離れられない
「灯香様、蔵馬様がいらっしゃいません!!」
そう叫びながら駆け込んできた部下に、顔を上げる。
「…………どこかでサボっているのではないの?」
千年以上前から習慣になっている蔵馬の行動を言えば、部下は首を横に振った。
「いいえ……里の中に気配はありません」
「…………」
「それどころか…………蔵馬様が里の外に出られるところを見た者がいます」
「――――なんですって!?」
一瞬の間のあと、私は叫びながら立ち上がっていた。
普段の私を考えればありえない行動。そのために報告をした部下は一歩下がったけれど今は気にしてはいられない。
「何時見たの!!」
「……午の刻頃です」
「あの子はっ……!!」
部下の怯えを含んだ返事に私は歯軋りをした。
(何を考えてるのよ、あの子は!!)
自分が周囲にどんな影響を与えるのか、まったく分かっていないんだから!!
そう思いながら私は突っ立ったままの部下と仕事を放り出して、部屋を出た。
向かったのは巫女のところ。
一番あの子がどこにいるか分かるし、対策も立ててくれる。
……はず。
大体、あの子に――蔵馬にことの重大性を教えていないのが間違いの元なのよ。
みーんな、あの子に甘いんだから。
その中に確実に含まれる自分を考えると嫌になってしまう。
――――――どうしてみんなあの子に甘いのよ~。
「それは蔵馬の半分が深透だからではないの?」
「うわあ!!」
目的の巫女の声が背後から聞こえて私は飛び上がってしまった。まあ……飛び上がると言ってもたいした高さではないけれど。
慌てて振り返れば、巫女が首をかしげながら立っている。その後ろには巫女が言うところの「巫女の半分」であり、守である男が立っている。
「心を読まないでください」
そう言ったけれど、思ってもみなかった返しがくる。
「あら? あなたが口に出していたのよ。……それより、つい先ほどあなたの部下に会って、あなたが私のところに向かったと聞いたのだけれど……」
何の用かしら?
おっとりと問われ、私はきちんと巫女のほうを向いて言う。
自分が考えていたことを口に出していたことは改めて確認はしない。そんな暇も惜しいし、そもそも巫女は嘘をつかない。
――――いや、つけない、か。どうでもいいことだけど。
今しなきゃいけないことは一つだ。
「蔵馬が里を出ました。早く見つけて連れ戻さないと――――――」
「あら、それは必要ないわよ」
…………
「はい?」
「必要ない、と言ったのよ」
上手く飲み込めなかった私の反応に、巫女はきっぱりと言い切った。
巫女の守を見ても表情を変えないから何を考えているのか分からない。元々言葉数が多いわけではないから、こちらから尋ねなければ口を開いてくれないのだ。
「……何故です?」
同胞の安全に関わることになるとこの里の妖狐は神経質になる。自分達がどんな存在かを理解しているからだ。その中で更に気をつけていなきゃいけない蔵馬のことになると、巫女でも他人任せには出来ないはず。
そう思って聞くと、とんでもないことを教えてくれた。
「蔵馬は魔界にはいないわ。……と言うより、人間界で既に人間に捕まってしまったようね」
「なっ…………」
さらりと言われたことにショックを受けてしまう。
「そんなっ……助けないと……」
「どうやって?」
「それは……」
言われて何も言えなくなってしまう。
現状で、出来るはずがないんだから。
「蔵馬は空間を繋いでしまったようね。既に閉じられていたから、追いかけることも出来ないわ」
巫女がそう言うのならそうなのだろう。
蔵馬以上の空間使いならば後を追うことも可能だけれど……残念ながら、そんな同胞はいない。
「じゃあ、見捨てるんですか?」
基本的に、そんなことは私達の考えにはない。里の結束は固いから。
けれど、だからと言って、ミイラ取りがミイラになるようなことは出来ない。
そうすることが、蔵馬を見捨てることになることが分かっていても。
「いいえ、そんなことはしないわ」
首を横に振る巫女に、私は首を傾げてしまった。
助け出す方法が分からないのであれば、誰も人間界へ向かわせることが出来ない。そもそも簡単に人間界に行けて、あの子を助け出すことが出来る者はいない。
それを考えれば、巫女の言葉には矛盾がある。
けれど巫女が考えもなしに言うわけがない。
だから私は巫女の言葉を待った。
「蔵馬は深透が助け出すわ」
迷いのない、既に決まっていることだと話す巫女。
私には分からない感覚だ。巫女の後ろにいる同胞にも分からないだろう――――巫女以外の妖狐には決して分からないことだ。
それを笑みを浮かべて言い切った巫女は、更に続けた。
「深透は今人間界にいるわ。そして、幾日か後に蔵馬と再会する」
その時に深透は蔵馬を助け出すわ。そしてそれ以降、決して蔵馬が人間に捕まるようなことにならない様、見張っているでしょうね。
歌うようなそれに私は内心でため息をついた。
昔から、言葉の端々に色々な情報をさりげなく入れてくる同胞と付き合ってきたからなのか、私は自分ではしないけれど、巫女達のような同胞の何気ない一言に隠された事実をつかむのが上手くなっていると思う。
つまり――――
「蔵馬は二度と里には戻らないのですか?」
と言っているのだ。
けれど巫女は首を傾げる。
「さあ……さすがにそこまでは言い切れないけれど。でも、深透が一緒でなければ戻らないでしょうね」
「そうですか……」
はあ、とさすがに今度はため息を隠さない。
