響恋乱舞
『太公望……楊ゼンを頼む……』
その言葉がわしの耳に入ると同時に玉鼎の魂魄は封神台へと向かって行った。
それを見送りながらわしの脳裏には……腕に抱きしめている楊ゼンと――――とある仙女の姿が浮かんでいた。
◇◆◇
「暇だのう……」
ぼんやりと空を見上げながら呟く。
まだ時間は昼。
いつもであればそれならばやることはあるだろうという言葉が傍らから聞こえてくるはずだ。が、幸い今日に限っていつも言ってくるやつは用事でいない。
久しぶりに平和で……自堕落な時間が過ごせそうじゃ。
「それなら修行をすればいいのに……」
伸びをしてごろりと横になったわしの頭上から、いつも聞こえてくる声とは別の……女性特有の高いが優しい声が聞こえてきた。
そのままの体勢で声のした方に目をやれば、そこには一人の仙女。
「お~。悠蒼…………久しぶりだのう――――――」
どうしたのだ?
少し困ったような表情をしている友人の名を呼べば、悠蒼は首を傾げて言う。
「私は何も。……太公望が暇だというから修行をすればいいのに、と言っただけよ?」
「…………普賢と同じようなことを言うでないよ」
いつもいつも言ってくるやつの名を出せば、「それなら余計よ」とさらに言う。
「――――修行をしないのはなぜ?」
「さあのう……」
傍らに来て、その場に腰を下ろした悠蒼を見上げながら答える。
理由がないわけではない。
しかしそれを悠蒼に――――いや、誰にも言うつもりがないだけだ。
悠蒼ほどの仙人であればそれくらい分かっているだろうに、それ以上何も言わず、気付けばわしと同じように悠蒼も空を見上げていた。
それからどれだけの時間がたっただろう。
よく分からないままただ二人でそこにいた。
言葉も交わすことはなく……それほど、悠蒼はしゃべる方ではなかったから、不思議には思わなかった。
しかし、それでも今日はあまりにも静かだ。
わしは悠蒼をよく知っているわけではない。
よくは知らないが、崑崙の仙人の中でも物静かな、大人しい部類に入ることだけは知っている。
もしかしたらこれが本当の悠蒼なのかもしれない。
そうかもしれないが、普段わしや普賢といるときはもう少し言葉数がある。
「悠蒼…………一体――――」
「望ちゃん、悠蒼!!!」
どうしたのだ、と言う言葉が出てくる前に普賢の言葉に邪魔されてしまった。
それに内心で文句を言いながら、こちらへと走ってくる普賢に目を向ける。いつものようににこにこと、何が楽しいんだか笑みを浮かべている。
「悠蒼、玉鼎が君を探していたよ」
わしらの側にたどり着くと、普賢は何よりも先にそう言った。
「――――――――――――そう」
一時の沈黙の後、悠蒼はそう言うと静かに立ち上がった。
「太公望……本当に、修行はしておいた方がいいわ」
そう一言だけ言って、その場を離れて行った。
すぐにその姿は見えなくなって、言葉をかける暇もなかった。
ただ呆然と、悠蒼の行ったほうを見ていると、傍らで盛大なため息が聞こえてきた。
「なんじゃ、普賢」
目を向ければ呆れた様子で立っている親友。
その視線がわしを責めているようで、そんな目をされる理由が分からずに尋ねた。
それに対し、普賢は表情をそのままにさらりと言った。
「望ちゃん……知らなかったの?」
「何をじゃ?」
首をかしげれば、今日一番のため息と共に普賢は思ってもみなかったことを言ってのけた。
「悠蒼……玉鼎と喧嘩したんだって」
「――――――――――――はあぁ!?」
ありえぬだろう!!!!!!
