悲愴恋情
玉鼎が、楊ゼンを助けるために金鰲島へ行くことになったと普賢に聞いた時、既に玉鼎たちは崑崙を出てしまっていた。
そして普賢は彼らを見送ったと聞くと……悔しく思った。私に言ってくれなかったことに。
普賢は申し訳なさそうな表情をしていたけれど。それでも、と思ってしまう。
けれど普賢に八つ当たりをするわけにもいかない。
◇◆◇
「…………どうしたの、この子」
「――――――悠蒼……」
最近会いに来てくれるどころか連絡のひとつもない玉鼎。
私から久しぶりに会いに洞府へ行けば、反応がなかった。でもどこかに出かけている気もしなくて、入ってみれば案の定玉鼎はいた。
――――――妖怪仙人の子もいたけれど。
首をかしげながら玉鼎を見たけれど……その玉鼎は反応どころか動いてもくれない。
仕方なく視線を下げて妖怪仙人の子の目線に合わせてしゃがみこんだ。
「こんにちは」
「…………こんにちは」
小さな声で、それでも言葉を返してくれた子に、微笑みかける。
「私は悠蒼と言って、玉鼎の知り合いなの。あなたのお名前はなんと言うの?」
「…………楊ゼン」
「そう、楊ゼンと言うのね。……良い名前ね」
すると、かすかに楊ゼンは笑ってくれた。
「…………悠蒼」
「あら、なに?」
名前を呼ばれて玉鼎を見上げると、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「元始天尊様に言われてないのか? 一時――――」
「玉鼎のところに押しかけるのは遠慮しろ、でしょう? でも、理由もなく了承できるわけじゃないわ。それに言われたのは『遠慮しろ』。『行くな』とは言われたわけじゃない」
「それはそうだが……」
米神を押さえつつの玉鼎。そんな彼を見ながら私は続ける。
「ま、これじゃあそう言うのも仕方ないかな? …………でも、私も馬鹿にされたものよね」
「? 何がだ?」
「私が楊ゼンを嫌うと……差別すると思ったんでしょう? そんなことないのにね」
一瞬悲しそうな表情をした楊ゼン。けれど私が頭を撫でながら言うとほっとしたような表情を浮かべた。
それを見て、こんなに小さな子でも崑崙と金鰲の――――人間出身の仙道と、妖怪仙人の差別を知っているんだと思った。そんなもの、そんな必要のないもの、知らなくていいのに……。
「それより玉鼎。いつまでここに突っ立っているつもり? 私はお客だし、玉鼎用と思ってたけれど、楊ゼン用に変更したお土産があるのよ」
「何なんだ、それは……」
「早く入れて。お茶にしましょうよ」
「…………」
玉鼎はため息をついて、しぶしぶ奥へと導いてくれる。
そんな彼にお土産を渡して私は楊ゼンを抱き上げて入っていった――――――楊ゼンは驚いた表情をしていたけれど、降りるそぶりは見せなかったから、まあ、嫌だと思わないでくれたんだろう。
その後も、楊ゼンは笑ってくれたから……。
「それで、楊ゼンはどうしたの?」
結局遅くまで私は居座ってしまった。
その間に楊ゼンは眠ってしまって……玉鼎が楊ゼンの部屋へと運んでいく。
玉鼎が戻ってくるのを待って、私は疑問に思っていた、けれど楊ゼンのいるところでは聞かないほうがいい気がしたことを聞く。だからこの時間まで居座っていたのだけれど……。
「…………どうした、とは?」
「楊ゼンくらいの年の妖怪仙人なら、親も妖怪仙人でしょう? もし彼らが楊ゼンを育てなかったとしても――ありえないだろうけど――他にも育てる仙人は沢山いるでしょうね……楊ゼン、相当強いもの。まだ幼いから、その素質があるっていうレベルだけれど」
「…………」
「だから、どうしてその楊ゼンが崑崙の、玉鼎のところに来ているのかなって。まあ、玉鼎のところに来た理由は、十二仙レベルの崑崙の仙人で、今弟子がいないのは玉鼎だけだからってことで理解できるんだけれど。でも、崑崙に来た理由が分からないわ」
「…………誰にも言わないか?」
しぶしぶ口を開いた玉鼎が言ったのは、そんなことだった。
「誰に言う必要があるのよ、楊ゼンのことなんて。――――――残念なことに、妖怪仙人を差別する仙道は山ほどいるのよ、崑崙には。そんな仙道に、楊ゼンの話題なんて出したくないわ」
はっきり言えば、玉鼎はひとつ頷いた。
私の言いたいことが分かってくれたようだ。
「――――――楊ゼンの父親は通天教主だ」
「…………またえらく大物ね」
「反応が薄いな」
「そう? 結構驚いているんだけれど……。で、それで? だからってここに預けられる理由にはならないでしょう?」
驚きはしたけれど、大声を出したわけじゃなかった。そんな私の反応に、玉鼎のほうが驚いていたけれど……私の質問にはちゃんと答えてくれた。
「通天教主の弟子の一人が、力をつけ、多数の金鰲の仙道を連れて行ったそうだ」
「…………力、ねえ」
「それに不安を覚えたんだろう。崑崙と金鰲との間に不可侵条約締結を打診して来た。その証に楊ゼンをこちらへ預ける、と言ってきたそうだ」
