鳥籠姫 16

 目を開けるとそこには真っ白な天井が広がっていた。
 一瞬自分の宿泊しているホテルの部屋かと思ったけれど、どこかちょっと違う。
 それじゃあここはどこだろう。
 そんなことを思いながら瞬きをして腕を顔の上に持ち上げる。


「ああ、気付いたの?」


 声が聞こえた。
 その方向を見ると茶色の髪の女性――――――浦飯チームの応援をしていた人たちの中の一人だった。
 何故ここにいるのか不思議に思って見上げていると、その人は近付いてきて私の顔を覗き込む。
「気分はどう?」
「え…………いえ、大丈夫です」
 心配顔で聞かれ、私はそう返した。
 実際、それほどどこか悪いわけでもない。
 そんな状態なのに寝ているのもどうかと思って、そして部屋は電気がついているわけでもなく、陽の光だけで十分明るかったから昼に近いはずで、それならもう起きなければいけない。そう思ってゆっくり起き上がる。
「あ、起きたんだね」
「ホント……良かった」
 そんな声が部屋の隅から聞こえてきて、見れば扉を開けて数人の女性たちが入ってくる。
 みな、浦飯チームの関係者だ。

「夜遅くに蔵馬が急にあんた連れて来るからびっくりしたよ~。しかも首に絞められた跡あったし」
 そう言って水色の髪をした子――妖怪ではない…だからといって人間でもない子――は私の首元を覗き込む。
 そして「ああ、やっぱり少し跡が残ってるねえ……。蔵馬に頼んだら治してくれるかねえ」と呟く。
「え……?」
 その言葉に私は不思議に思って首に手を当てる。
(絞められた……跡?)
 何のことだか分からない。
 微かに首を傾げる私の様子に、周りにいる人たちは少し困ったような表情をする。
 それでも最初に私に声をかけた女の人が口を開いた。
「……覚えてないかい?」
「…………何を、ですか?」
 一瞬の間のあとに言った私。
 でもすぐに、ぱっと頭の中で映像が流れた。


「――――――ぁ……」


 瞬間、体が震えだした。
「だ、大丈夫かい!?」
 そんな私の急激な変化に周りの人たちは慌てた様子で聞いてくる。
 それでも私はあまりその声は聞こえない。
 ただ思い出したことに震えて――――多分、怯えていた。
 周りの人たちは私に声をかけてくれたり、背中をさすってくれたりしている。
 けど、私はそれに何の反応も出来ずに…………反応を返す余裕も、方法もなく震えている。


「藤堂さん?」


 そんな中で急に名前を良く知った声に呼ばれ、はっとした。
 見れば、部屋に南野君が入ってくるところで……その姿を見た瞬間に、今度は別の震えが体の中を駆け巡る。
 無意識に後ずさりまでして……でも今私がいるのはベッドの上。どこにも逃げるところはない。
(――――――なんで、逃げるなんて……)
 そんなことをしている私。
 でもそれが私自身にもなぜか分からなくて。
 混乱しながら近付いてくる南野君を見上げていた。


 なぜこんなに震えているんだろう。


 南野君はいつもの南野君なのに。
 それに彼は“妖狐”なのに――――――。
 そんなことをぐるぐる考えていると、南野君は私に近付いて来た。
 ベッドヘッドに背中がついてしまっても、なぜか体が後ろへ下がろうとする。
 それに気付いているのかいないのか南野君は側に来て手を上げ――――――


「……っ」


 ビクッと肩を震わせると、南野君は手を止めた。
 表情を見れば――――悲しそうな、心配そうな……寂しそうな表情をしている。
「ぁ……………………ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
 謝る理由はないでしょう?
 そう言う南野君に、私は首を振った。
 ――――――南野君の言う通り、私が謝る理由なんて明確に分からないけれど……なぜかそう言っていた。
 そして私は布団を握って下を向いてしまう。
 周りにいる人たちは途惑ったように私たちを見ていた。
 それでも声をかけることはなく、ただ私達の様子を静かに見ている、そんな感じだった。
 そんな時、ふっと温かな空気が私のまわりを取り囲んだ。


 ――――――いや、これは空気じゃなくて……妖気。


 南野君の……妖気だ。
 そう理解した瞬間、側から女の子の声が聞こえた。
「蔵馬、何泣かせてるんだい!!」
 叫んでいるようだったけれど、その声はそれ程大きくはなかった。
 多分私に気を使っているんだろうなと……そんな風に思う。
「藤堂さん? どうかした!?」
「えっ?」
 南野君の焦ったような言葉にぱっと顔を上げると、その表紙に手にぽたぽたと何かが落ちてきた。


「……あれ?」


 見れば、水で。
 そうしてようやく私が泣いていることに気付いた。


「……なんで……私…………」


 泣いてるの?


 そんな言葉が口から漏れた。
 南野君は、そんな私に途惑った雰囲気を出しながらもそっと手を差し伸べて、私の頭を撫でてくれた。
 その仕草は優しくて、まったく似ても似つかない手と……妖気なのに、あるひとを思い出してしまった。


「っ……う……」


 とうとう、声を押し殺して私は泣き出した。
 周りはそんな私を見てどうすればいいのか分からずに途惑っているのが分かる。
 それが分かっていても私はただ泣き続けた。
 すると――――――

「っ……!」


「――――――大丈夫。泣いていいよ」


 そんな声をかけられ、私は南野君に優しく抱き寄せられていた。
 彼の妖気と……何より優しさと。
 それから私の気持ち。
 そんな様々なことが理由だと思う。
 ――――――南野君にすがり付いて声を上げて泣き出してしまったのは……。


