戻橋
「あっ」
浩子が安倍邸へ向かう途中、ふと見た一条戻り橋の下に影を見た。
きょろきょろと浩子は辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、自分の格好も気に留めずにずるずると降りていく。
「車之輔~」
その場にしゃがみこみ、ぱたぱたと手を振ると、浩子の気配を感じて目を覚ましていた車之輔はばさばさと返事をする。
反応してくれたことに浩子は嬉しくなって、にっこりと笑みを浮かべた。
初めてその姿を見たのは偶然だった。
安倍家に遊びに来たとき、たまたま戻り橋の下から顔をのぞかせた車之輔と目が合ったのだ。
すぐに車之輔は戻り橋の下に隠れてしまいその時はそれだけだったのだが、あとで昌浩に聞いたところ、昌浩の式だという。
その後、用事がないときは相手をしてもいいという許可を得たために、こうして車之輔と少し話をしてから、安倍家に行っていた。
「え? 昌浩兄様? ……うーん。もうすぐ帰ってくるとは思うんだけどね」
どうかなあ?
今は都にいない従兄を思いながら、浩子は言う。
「御祖父さまは何も教えてくれないから……」
少し寂しそうな表情をする浩子に、車之輔は困ったような表情をする。
「ああ、大丈夫よ。ちゃんと分かっているから。……それくらい、大切なことなんだもん」
昌浩が安倍清明の後継だと言うのは理解している。そして、昌浩以外にいないと言うことも。
だからこそ背負うものも多く、また重要なことでおいそれと他の者に漏らすことは出来ない。
安倍清明の後継と言うのは、そういうことだ。
昌浩の兄達が納得し、何も言わないのだから浩子が言えるわけがない。
「大丈夫。昌浩兄様は御祖父さまの後継だもの。ちゃんと無事に戻ってくるわ」
車之輔が待ってるんだもん。
そうはっきり口にした浩子に、車之輔はばさばさと同意する。
「じゃあ、私行くね。あんまり遅くなると、心配されちゃうから」
車之輔の反応を見た浩子は、にっこり笑ってそんな風に言うと、何とか坂を上っていく。
あまりうまくいかないその様子に、車之輔は橋の下から出てくると浩子を下から押し上げる。
「ありがとう、車之輔!!」
ようやく上りきった浩子は、振り返って車之輔に礼を言うと、手を振ってから安倍邸に入っていった。
「あら、浩子さん。遅かったのね」
昌浩の母、露樹に会うと言われた。
それは特に責められているわけではなく、本当にそう思ったために口にしているのが分かっているため、浩子はにっこり笑って言った。
「昌浩兄様の式と少しお話をしてきたの」
「そう。……それならいいのだけれど、あまり遅くなると危ないから気をつけてね」
「はい」
それ以上は特に注意を受けることもなく、浩子はいつもの通り彰子と話をするために、彼女がいつもいる昌浩の部屋へと向かった。
– END –
お題配布元:鷹見印御題配布所