理解不理解 2
「よう、こんなところで何してるんだ?」
「…………跡部か」
「何だよ、テンション低いな」
「いつものことよ」
自分だってテンション高くないでしょう?
手にしていた本に再び視線を落としながら、麻里香はため息をついた。
跡部を無視した形だが、その跡部はまったく気にした様子もなく麻里香の隣に座った。
その後ろにいつもいる樺地はいない。
「樺地君はいないのね」
視線をそのままに、周りに注意を払っている麻里香。
「休日まで一緒にいるわけじゃねえよ」
「そう……」
自分で聞いたくせにそれ以上興味はないようで、それ以上口を開くことなく視線の先に集中し始める。
麻里香が見ているのは某画家の画集だ。
跡部も何度か本物を目にしているもので、今更見る必要もないと思ってしまうもの。
麻里香の環境から言えば、同じように本物を目にしているだろうに。それでも絵画を見ることが好きなのだ。それとも描くほうだろうか。
確かどちらも好きだったよな、と思いながら跡部は座っていた。
こんな自分をテニス部の連中が見たら驚くだろうと思うが、麻里香といるとどうしてもこうなってしまう。
特に仲がいいわけではないと思う。
少なくとも麻里香はそう思っていると確信している。
はっきり聞いたわけではないが。
それでも何故自分はこんな風にしているんだろうとも思う。
麻里香と仲がいいというので思い浮かぶのは彰子と……手塚だ。
跡部よりは確実に仲がいいだろう。
その仲のいい手塚の腕を壊す一因となった跡部が隣にいて、なんとも思わないのだろうか。
確実に彰子と麻里香は自分を嫌いになったはずだと、試合後に二人の姿を見つけたときに思った。
そして今日麻里香を見つけ、声をかけるつもりはなかった。そのまま立ち去るつもりだったのに、なぜか足は麻里香のほうへ向かっていて、さらに声までかけてしまっていた。
自身の行動の理由が分からない。けれど、それ以上に麻里香の態度も分からない。
――――いつもと変わらないそれに、疑問しか浮かばない。
「俺と一緒にいて、嫌じゃないのか?」
「…………はぁ?」
長い間のあと、聞こえていたはずで、理解も出来ているはずの麻里香は眉を寄せながら跡部に目を向ける。
「理由は?」
思い当たることがないのか、逆に尋ねられて戸惑ってしまう。
本気かとも思ったが、麻里香の表情はまさにそう言っていた。
「この前の試合で手塚の腕を療養が必要なくらい駄目にしたからだろうが」
しぶしぶ、何故自分がこんなことを口にしなければいけないんだと思いながら言うと、麻里香は手にしていた画集を閉じて伸びをする。
「別に、跡部のせいじゃないでしょう?」
「んなわけねえだろ」
「違う。元々、国光は怪我をしていた。それが完治したと診断されたのをいいことに、本人が無理をしたのよ」
国光の性格じゃ、跡部が相手じゃなくてもああなってたよ。
「いつそうなるかは分からなかったけどね。むしろもっと早いと思ってたけど……たまたま跡部との試合の時だったってだけ」
麻里香の言葉から、彼女自身はまったく気にしていないことのようだ。
幼馴染なのに、気遣う風もないそれに麻里香の性格を知らない者が聞いたら確実に心証を悪くしただろう。
けれど麻里香は気遣っていないわけでも、心配していないわけでもない。
ただ、それを見せるべきは気遣うべきは本人にであって、この場合跡部ではないと言うだけ。
それは分かっているが、それでも少し気になる。
「別にさ、正々堂々真っ向勝負で勝ったんだから、跡部は気にしないでいいのよ。国光自身、こうなることは少しは考えただろうし。大体棄権してもよかったのに、それをしなかったのは国光だし、それが怪我をさらに悪化させる原因になった。跡部には何の責任もないでしょう?」
「近衛はどう思ってんだ?」
「彰子? あの子は誰が悪いとかはまったく考えてないよ。そんなこと考えたって、国光の怪我が治るわけでもあるまいし」
まあ、場合によっては跡部の考えたようなことになるかもしれないけど。でも、今回のことでそれはないよ。
