは身構えるが多勢に無勢。すぐにイザークたちに武器の類は撃ち落とされていた。
「アス……ラン…………」
呆然とした声。
何が起こっているのか理解していない声。
それでも俺が視線を移すと、どうして、と聞いてくる。
「どうして!? なんで、こんなこと……」
「そうだ、何でお前が!!」
「理解しようとしなかったじゃないか。理解するつもりもないんだろう?」
「なに、を」
「俺が今まで散々言ってきたじゃないか。お前たちの行動がどんな被害を与えているか、言ってきたじゃないか。それを理解し、改めなかったのはお前たちだ。だから、強制的にやめさせるために協力を依頼した」
プラントに。
「これはプラント最高評議会の許可を得ている。むしろお前たちを捕らえるようにと命を受けた。平和のために。もうこれ以上の犠牲を強いないために」
「なっ……」
「そんな、犠牲だなんて!!」
なんてことを言うんだ、と叫んだキラの言葉のすぐ後に、アジュールの歌う歌が変わった。
それに気付いた俺やイザーク、ディアッカ。
少し遅れてキラたちを捕らえるために動くザフト兵に。
更に遅れて一番聞かせたいキラ、カガリ、ラクス……そしてAAとエターナルのクルーに。
アジュールが歌うのは悲しい歌。
大切な人を戦争で失った市民の声。
奪ったのは先の大戦で“英雄”とされたフリーダム、AA、エターナル。そして、ラクス。
アジュールは俺が伝えた全てを歌に乗せ、市民の悲しみを乗せて歌う。
それにキラたちは何を感じるだろう。
呆然と見ている彼らからは、何も読み取ることが出来ない。
もしかしたら、ようやく気付くかもしれない。けれどもしものことを考えると、このままアジュールの歌を聞かせ続けることも出来ない。
それはイザークも同意見なのか、部下たちに指示して全員を拘束させた。
素直に従うイザークの部下。
それは先にラクスたちのしたことを知らされていたためなのかはわからない。
わからないが、彼らの動きはアジュールをこれ以上の危険にさらしたくない俺たちにはありがたかった。
ふと、イザークの視線を感じて視線を移す。
その瞳は「言わなくていいのか?」と聞いてきていた。
長い時間、散々喋らせてくれたのに、まだ言わせてくれるらしい。
それにありがたく感じながら、拘束されたことでようやく状況を認識し、抵抗を示しだしたキラたちに向かって口を開く。
「俺にとっての歌姫は、今も昔もアジュールただ一人だ」
言いきった俺に、絶望の瞳を向け――――そのままラクスたちは今後彼らのいるべき場所へと連れて行かれた。
– END –
ラズワルド(lazhward):天、空、青などの意味のペルシャ語。
アジュール(azur):青系統の色全般を表すフランス語。英語ではアジュア(azure)。
by Wikipedia
で、これじゃミーアの立場が……(汗)。
お題配布元:追憶の苑