esquisse
「王子、今日はこれから何があるの?」
昼過ぎ。
用事があるからと王子に呼ばれた。
お昼ごはんの時はそんな話聞いていなくて、急な話で驚いてしまう。
まあ、幸いにも今日は予定が入っていなかったから構わないのだけれど……。不思議に思って聞いてみれば「一緒に会ってほしい者が来る」とのこと。
それだけしか言われないだけでも不思議なのに、ジェイとユラナも一緒にと言われてますます疑問が湧き出てくる。それはジェイもユラナも同じで……二人とも首をかしげていた。それでも王子と一緒にいられると言うことで嬉しそうにしている。
そんな状態でいつも王子が市民と謁見する部屋へ向かう。
途中でどういう人と会うのか聞いたんだけど、答えてはくれなかった。
………………
私が知っている人、と言うわけでもなさそうだし。大体、それならそう言うはずだよなと思う。
じゃあどうして言ってくれないんだろう?
そんな気持ちを持ったまま、謁見の間の椅子に座る。
ふと、何かが足りない気がした。なんだろうなあと考えてると、はたと気づく。
「王子、アルシェさんは?」
そう。いつも執務時間中は王子の側にいるアルシェさんがいない。こんなことはなかったのになと思っていると、王子は「すぐに来る」と言うだけ。
なーんか、今日は隠し事が多いなあ、王子。私が心配するようなことはないんだろうけれど、なんとなく面白くない。
ま、今ここで王子を問い詰めるわけにはいかないから口にはしないけど。終わったら覚えていてねと内心で思った。
と、その時ようやく扉が開いてアルシェさんが姿を見せた。そして――――
「王、お連れしました」
「ああ、ご苦労」
まさかお客さんを案内してきたのがアルシェさんだとは思わなくてびっくりした。
王子の片腕であるアルシェさんを迎えに行かせる必要のあるこれから会う人は、どんな人だろうと興味がわく。ちゃんと状況が飲み込めていないだろうジェイたちも入り口に興味津々で目を向けていた。
視線の先ではアルシェさんが、彼よりも背の低い……女の人(?)の手を引いていた。
はっきり分からなかったのはその人が頭から布をかぶっていたから。顔を隠しているわけではなかったけれど、俯いていて顔がはっきり見えない。でも、着ている服から考えると女性だよね。
その人はアルシェさんに導かれ、私達の前に来るとその場に跪き、そこでようやく頭にかぶっていた布を取った。するとそこからはアルシェさんほど長くはないけれど、漆黒のストレートな髪が流れ出てきた。
「お目にかかれて光栄です。レティシア・コレーアと申します」
聞こえてきたのは落ち着いた、優しげな声。きっと顔も優しげな人なんだろうなと思った通り、上げられた顔は私より年上の優しげな美人だった。目を閉じていたからその瞳は見ることが出来なかったけれど。
「え、レティシアさんってアルシェさんの幼馴染なの?」
「はい」
堅苦しい挨拶が終わって、場所を移動して用意されたお茶とお菓子には驚いてしまった。けれ王子もアルシェさんも最初からそのつもりだったようで、準備万端。王子と私、ジェイとユラナとナディル。それからアルシェさんにレティシアさんでお話をすることになった。
それは単純に堅苦しいことが嫌なのと、今知ったレティシアさんがアルシェさんの幼馴染で、彼女自身も幼い頃は王宮を出入りしていたと言う気安さかもしれない。
そして何年もの間、彼女は各国を旅していたと言う。それは以前の戦争があっていたときも旅を続けていたそうで……無事でよかったと思う。まあ、現地に直接いたわけじゃなかったからだと思うけれど。
「でも、目が見えないのにすごいね」
ユラナがレティシアさんを見上げながら言う。
そう、驚いたことにレティシアさんは目が見えない。だからこそアルシェさんに手を引かれていたわけだけど――――――でも、お茶会が始まってからはそん事実を忘れてしまいそうにだ。目が見えている私達と同じようにカップに口をつけるし、話している人のほうに顔を向けて聞いている。
「確かに初めての場所では少々途惑いますが、それもすぐに慣れますから。それに、人がどこにいるかは大体気配で分かりますし」
「ふーん……」
感心したような声を出すユラナ。それはもちろん私達も同じ。まあ、目が見えていないから他の感覚が鋭くなると聞いたこともあるし。レティシアさんもそうなんだろうな。