「……私には、楊ゼンを守る“だけ”のための不可侵条約のような気がしてならないんだけど」
「内心はそうだろうな」
さらりと返す玉鼎に、私だけが思ったんじゃなかったんだとほっとした。
「それじゃあ、楊ゼンはずっとここにいるの?」
「そうなるだろう。……問題が起こらなければ」
最後のほうだけ少し不安そうだ。
確かに楊ゼンほど幼い弟子を、玉鼎は持ったことがないからそう思っても仕方がないけれど……
(でも、楊ゼンの様子を見たらそんなこと杞憂だと思うけれど)
楊ゼンのことを私から隠そうとしたから言わない。
「何とかなるんじゃない?」
代わりにそんな風に言う。
「問題が起これば私が代わりに預かるわよ」
「…………相当気に入ったな」
「だって、可愛いじゃない」
「…………」
私の言葉に玉鼎は困ったような、へんな表情をした。
それに私は笑いをこらえるのがやっとだった。
――――――その後、少し拗ねた玉鼎をなだめるのに、思ったより時間がかかってしまうことになるとは思わなかったけれど。
◇◆◇
楊ゼンが玉鼎の元へ来てから何百年たったか。数えていたわけではないから、私は覚えていない。
あれから玉鼎と楊ゼンの間に問題なんて一度も起こらなかった。
それはいいことだけれど、でも――――――こんなことが、いつか起こるかもしれないと、頭の隅で考えたことはあった。
「悠蒼、大丈夫か?」
「…………何に対して?」
振り返ると、そこには大半の十二仙がいた。玉鼎以外の彼らには、どうしてもこんな反応しか出来ない。
気分がよければ、そうでもないのだけれど……今、気分がいいわけがない。
そんな私の反応に、戸惑ったような、それでも何か言おうとしている。
はっきり言えないのなら、声をかけなければいいのに……。
お人好しの彼らに、無理なことを言っていると思う。――――何よりこの場合、私が悪い。
「……大丈夫よ。玉鼎は、どんなことがあっても楊ゼンを助けるわ」
そういう人だって、知ってるでしょう?
「…………」
「必ず」
きっぱりと言えば、彼らはそれ以上何も言わなかった。
けれど、離れていくわけではなくて……本当に、お人好しで、心配性。
それから、どれくらい経っただろう。
「悠蒼!!!」
信じられないものでも見たかのように私の名前を呼んだのは誰だろう。
言われなくとも、私にだって信じられないものを見ているのだから分かっている……。
けれどそれ以前に、“それ”が目に入った瞬間に、今回の結果が一瞬で分かってしまった自分がいた。
視線の先から一道の魂魄がこちらへ向かってくる。
普通、誰かなんて分かるわけもない。
けれど私にはそれが誰だか分かってしまった。
「玉……鼎…………」
ポツリと名前がこぼれた。
視界もぼんやりとぼやけて……涙を流しているんだと、どこかで思った。
そんな私の周囲を、何度か魂魄は回って…………それから封神台へ向かうためだろう……崑崙山から、私から離れていった。
「玉鼎…………玉…鼎…………」
がくりと、膝から崩れ落ちてしまう。
「悠蒼……」
誰が何を言ったかなんて……分からない。
「玉鼎っ!!!!」
どっと涙が、言葉がこぼれる。
どうして、こんなことになってしまったのだろう……なぜ?
何が理由なの?
そんな思いがあふれ出てくる。
けれど、誰も答えてくれる人はいなくて……
「あれは……玉鼎なのか……?」
今まで入ってこなかった声が、なぜか耳に付いた。
それが合図になったように、そのほかの声も入ってくる。
「他の者ってことは?」
「でも悠蒼のところに来たんだぞ。玉鼎以外に考えられないだろう……」
自信のない声。
けれど、玉鼎としか考えられなくて……戸惑った声。
だから、私は言った。
「他に……封神された魂魄はある?」
「えっ……」
「どうだった?」
「確認……して」
「わ、分かった!」
そうやって、ばたばたとかけていくものがいる。
それでも私の視線は外を向いたまま…………
「最悪でも――――――楊ゼンさえ助かってくれていれば…………」
「悠蒼!!」
「なんてことを!!」
「だって玉鼎はその為に行ったのよ!! 金鰲に!!」
自分の命を捨ててでも楊ゼンを助けるために!!
「っ…………」
「それ……は…………」
「分かってたのよ……考えられなかったわけじゃないわ。……こんな結果だって、玉鼎の性格を考えれば――――――」
「……悠蒼」
そう、そんな人よ、玉鼎は。
だから私は――――――
私の考えたとおり、封神されたのは玉鼎だった。
けれど、楊ゼンは無事に…………戻ってきた。
ダメージはひどかったけれど、それでも――――――命は……
「玉鼎は、あなたを助けられて嬉しいはずよ、楊ゼン」
久しぶりに抱きしめた楊ゼンは、やっぱり大きくなっていて……涙が出た。
「私も……嬉しいのよ、楊ゼン」
玉鼎が望んだことなら、玉鼎が封神されても……それでも――――――
– END –