「だから跡部が気にするようなことは一切なし」
あっけらかんと……笑みまで浮かべる麻里香に、跡部は複雑な思いを抱く。
「お前らは…………」
「? なに?」
けれど途中まで口にした言葉を飲み込んでしまった。
麻里香は首をかしげているけれど、考えてみればそれほど深い付き合いのない跡部自身でさえ、麻里香と彰子、この二人の性格はなんとなく察するまでの付き合いはある。
今回の場合も、言われなくてもそうだろうなとは感じていた。
ただそれよりも自分がしたことによる結果が大きすぎて、そんなことあるわけないと勝手に思っていただけだ。
「いや……なんでもない」
二人が単純なわけじゃない。
単に一本筋の通った考えを持っていて、ちょっとやそっとじゃそれを曲げない意志の強さ――――己を律する強さを持っているだけだ。
それを分かっていない周囲が勝手に『こういう場合はこんな風に考えるだろう、“誰でも”』と思って、それを二人に当てはめるだけだ。
そんな二人に救われ、けれどどこかでまだ自分を悪く思っているのではないかと考えてしまう自分がいることに、跡部は自嘲的な笑みを浮かべる。
「跡部?」
「いや…………俺もまだまだだと思ってな」
「はあ?」
何のことだと首をかしげる麻里香に、分からないなら分からないままでいいと跡部は首を振る。
そしてそもそもこういうことになった理由を聞いた。
「で、醍醐は何でこんなところにいるんだよ」
お前のうちはこの辺じゃないだろうが。
「それは跡部にも言えることでしょう?」
「俺は近くのコートで部のやつらと打つ予定なんだよ」
「へー。まじめね、負けたのに」
「…………」
「いやみじゃないよ。単に、負けちゃって引退したんでしょう? それでも休まずに次に進もうとするのはすごいと思っただけよ」
「お前だって俺と同じ立場に立ったらそうするだろ」
「…………まあ、そうだね」
あっさりと肯定した麻里香に、跡部はがっくりと肩を落とす。
それにくすくすと笑いながら、麻里香は跡部の質問に答えた。
「私は近くであってる美術展を見た帰り。一緒に来た人に急に仕事が入って行っちゃったから。けど、せっかっく来たのにすぐに帰るのもね」
「ああ……」
そう言えば近くの美術館にポスターが貼ってあったなと思い出しながら、ついでに麻里香が言った一緒に来た人まで分かってしまった。
しかしそのことは口にせずに、それならばと提案をする。
「お前も来ないか?」
「へ?」
「どうせ美術展の後にテニスする予定だったんだろ」
そう言って跡部が指したのは麻里香の横に置いてあるラケットとシューズが入っているだろう大きさのバック。
麻里香はテニス部ではないし、テニスクラブに通っているわけでもない。
けれど小学校に入る以前からテニスをしていたし、強いことも知っている。
どうかすれば彰子より強いのではないかとも思う。
本人が認めるとは思わないが……それでも、そんな麻里香が加われば、これから打ち合うやつらにとっていいことだと思う。
氷帝の女テニも強いが、男テニ正レギュラーにはなかなかかなわない。
けれど麻里香なら……。
「まあ……そうだけど」
テニス部に所属していないとはいえ、麻里香はテニスが好きだ。
今も跡部の誘いに乗りたそうにしている。
それが分かるし、何よりやったことのない相手と打てると言うのは、彰子もそうだが麻里香も好きだろう。
それくらいは簡単にわかる。
「なら行こうぜ。そろそろ時間だしな」
「…………行く」
時計の確認と、おそらく頭の中で今後の予定を思い返したのだろう。
そもそもテニスをする予定だったのなら、この後はきれいにあいているはずだ。
そう考えた跡部に、麻里香は頷いて立ち上がった。
決めた後の麻里香は行動が早い。
ゆっくり歩き出した跡部の隣に並んで歩いているが、早く行きたそうな雰囲気を出している。
それがおかしくて笑みをこらえながらも跡部は約束したコートへ向かった。
そこには氷帝男テニ元正レギュラー全員が待っているはずだ。
– END –