理解不理解

「ゲームセット、ウォンバイ聖華・近衛!! ゲームカウント6-0!!」


「すごーい」
「さすが近衛先輩!! 一ゲームも落とさないなんて!!」
 ううん。一ポイントも取られないなんて!!
 ゲームセットの声がかかると、コートの周囲から声が上がる。
 相手チームからも感嘆の声がもれる。
 試合の既に終わった学校、関東大会に出ることの叶わなかった学校も見に来ていて、コートの周囲はうるさいくらいだ。

「――――以上により、4勝1敗で聖華女学園中等部の勝利です。両チームとも、整列してください」

 声がかかり、一旦静かになるが挨拶が終わるとまたざわついてくる。
 そんな中、コートを出た彰子はまっすぐベンチに座っている麻里香のほうへと走って来た。
「麻里香、青学の試合見に行こう!」
「…………」
 唐突な言葉にしかし、麻里香は驚くことなくため息をひとつつく。
「青学の試合と言うより、彰子が見たいのは国光の試合でしょ?」
「当たり前じゃない」
「……良いけどね。先生の許可は取ったんでしょうね」
「もちろん」
「はぁ……」
 時間がかかってしまったが、向こうも相手は氷帝学園。まだ試合をやっている可能性は十分にある。
 ようやく立ち上がった麻里香の腕を取って、彰子は男子団体一回戦・青学対氷帝の試合が行われているコートへと向かった。
 チームメンバーと勝利の喜びを分かち合うこともなく……けれど、これはいつものことなのでチームメイトたちは苦笑で送り出した。





 二人がコートについたとき、丁度手塚が一旦ベンチへと下がるところだった。
「…………何やってるのよ」
「とうとう壊れたのね」

 思ったよりも時間がかかったね。

「麻里香?」
 麻里香の呟きに、目を見張った彰子。そんな二人に後ろから声がかけられた。
「おや、見に来てたんだね」
「あ、竜崎先生……」
 二人が振り向けば、そこには竜崎と河村、樺地。
「まったく……手塚にも困ったものだね」
「考えられなかったわけではありませんが」
「まあね」
 麻里香の言葉に苦笑する竜崎。
 それでも彰子は厳しい表情で立っている。あまりの無茶が、理解できないようだ。
「彰子」
 そんな彰子の名を呼び、麻里香は視線はまっすぐコートに向けたまま聞く。
「なに?」
「彰子はどうしてテニスをするの?」
「楽しいから」
「試合をするのは?」
「――――楽しむため。別に楽しめるなら試合をしなくても良いよ」
 だからなんだと言う彰子に、麻里香はさらに問う。
「勝ちたいから試合をするわけじゃないの?」
「勝ちにこだわったことはないかな。楽しんでれば自然と勝ちはついてくるから」
 あっけらかんとした答えに、側にいた河村は目を見張っている。
 樺地は……表情を一切変えていないために分からない。
「彰子はそうかもしれないけれど……国光はそうじゃないってことでしょう?」

 彼らの目標は全国制覇だから。

「…………そう」
 分からない、と言う色を乗せながらの彰子。
 昔から殆ど負けたことのない彰子には、その重要性がわからなかったようだ。
 勝ちにこだわったのとのない彼女には――――――。
「それは、自分が二度とテニスが出来なくなるより重要なことなの?」
「そうなんじゃない?」
 さすがにそれは私にも理解できない感情だけど。
 麻里香の言葉に彰子は大きく頷いた。





「タイブレーク……」
「国光…………」
 いったいどれだけ続くのだろうかと、そんな想いがよぎるほど、それは長いものになっていた。
 彰子も麻里香も……座ることもせずに試合を見ている。
「中学生のする試合じゃないね……」
 麻里香の呟きに、彰子は反応を示さない……それだけ試合に集中している彰子に、麻里香は呆れたような安心したような表情をした。
 けれど――――麻里香は再び……周囲より先に表情を変えた。
 跡部リードの36-35。
 手塚のラケットヘッドが3.5ミリ下がったとき。


「無理、跳ねる」


「え?」
 今まで麻里香の声が聞こえず、反応のなかった彰子が、この言葉には反応した。
「麻里香……どういう――――――」
 そう、彰子が麻里香に真意を聞こうと視線を移したとき、静かになったコートで審判の声が響いた。


「ゲームセット!! ウォンバイ氷帝・跡部!!」


「あ……」
 再び視線を戻した時には、既に試合は終わっていた。
「うそ……」

 負けた……?