 こんな風に泣いたのは、一体どれくらいぶりだろう。


 ――――――きっと、お母さんが亡くなった時以来じゃないかと思う。





「――――――落ち着いた?」

 ようやく泣き止んだ私に、南野君は尋ねた。
「うん……ごめんね、迷惑掛けちゃって……」
 自分の今の状況が分かれば、どんなに困ったことになっているかよく分かる。
 そしてふと、部屋には私と南野君しかいないことに気付いた。
 ――――――私の状態に気を利かせて席をはずしてくれたんだろうか。
 そんなことを思いつつ、目を真っ赤にしながら南野君を見上げると、少し困ったような表情をしている南野君と目があった。
 その理由は大して仲の良くない私が泣き止むまで待っていたことか――――それともこんなところで会ったことか……。
 それにようやく気付いて、すっと冷たい汗が流れたけれど、南野君は表情はそのままにぽつりと言った。


「藤堂さんが妖怪なのは知っていたけれど……まさか“妖狐”だとは思わなかったよ」


「ぇ……」
 急に、そのものずばり私の正体を言われ途惑ってしまう。

 ――――――どうして私の正体が分かったの?

 そんな戸惑いが表情に出ていたんだろう、南野君は右手を私の頭に持って行き――――――


「気付いてなかった? ――――――藤堂さんが倒れていたのを見つけたときは既に耳と尾はあったよ」


「…………っ!!!!」


 そう言われ、手を頭の上に持っていくとそこには獣の……狐の耳が生えていた。
(封印が……解けちゃったんだ……)
 自分でも顔が真っ青になったのが分かる。
 お母さんが生前施してくれた私の妖狐としての耳と尾を隠すための封印。
 それが……きっとあの時――――戸愚呂に首を絞められたときに解けてしまったんだ。


 ――――――命の危険にさらされると、解けてしまうから気をつけて。


 そうお母さんに言われていたのに……。
 でも、あの時に解けたのだとすると……南野君はおろか、さっきまでいた人たちにも見られていたことになる。
「っ――――――」
 耳を押しつぶすように手に力を入れた。
 ……狐の耳を隠すように。


「藤堂さん――――――」


 そんな私の手を取って、南野君はゆっくり私の手を頭から離そうとする。
 それに反抗するように力をまた入れると、今度は優しい、けれどどこか寂しそうに南野君は聞いてきた。



「藤堂さんは、妖狐である自分が嫌い?」



「……え?」
 一瞬の間の後、私は顔を上げてそんな情けない声を出していた。
 見上げた南野君の表情は真剣で、どこか悲しそうで。
 どうしてそんな表情をするのか分からなかった。
 けれど、聞かれたことには答えられた。
 ――――――答えた、と言うよりも首を横に振ったのだけれど。
「それじゃあ、どうして耳を隠すの」

 嫌いじゃないのなら、隠す必要はないでしょう?

 そんな風にさらりと言われて途惑ってしまう。
 そうなのかもしれない。
 そうなのかもしれないけれど……。


「隠さなきゃ、人間の社会で生きていけないでしょう? それに――――――」


 南野君はいいかもしれないけれど、他の……人は怖いでしょう? 明らかに人間とは違うものを持っていたら……怖がられるでしょう?


 そんなことを言えば、南野君はあっけに取られた後に、ふっと笑った。
「……南野君?」
 どうしたの、と聞けば少し笑いを残したまま、南野君は言う。
「そのこと……。一応今ここに泊まっている人たちは大丈夫ですよ。人間じゃないひとも二人泊まっているしね」
「それは……知ってる。けど、その二人は人間でも通じる外見をしているから」
「……そのこと。でも、あの妖怪が沢山いる中で暗黒武術会を観戦していた人たちがそれくらいで怖がるとは思えないよ」
「ぁ……」


「だから、そんなことしなくても大丈夫」


 そう言うと南野君は私の手を取って下におろす。
 今度は私はされるがまま……。





「それで藤堂さん……聞きたいことがあるんだけど……」
 でも実はこれからちょっと用事があってね。
 ようやく私が落ち着いたことを確認して、南野君はそう言った。
 “聞きたいこと”に関しては、別に疑問に思うこともなく――――南野君の立場だったらそうだろうなと思うことだった。
 でも、そうあっても“用事”の方が大切のようで……。
「すべて終わってから聞きたいんだけど……いいかな?」
「いいけど……用事?」
 首をかしげながら聞けば、微かに笑って――辛そうにではあったけど――


「明日は……決勝だからね」


「……っ」
 南野君の言葉に息を呑んだ。

 ――――――そう言えばそうだった。
 すっかり私の頭の中からそのことは飛んでいたけれど。
 南野君は、明日のためにやることがあるんだ。
 それを理解すると私はそっと手を伸ばし、南野君の服の裾を握ると口を開いた。



「――――――死なないでね」



 その言葉に、一瞬ぽかんとしたような表情をしていたけれど、すぐに表情を変えた。
 少し、困ったような表情をしていた。
 死ぬつもりなんだろうかと思ったけれど、そんなことはないと思い直す。
 “すべて終わってから聞く”と言うのは、“この大会が終わってから”と言うことだろうから……。
 そう思い至って、そっと手を離す。
「私も……南野君に聞きたいことがあるの……いい?」
 そう代わりに言うと、今度は南野君も微かに笑って頷いてくれた。



「それじゃあ、オレはもう行くから。何かあったらさっきいた人たちに言うといい……彼女たちは藤堂さんが妖怪だとしても気にしない人たちばかりだから」

「うん」



 私がはっきりと頷くと、南野君は部屋を出て行った。
 私はただそれを見送る。
 内心で、昨日の出来事に不安や悲しみがあるけれど……それでも今は何とか落ち着いていられた。
 これからどうなるかは分からないけれど……とりあえず、今は――――――。

– CONTINUE –

Posted by 五嶋藤子