風散
ばさばさと強い風が舞う。
その風が収まった後、ふと顔を上げれば前を歩いていた少女の背後に見知った姿を見た。
「天一?」
後ろから聞こえた意外な人の名を呼ぶ声に、急に吹いた風をやり過ごした彰子と、彼女を支えようとした天一は後ろを振り返った。
「…………浩子様」
「天一?」
呆然と、彰子の知らない名前を呟いた天一を、彰子は不思議そうに見上げる。
けれど天一はそんな彼女に気付かないようで、ただまっすぐに目の前の少女……彰子より少しだけ年下だろう子を見つめていた。
と、少女は軽い足音を立てて駆け寄ってくる。
そして天一の前……ではなく、彰子の目の前に来ると少女は頭を下げた。
「こんにちは」
「あ……こんにちは」
にっこりと笑みを浮かべる浩子と呼ばれた少女につられて彰子は軽く頭を下げた。そして顔を上げるとまっすぐ彰子の顔を見ている浩子の邪気のない笑顔。
彰子は自身の立場を忘れてそれに見とれてしまった。
しかし一足先に気付いた天一は彰子の前に立った。そこでようやく気付いた彰子は慌てて被いた衣を目深にかぶりなおす。
そんな二人の様子に浩子は笑みを浮かべながら言った。
「私に対しては隠れなくても大丈夫ですよ――――――藤花さま?」
そう――――成親や昌親が彰子を呼ぶときと同じように彰子を呼んだ。
「え……」
「浩子様、なぜその呼び名を……」
「さあ……どうしてでしょう」
あいまいな言い方をしながら、決して笑みを消すことはない。
その笑顔を見ていると、彰子は不思議とその言葉の通り大丈夫だと思ってしまっていた。
しかし自分の立場を考えればそう簡単に納得していいものではない。
それに――――目の前の少女が何者なのかも彰子には分からないのだ。
けれど天一は彼女を知っているようだ。そして目の前の少女も天一が見えている。
「……天一」
だから彰子は天一に尋ねる。
「この子は……?」
「あ、はい。……この方は昌浩様の従妹様です」
「昌浩の従妹?」
「はい」
小さな声の会話。それでも近くにいる浩子には聞こえているはずだ。けれど何も言わずににこにこと笑みを浮かべながら二人を見ていた。
そしてようやく納得した様子の彰子に向かって、浩子は更に言う。
「貴女さまのことは誰にも言いません。貴女をご存知の方以外には、決して。ですから心配されなくても結構ですよ」
その年齢にしては大人びた口調だ。
それでも心配なことには変わりがない。それを口にしようとした彰子に、浩子は続ける。
「もしこの約束を破れば……御祖父さまに叱られてしまいます」
叱られるだけならまだいいのでしょうけれどね。
その言葉に、彼女の言う『御祖父さま』が清明だと彰子は理解した。
このことは天一が清明に報告することだろう。出来ることならこういう繋がりは絶つべきだが、こうなってしまっては彰子にはどうすることも出来ない。ここは清明の判断を仰ぐのが一番だろう。
そう考えた彰子は無意識に入っていた方の力を抜いた。
そんな彰子に浩子は話題を変えるように言う。
「どこへ行かれるのですか?」
「……市へお買い物に」
「…………私もご一緒しても良いですか?」
「え……えっと――――」
急な申し出に、彰子は途惑ったように天一を見る。
それに天一は苦笑を浮かべると、彰子に向かって頷く。
「それじゃあ――――――」
「そ、それで一緒に市に行って、うちまで帰ってきた、と?」
「ええ」
笑みを浮かべながら目の前に座る彰子と浩子。
昌浩は帰ってきてから目にしたこの光景に、頭を抱えていた。
家族以外に彰子のことを知られてはいけなかったはずだ。
そのために、それはもう多大な努力を重ねてきたはずだった。
――――――それなのに……。
「じいさまは何か言ってた?」
これは浩子に尋ねる。
「何も」
けれど返ってきた答えはあっさりとしたものだ。
「…………」
あまりにあっさりしすぎて昌浩がそれ以上反応出来ないほどだった。
そんな昌浩を物の怪がぽんぽんと叩く。
それでようやく動き出した昌浩は、しばらく考えた後――――――いつの間にか仲良くなっていた彰子と浩子を見ながらぽつりと呟いた。
「まあ、いいのかなあ……」
「大丈夫です。約束は守りますから」
ここでもにっこりと笑みを浮かべる浩子。
その横で楽しそうに――――嬉しそうにしている彰子を目にすれば、昌浩はそれ以上何もいえなかった。
– END –
お題配布元:鷹見印御題配布所