 ぼんやりとした彰子の呟きに、麻里香は今日何度目か分からないため息をく。
(まず、あそこまで壊してて跡部に勝てたらすごいから)
 口には出さないようにしながら、麻里香は幼馴染を見る。
 大石に支えられた手塚は、一瞬二人のほうを――――正確には彰子を見た。
「っ…………」
 その視線に、彰子はかすかに肩を揺らしたが、すぐにそらされたためにそれ以上の反応を見られることはなかった。
 次の試合――越前へ声をかけている手塚から目を離さないまま、彰子は麻里香に言う。
「ちょっと……出てる」
「一人で大丈夫?」
「うん……」
 頷いた彰子は、第六試合が始まる前に駆け出していった。
(あーあ……)
「確かにショックだろうね」
 幼馴染が……国光が負けたんだから。
 と、誰も聞こえないくらいの小さな声で麻里香は呟いた。
「強いと思ってたし」

 だからと言って、彰子が国光に負けてたわけじゃないけど……むしろ、彰子のほうが国光より強い。彰子は知らないことだけど。

 ようやく側のベンチに座った麻里香は、コートを見下ろしながら微かに笑った。
「覚悟しておいたほうが良いね、国光」
 私は助けないから。





「3勝2敗1ノーゲーム、青学の勝利です!!」
 審判の声に、両チームおよび観戦していた他校の生徒からも拍手が起こる。
 そんな中で麻里香は苦笑していた。
「やっぱり戻ってこなかった」
 そう、彰子は試合が終わっても戻ってくる気配を見せず、さてどうしたものかと麻里香は思う。
(私が行っても彰子は浮上しないし)

 それが出来るのは一人だけだし。

 そう思っている麻里香の視線の先にはこちらに向かって来る幼馴染。
「お疲れ様」
 ひらひらと手を振って、手塚が口を開く前に麻里香は先回りをする。
 周囲にいるのは青学テニス部員だけなので、部長と有名女子中の制服を着た少女と言う組み合わせを不思議そうに見ている。
「…………」
「彰子は最後の試合が始まる前にどこかに行ったよ」
「どこに」
「知らない。まあ、会場のどこかにはいると思うけど。――――荷物はここにあるしね」
 そう言って傍らを指すと、確かに手塚も知っている彰子のラケットバッグが置いてある。
 それを確認した手塚は、麻里香の横を通り過ぎ――――

「手伝ってくれても良いだろう?」
「嫌よ。自分で蒔いた種でしょう? 自分で処理しなさいよ」

 きっぱりと言われた手塚は、言葉の割には表情を変えずにそのまま歩いていった。
 それを見送ることもせず、麻里香はただ苦笑するのみ。
「失礼」
 急に自身のいる場所が陰り、顔を上げるとそこには青学テニス部レギュラーが立っていた。
「何?」
 声をかけてきた乾に向かって言うと、麻里香には興味津々と思える表情で聞いてきた。
「君はうちの部長とどういう関係で?」
「単なる幼馴染よ」
「さっきまで君の側にいた子も? 確か彼女は――――去年、一昨年とシングルスで全国制覇した近衛彰子さんだと思うけど……」
「よく知ってるね。確かにあの子は近衛彰子よ。あの子もあなたたちのところの部長と幼馴染」
 だから何? という表情をした麻里香に、頷いていた乾は言う。
「や、単にどういう関係かを知りたかっただけだよ。手塚が自分から女の子に話しかけるの珍しいからね」
「へえ……そうなの」
 初めて知ったと言う麻里香を、珍しいもののようにレギュラー陣は見ていた。





「ここにいたのか……」
 彰子。
「…………国光」
 急に呼ばれた自分の名前に、びくりと肩を揺らして顔を上げるとそこには幼馴染がいた。
「こんなところで何をしているんだ」
「…………うで」
「? 何だ?」
「腕は……?」
「あ、ああ――――――」
「何であんなに無茶ばっかりするの!!」
 涙目で叫ぶ彰子に、腕の状態を言うことの出来なかった手塚は戸惑う。
 長い付き合いながら、見たことがあるかないかのその表情に戸惑う以外にどんな反応も見せることが出来なかった。
「麻里香が言ってた……思ったよりも腕が壊れるのに時間がかかったって……。と言うことは、麻里香は国光の腕、壊れると思ってたってことでしょう? ……どうしてそんな……そんな腕の使い方をするの!? テニスが出来なくなっちゃうじゃない」
「仕方がないだろう。どうしても全国へ行きたいんだ……青学全国制覇が、俺の目標だからな」
「…………分からないよ。今壊したら、全国制覇どころか次の試合にも出られないじゃない。それどころか――――」

