非日常への移行
「……あれ? 師匠」
「どうした、蘭零?」
今日の修行の手を止めて一時休憩と思って戻ってみれば、いつもこの時間ならいるはずの師兄の姿が見えない。
それを不思議に思って師匠に問いかければ、あっさり答えが返ってきた。
「ああ、楊ゼンなら元始天尊様のところへ行っている」
「…………元始天尊さまのところ……?」
その答えを復唱し、「わあ、ついに師兄仙名を名乗って弟子をとれって言われるのかぁ」なんて呟いたら呆れたような声音で師匠に否定された。
「……違うんですか?」
両頬に手を当て、師匠を見れば「当たり前だろう」と……。
「いくら元始天尊様でもそのことに口出しはなされない」
「………………」
「今日楊ゼンが呼ばれた理由は――――――」
「ただ今戻りました」
師匠の言葉が終わらないうちに、師兄の声が洞府の入り口から聞こえてきた。
「お帰りなさい、師兄!」
叫びながら声のした方へと駆け出していけば、途中で師兄の姿が見えてきた。
「ああ、蘭零。ただいま。――――――修行の調子はどう?」
「お帰りなさい。…………まあまあです」
最後の方は尻すぼみ。
そんな私に対して師兄はにっこり笑って……これはからかわれているのでしょうか。
師兄は……真面目で努力家ではあるけれど、私をからかって楽しんでいる節がある。これは可愛い(?)妹弟子に対してどうなんだろうかと思ってしまうことが、多々。
そんなことを思いながら、それでも律儀に答えてしまうんだよね、私は。
私の言葉にさらに笑みを深くして、師兄は洞府の奥へと歩き出した。その後に私も続く。
そして師兄は師匠にも挨拶をちゃんとして、お茶会開始。
「そう言えば、元始天尊さまのご用件はなんだったんですか?」
会話がひと段落して、ふっと思い出したことを聞いてみた。
さっき師匠も知っている風だったから、師匠と師兄二人に向かって。
すると、なぜか少し困ったように師兄が口を開いた。
「蘭零、封神計画って知ってるよね?」
「『封神計画』?」
頭に最初は疑問符が飛んだ。
けれど、私は崑崙十二仙の一人である玉鼎真人師匠の弟子。
聞いたことがないわけではないし、何よりその計画を遂行すべく少し前に元始天尊さまの弟子が人界へ降り立ったことをどこかで聞いていた。
「もちろん知っていますよ」
今まで忘れてましたけど、とは言わなかったけど……。
「その計画を遂行する元始天尊さまの弟子――――太公望師叔に協力するように言われたよ」
「…………はぁ?」
呆れたからこういう声を出したわけではないんだけれど、そんな風に取られそうな声を出してしまったのは確か。
って言うか、何で師兄?
そりゃあ、力のあるひとだから封神計画に参加させられるのは分かるけど……。
元始天尊さまの弟子が遂行者だからかな? とも思ってしまう。
首を傾げ気味の私を師兄は微かに笑って、師匠は少し呆れ顔で見ている。
そして次に口を開いたのは師匠だった。
「太公望は悪い奴じゃないぞ。……楊ゼンのためにもなる」
まあ、師匠の意見は大体予測できてたけどね。
結構気難しくて人との交流が得意に見えないのに、実際は師兄より人付き合いいいし。
――――――その師兄以上に私は人付き合いが悪いんだけど。
師匠が反対することはないだろうし、疑問もはさまないだろうな。
私が太公望と言う人を知らないだけなんだけど。
師兄はと見れば、師匠がそう言うならば、って感じだった。
師匠は納得してて、弟子二人は納得していない。
結構変な光景。
そう言う意見を言われ、そうかもしれないと思ったのは師兄が一度人界に下りて、すぐに戻ってきて、再び人界に下りた後だった。
私の数少ない友人の一人に。
それまで疑問にも思わなかったから……不思議ではあったけれど。
良く考えれば、ね。
ぽつぽつ浮かぶ山々を眺めながら思った。
この中から、また何人かの道士が人界へ下りることになるんだろうなあ。
その中に、私は入るのかは分からない。
入るなら、師兄の元で働きたいと思う。
「蘭零は実力はあるけど人づきあいが悪いから無理」とは友人に言われた。
私自身もそう思う。
「ありえないよ」
私達の間で珍しい意見の一致を見てから数年後。
その場で話していた全員が――――『仙人界で』と言う注釈はつきながらも――――封神計画に関わることになる。
– END –