内緒
近くでばさばさと本が落ちる音がした。
「……大丈夫?」
「う……うん。ありがとう」
見れば今日の分の教科書とノートが床に散らばっていて、どうやら次の授業の教科書を出すときに引っ張られて他のものも出てきたみたいだ。
で、教科書とかを落としたのは長い髪を左右で三つ編みにした子――――確か名前は……。
「はい」
「ありがとう」
小さな声でお礼を言う、クラスでもおとなしい子。
で、中学に入って女子テニス部に入った……男子テニス部顧問の竜崎先生の孫。
「竜崎さんって……抜けてるね」
「え……?」
言っていいことではなかっただろうけど、見てたらするっと出てきてしまった。
びっくりした表情を見せる竜崎さんに、まずいことを言ったかなーと思っていると、びっくりするようなことを言われてしまった。
「名前……知ってるの?」
「え?」
「竜崎さんって……」
言ったから。
赤くなって小さくなって、大変だなあとどこかで思ったけど、それよりも突っ込むところはある。
「そりゃあ、クラスメイトだし……」
でも、そんなことを言うなら竜崎さんはまだクラス全員の名前と顔を一致させていないんだなと予想できる。
私は入学式のときに渡された席に名前が書いてあるプリントで全員一致させて帰ったから。
単に、そういうことを覚えるのは得意って言うのもあるけど。
「…………ゴメンナサイ」
「へ?」
「私、覚えてない……」
前の言葉は小さくて聞き取りにくかったけど、次の言葉から考えると、謝ったのかなと思う。
「や、まあ、それは人それぞれだから」
気にすることはないよ、と言っても竜崎さんは困った表情――――や、どっちかというと泣きそうかも。
「でも……知らない」
最後は小さかったけど今回は聞き取れた。
「私?」
「……うん」
こっくりと真っ赤になりながらも頷く。
……まあ、そうだろうなあと思っていたから驚かないけど。
「別にだからって謝る必要もないと思うけど。まだ入学したばっかりだし」
そもそもどこのグループ(クラス内の)にも属していない私は一番名前を覚えられていないと思うし。
さすがにそこまでは言わなかったけど。
言っても平気な人はいるだろうけど、竜崎さんはどう見ても気にするタイプだ。
「私は近衛彰子って言うの」
「近衛さん……?」
「彰子でいいよ」
慣れていないだろうなあと思ったら、案の定“さん”付けは違和感があった。クラスで耳にする竜崎さんが友人を呼ぶ時は“ちゃん”や“君”だから。
それでいいと言えば「それじゃあ私のことも桜乃でいいよ」と返された。
「…………」
「あー、何やってんの桜乃! 早くしないと授業始まるよー」
ぱちくりと瞬きをして驚きを表現していた私。
けど、竜崎さんには小坂田さんの言葉に驚いてると思われてるかもしれないなあ。
そのあたりの確認はできなかった。
すぐに次の授業の担当教師が来たから。
「彰子ちゃん?」
「あ、竜崎さん」
乾先輩から道具を取りに行くように頼まれて、とってきた私は男子テニス部コートに戻るところで声をかけられた。
振り返ればクラスメイトの竜崎さんが、テニスウエアを着てラケットを持って立っていた。
「……桜乃よ」
「ああ、うん。桜乃さん」
「“さん”もいらないよ」
首を振って拒否する彼女に、私は困ってしまう。
言い慣れないんだよね、実は。
それは中学入学前まで行っていた所が影響しているんだけど、だからと言ってそれを理由に言わないつもりはない。ぼろが出るとは思うけど。
「桜乃ちゃん?」
「そう!」
にっこりと笑みを浮かべた彼女はそのまま尋ねてきた。
「男テニのマネージャーって彰子ちゃんだったんだね」
「……うん、そう」
知らなかったのかーと思う。
私はちょくちょく部活中の桜乃……ちゃんを目にしていたから。
同じく部活に参加中の私を目にしたことがあると思っていた。
(それに男テニファンの先輩たちには知られているし……)
嫌われているだろうと分かる視線が部活中だけじゃなく、移動教室とかでも向けられているのが分かるから。
それを考えれば桜乃ちゃんの反応は新鮮だ。
ちょっとうれしいかも。
「そうなんだ、彰子ちゃんもテニス好きなんだね」
部活中にいいのかなあと思ったけど、周りを見れば女テニは休憩中みたいだ。
それならいいかと、私はちゃんと桜乃ちゃんに向き直る。
「うん、好きよ」
「するほう? 見るほう?」
「どっちもかな……」
「? じゃあ、どうして女テニに入らなかったの?」
そうすればテニスできるし、試合のときは先輩たちの試合を見れたのに。
首を傾げるその様子は本当に疑問を持っているようだった。
ああ、桜乃ちゃんは部活が楽しいんだなあと思った。
――――私だって今の状況を楽しんでいるけど。
「どうしてかなあ?」
どうして、と答えるまで聞いてきそうな桜乃ちゃんに、私は口にする。
分からない、という意味で言ったはずなのに、桜乃ちゃんは納得しない。
隠していると思ったのかな。
実際にそうだけど。
「……聞いちゃいけないことだった?」
「そういうわけじゃないけど……」
そう、別に聞かれることがいやなわけじゃない。
ただ――――――
「でも、そうだね。……内緒、と言うことにしておく」
言わないだけ。
言いたくないだけ。
でもこれは桜乃ちゃんに言うことじゃないだろう。
既に言ったことだけでショックを受けている桜乃ちゃんの表情を見れば、きっと誰だってそう思うよね。
「そんな顔しないでよ。大した理由じゃないんだし」
それより行かなくていいの?
「休憩終わったみたいだよ」
「え……あっ!!」
ようやく気付いた桜乃ちゃんは、「それじゃあ、がんばってね」と一言置いて走って行ってしまった。
「……がんばるのは桜乃ちゃんのほうでしょう?」
口にしたけれど、言うべき相手は既にいない。
ま、いっかと男テニコートに戻れば、乾先輩が待っていた。
「遅かったね」
「ちょっとクラスメイトと話してたので」
これを手塚先輩に言ったら怒られるだろうけど……どうかすると校庭を走らされるかもしれない。
けど、乾先輩なら大丈夫かなと思う。手塚先輩に言うこともしないだろうし。
そう思っていたから言ったんだけど、案の定、
「そう」
一言で終わってしまった。
「それで、竜崎さんとは何を話してたんだい?」
いや、続いてた。しかもたぶん覗き見に近いと思う。
「知ってるんですね」
「竜崎さん? そりゃあね、竜崎先生のお孫さんだし」
「……それもそうですね」
“データ命”の乾先輩には当たり前のことだったか。
もしかしたら入学前に何か話していたのかもしれない。竜崎先生と。
そのあたりはたぶんこうじゃないかと予想するしかない私に、乾先輩は「それで……」と続ける。
「何を話してたんだい?」
その手にはノートとペンが握られている。
「…………先輩の役に立つものとは思いませんけど」
「ああ、これは単なる趣味だよ」
「…………」
や、部員のデータを取るのも趣味でしょう?
そう思いつつ、はあとため息をつく。
そして手にしていた道具を乾先輩に渡し、一言言い置いてから呼ばれたほうへ駆け出した。
「女の子同士の会話に首を突っ込まないほうがいいですよ」
– END –
お題配布元:鷹見印御題配布所