 二度とテニスが出来なくなるかもしれない。

「私は嫌。国光のテニスを見れなくなるのは嫌。国光は嫌じゃないの……? テニスを出来なくなるのは――――」
「嫌さ」
「じゃあ、どうして……」
 納得できないという表情を見せる彰子に、困ったように手塚は言う。
「それでもあの試合をやりたかったんだ……今年こそ全国制覇を達成できるメンバーがそろったんだからな」
「――――――――――――分からないよ」

 分からない。

 ただそれを繰り返す彰子を、手塚は無言で見下ろしているだけ。
(……分かっている)
 何故彰子が理解できないのか。
 決してテニスに対する情熱が薄いわけではない。
 きっと誰よりもテニスが好きだ、彰子は。
 けれど想いが……想いの方向が自分と違う。
 勝つことか、ただテニスをすることか。
 どちらに重点を置いているか。
 ――――――彰子の場合、その実力のために勝つことに執着がない。
 ただ、テニスが出来ればいい。そう思う環境で育ってきたから――。
 けれど、と手塚は思う。
 自分はそうではない、と。
 テニスをすることは好きだ。それにうそ偽りはない。
 けれど……同じように勝つことにもこだわっている。
 今回のような試合の場合、腕が壊れてもいいと思ってしまうほどに。


「理解できなくてもいい。ただ、俺は後悔はしていない。それを分かってくれれば……」


「本当に、後悔していないの?」
「ああ」
「そう……それなら、いい」
 ようやく完璧ではないものの、幼馴染の考えを理解できた彰子は、立ち上がった。
「でも、次にしたら叩くからね!」
「……ああ」
 ようやく理解してもらえたと安心したら、この言葉。
 『許さない』とか『嫌いになる』とは言わない彰子に、国光は内心で苦笑するしかない。
 あまりにも“らしい”その言葉に、安心したのだった。





「なんなんですか、あの二人」
 こそこそと隠れながら二人を見ていた青学レギュラー陣+1名……と、麻里香。
「まあ、あれはいつものことだし……」
 唯一二人の性格を正しく理解している麻里香は苦笑していた。
「なんというか……いつもあんな感じで、進歩がないなあって思うのよね」
 麻里香の言葉にその場にいた全員が顔を見合わせる。
 と、

「お前たち……」

「げ!」
「て、手塚!!」
 いつの間にか目の前には手塚が立っていた。
 その後ろに苦笑しながらの彰子。
「何をしている」
「え? いやあ……」
「そ、それは……」
 視線が泳ぐ。
 今までのやり取りを見られていたことは分かっているようで、手塚は怒っていた。
 そして、いつもの台詞を言おうとしたとき……

「国光、怒るのはいいけど手を上げたら腕、もっと酷くなるからね」

 普段の手塚が手を出すのではなく、校庭を走らせることを知らない麻里香はそんな釘のさし方をする。
「…………麻里香」
 初めてファーストネームを呼ぶのを聞いたレギュラー陣+1を無視し、麻里香は一人話を進めていった。
「それから彰子、はいカバン」
「え、ああ、ありがとう……」
 自分のラケットバッグを受け取り、首をかしげながら彰子は麻里香を見る。
 いつもであれば、預けておいたカバンを今こんな時に渡されることはない。
「それから、あまり帰るの遅くならないようにね。遅いと連絡がこっちに来ちゃうから」
「え……麻里香!?」
「それじゃあね」
「一緒に帰らないの!?」
 そうするつもりだったのに、と叫ぶ彰子に、既に歩き出していた麻里香は振り返る。
「約束があるから」
「約束って……」
 そんなの聞いてないと言おうとした彰子はしかし、麻里香が指した方向を見て納得する。つられて見た手塚も。
「ああ、そういうこと……それなら仕方がないね」
「そういうこと。それじゃあね」
「うん……また明日」
 その声に見送られ、麻里香の向かった先には明らかに年上の男性。
「…………誰っすか?」
「麻里香の彼氏」
「え?」

 …………。

 肩をすくめて言った彰子を、あっけに取られた表情で見た。
 ――――――が。

「お前たち……覚悟はいいか」

「「「「「「あっ」」」」」」

 ようやく自分たちの状況を思い出した青学レギュラー陣+1。
 その後は良くある風景。
 それを初めて見た彰子は、ポツリと呟いた。



「麻里香……逃げたね」

– END –

Posted by 五嶋藤子