それからの会話の中心はレティシアさんが旅した国や地域の話になった。
もちろんその中には私達が行ったことのある場所も多く含まれている。けれど、私達が行くことのなかった地方の話も沢山あった。
その場所の風景なんかはレティシアさんには分からないのだけれど、そこに住む人たちの様子は分かるから、それを聞くことが出来た。以前行ったことのある場所に住む人たちが、最近はどんな風に過ごしているのか。活気があるのか、平和に、幸せに暮らしているのか。それが分かっただけでも嬉しかった。
ジェイやユラナは知らない土地、普段はまったく気にしない感覚での話に興味を持ったようで、たくさんの質問をレティシアさんにしていた。――――これくらい、普段の勉強も集中してくれるといいんだけどね。
たくさん、たくさん話をして、気付けば時間がかなり過ぎていた。
ああ、もうこんな時間なんだなと呟いた王子が子供達を促すと、不満げな声が二人からもれる。
「今日はここまでにしよう。もう時間だ」
「えーっ」
「もう少しお話ししていたい」
「レティシアは旅から戻ってきたばかりなんだ。まだ疲れが完全に取れたわけではないだろうし、やることもあるだろう。あまり長時間拘束しているわけにもいかない」
「「…………」」
「その代わり、また今度話を聞く機会を作ろう。――――――構わないか?」
最後はレティシアさんに向かって王子は言う。
その言葉にレティシアさんは笑みを浮かべて
「はい。私は構いません」
その言葉にぱっと笑顔を浮かべたジェイとユラナは「約束!!」と、レティシアさんに向かって言う。
「はい、お約束します」
それでようやく納得した二人は一足先に戻っていった。
「ごめんなさい。疲れているのに……」
「いいえ、そうでもありません。それに、私も楽しませていただきましたから」
そう言ってくれるとありがたいけれど……でも、正直レティシアさんの表情は疲れているように見えるんだよね。
聞けばエスファハンに戻ってきたのは昨日。これじゃあ長旅の疲れは取れないよね……。しかももう何年も旅をしてきたって言うんだから。
それでも笑みを浮かべて大丈夫だと言う。――――――遠慮しているんじゃないよね?
「でも、ここまであの二人が質問攻めにするとは思わなかった。また、時間があるときでいいので話をしてもらってもいいですか?」
「はい、喜んで」
ふんわりと笑みを浮かべて了承してくれる。それに私も笑顔で返して、今日はここまでと言うことになった。
私ももっと話をしていたかったけどね。レティシアさんの話はホント、興味をそそるのよ。
それでもまた旅に出る予定はないとかで、また話が聞けるわけだから次回でも十分。
そんなことを考えながら私は王子と、レティシアさんはアルシェさんと共にその場を離れた。
だからもちろん、レティシアさんとアルシェさんがこの後どんな話をしたかは知らない。
「大丈夫ですか?」
「アルシェもそんなこと言うのね。心配はいらないのに」
確かに昨日戻ったばかりだけど、旅には慣れてるのよ。
そう呟くレティシアに、それでも心配だと言う表情のままのアルシェ。
「それだけではなく――――――」
「大丈夫よ、特にそれはね。――――――大丈夫、心の整理はついたから」
もう、旅に出る必要はないわ。
アルシェの言葉を遮ってきっぱり言い切ったレティシア。そのまっすぐであろう瞳はもう何年見ていないだろう。
それでも全ての心のわだかまりの整理が付いたのであれば、もう旅に出ることがないのであれば、アルシェにとっては幸いなことになるだろう。そしてレティシアもそうであって欲しい。
そう思いながらアルシェはレティシアの手を取る。
本当はそんなことをする必要がないほど、レティシアは周囲の様子を理解していた。目には見えなくとも全ての気配や過去の記憶から。
しかしそのことを知っているのはアルシェのみ。
レティシアの目が見えないことは周囲に知れ渡っているため、周りの目を気にせずに手を繋ぐことができる。
自分は果たしてこういう性格だったかとふと思いはしたものの、それ以上考えることはやめにした。
今はただ、ようやく戻ってきた幼馴染に安心しているだけで十分だった。
– END –