そう普賢の耳元で叫んでしまい、普賢は耳をふさぐ。
だが、それを気にしている暇はない。
まったく時が流れていないようで、ある日突然思っても見ないことが起こるそんな仙界でも絶対にありえないだろうと言われていること。
それがあるなど考えられないし、実際あったとしても信じられない。
「ほんとだよ……とは言っても、悠蒼が一方的に怒ってたみたいだけどね」
「…………それは……そうだろうな」
玉鼎が悠蒼に怒るなど考えられん。
普賢の言葉に一旦勢いがそがれる。
が、それでもなぜ悠蒼が? ということになる。
悠蒼がそう簡単に玉鼎に対して怒るとも思えない。
その反対が、もっと考えられないから今のわしの落ち着きであって、決して悠蒼が怒りっぽいというわけではない。
「さあ…………そこまでは分からないけれど」
「…………」
まあ、そうじゃろうな。
普賢の言葉にわしはそんな風に言ってまたその場に座り込む。
普賢も同じように隣に座る。
ここに来てようやく普賢がここに来た理由を尋ねた。というより、悠蒼に玉鼎が探していたと言った理由を尋ねた。
「…………玉鼎があまりにも普段の玉鼎じゃなかったから、かな?」
はっきりとしたことは言わずに、そう表現する。
普段の玉鼎じゃない玉鼎など想像することが出来なかったが、普賢が言いたいことは分かる。
が、そんな状態の玉鼎がいるなど、やはり想像できなかった。
「でも……大したことでもない気がするんだよね、想像だけど」
「…………なぜ?」
「なんとなく」
さらりと言う普賢に脱力しながらも、何か言う気にはなれなかった。
「まあ、そんなに心配することでもないだろうね」
「…………じゃろうなあ」
なにせ、あの二人だ。
全てこの言葉で片付いてしまう。
玉鼎は十二仙の中でも一番真面目で、生真面目すぎておかしなことは絶対にしない。
そして悠蒼は悠蒼で、ある意味崑崙最強。
強い、の方向が違っているが、まあ、最強。
いや、最凶。
――――――。
その二人が恋人同士だと知ったときには驚いたものだが、よくよく観察してみればさもありなん。
一緒にいるときなど、それぞれが独りでいるときとはまったく違った空気が流れていた。
まあ俗に言うラブラブ、とは少々違っておるようだが……。
「大丈夫。玉鼎は悠蒼の扱いには長けてるから」
「それもそうだ」
悠蒼と知り合ってから、ありえないと思っていた。
悠蒼にいろんな意味で勝つことが出来る仙人など、いないと思っていた。
だが、玉鼎にあっさり負ける悠蒼を見て当時はものすごく驚いたものだった……。
それからは悠蒼のことは玉鼎に任せておけば大丈夫だという考えがわしの中にある。
これは他の仙人も同じことを考えるだろう。
悠蒼は玉鼎がいれば大丈夫――――――――――――。
◇◆◇
逆を言えば、玉鼎がいなければ悠蒼は何をしでかすか分からない。
そう言うことになる。
そんなことを考えてしまったのは、楊ゼンを助けて崑崙山に戻ってきたときだった。
目の前には元始天尊様と白鶴、そして…………悠蒼。
彼女の表情から、既に玉鼎が封神されたと知っていることが分かる。
その理由は分からないが、悠蒼ならばと思えないわけではない。
「悠蒼…………」
抱えた楊ゼンに少し力を入れて支えながら、一歩一歩、足を踏み出す悠蒼を見る。
何をするのか、玉鼎以外は絶対に分からなかった悠蒼。
そんな彼女が愛するものを失い、その原因となった楊ゼンをどう思っているか――――――。
「――――――楊ゼン……!!!!!!」
そう声を詰まらせながら名を呼びながら、悠蒼は楊ゼンに駆け寄って、わしから奪うように楊ゼンを引き離し……抱きしめた。
その瞳には涙が浮かんでいる。
「良かった…………あなたが無事で……」
「…………」
悠蒼の行動に、周りは誰一人動けなかった。
蝉玉は知らないだろうが、他は悠蒼と玉鼎のことを知っている。
そして悠蒼の性格も気性も。
だが…………
「ごめんなさい…………」
誰もが黙ったままの中、微かな楊ゼンの声が聞こえてきた。
「僕が…………師匠を…………」
その言葉に悠蒼はかすかに首を振り、楊ゼンに言う。
「玉鼎は楊ゼンを助けに行ったのよ…………こうなることが、予測できなかったわけじゃないわ」
「………………」
「玉鼎は封神されてしまったけれど――――――――――――」
あなたが無事だったのは不幸中の幸いよ。
「あなただけでも無事で…………良かった」
そう言った悠蒼の瞳からは涙が一粒こぼれた。
楊ゼンを抱きしめたまま、悠蒼は静かに涙を零し続けた。
– END –