深透が側にいるのならいいけれど、だからと言ってその深透が簡単に里に戻って来るはずもない。
なにせ、千年以上前にすべてを捨てて出て行ったっきりなんだから――――。
「灯香は、それが嫌かしら?」
「…………はい?」
急に自分の名前が出てきても、すぐに反応が出来なかった。
見れば、巫女が困ったような表情で私を見ている。
自身の言葉を私が理解していないと思ったのか、巫女はもう一度言った。
「灯香は蔵馬が深透と共にしか戻ってこないのは嫌かしら?」
「いえ、そう言う訳では……」
ないんですが……。
最後のほうは尻すぼみになってしまう。
それと一緒に視線が下がって行く私に、巫女はくすくすと笑った。
私の考えていることなんて、巫女には何もかもお見通しなんだ、きっと。
「もうこれ以上、蔵馬と深透を離しておくことは出来ないのよ。それは灯香、あなたも同じ立場になったらと考えたら分かるでしょう?」
「……分かっていますよ」
そう、私達里の同じ名前を持った妖狐同士が長く離れていることなんて出来ない。
と言うより、離れていようと考えることもない。
蔵馬たちは例外。今まで他にそんな同胞がいたとは聞いたことがない。
里の外に出たとしても……二人一緒に、と言う場合ばかりだ。
深透のように……同じ名前を持つ者を置いて出て行くことなんてありえない。
――――――千年以上前、深透が蔵馬を置いていくとは思わなかった。
出て行くだろうなとは思っていたけれど、その時は蔵馬も一緒だと思っていた。
けれど実際には深透は蔵馬をおいていった。
その時深透と蔵馬のその後の生は分かれたと思っていたのに――――。
「どうなるか分からないものですね」
「あの子達が?」
「はい」
「そうね……でも、予想できた中にはあったわよ。ただ、ここまで蔵馬が我慢強いとは思わなかったけれど」
もう少し早く出て行くかと思ったわ。
さらりと言われた言葉に頭痛がしてきた。
ということは、巫女は蔵馬が深透の後を追うと考えてもいたわけだ。出て行かない可能性も考えてはいたけれど。
そして、それは注意して蔵馬を見ていることも可能だったということで――――
「どうして注意していないんですか! 蔵馬をひとりにしたらどんなことになるか分かっているでしょう!?」
再び叫んでしまう。
けれどそんなこと意に介さない様子で巫女は答える。
「それでも離れ離れにしておくことのほうが問題よ。――――お互いを思いあっているのならなおさら」
「…………」
「分からないわけはないわよね?」
「…………はい」
自分に置き換えてみればよく分かる、と言われては頷くしか出来ない。
私だって、私の半身がいなくなってなお穏やかに暮らせはしない。
そんな状態で千年以上暮らしてきた蔵馬と深透はすごいと思うし、もう無理だと里を出て行った蔵馬の気持ちも分からなくはない。
ただ……それでも蔵馬のことを考えると穏やかではいられない。
「あなたが蔵馬の身を案じるのは仕方がないとは思うけれどね。そして蔵馬はそれを分かっていたでしょう。それでも深透のところへ行きたいと思ったから……我慢できなかったから行ったのでしょう。それを私達は止めることはできないわ」
結局、蔵馬のことは深透に任せるしかないと巫女は言った。
そして大丈夫だろうとも。
自信を持って言われてしまえば私がどうこう言うことは出来ない。
この里は巫女によって回っていると言っても過言ではないからだ。
もちろんすべて巫女が決めているわけではないし、大体のことは他の者で手分けしている。
けれど重要なこと……私達や里に関わる外部とのことには巫女の力が必要だ。
――――未来を見通す巫女の目が。
「はあ……」
だから今度のことは巫女に逆らえないんだ。
そんなことを思いながら本日一番深いため息をつく。
今はひとりで部屋に戻っているところだ。慌てて出て来たから、今頃部下は右往左往しているかもしれない。仕事が溜まってて。
「どうせなら、千年以上前のあの時に追いかけてれば良かったのよ」
そうすれば今回みたいに人間に捕まることもなかったでしょうに。
自分はただ待つしかないと知ったら今度は愚痴が口をつく。
「別に私達は二人一緒なら心配はしないわよ」
今している蔵馬自身への心配も、深透にだって当てはまる。
ただ、深透が千年以上の間それのせいで捕まったことがないから、深透は大丈夫だと思っているだけ。
それだけのことだ。
「あんなに貴重な“色”じゃなければ心配は一切しないのに――――」
そう呟いて私は自分の髪を見る。
その色はくすんだ金色。
妖狐としては珍しくもない色だ。
里の外にいる妖狐にだって、こんな色の者は沢山いる。
逆に珍しいのは銀色。
特に蔵馬や深透の様に、純粋な銀と言うのはそうそう生まれるものではない。
他に珍しい色なのは巫女だけど、彼女は里の外には出ない。だから他の妖怪が狙うこともない。
けれど……蔵馬たちは違う。
簡単に外に出てしまう。
だからみんな心配していたんだ。
美しいと言われる里の妖狐。
その中で更に珍しい色を持つ妖狐。
そんな者がどんな目で見られるかなんて…………分かりきってて嫌なんだ。
まあ、あの二人の場合はそれだけじゃなく、持っている力も利用できるから神経質になってしまうのだけれど。
「そんなに弱くないことも知ってるけどね」
それだけ鍛えられてきたから。
それでも、と思うのは私が彼らよりも年上だからだろうか?
「まあ、巫女が大丈夫と言うなら大丈夫だろうけど……。それでも早く戻ってきてよ」
ちゃんと自分の目で確認しないと、どうにも安心出来ない。
巫女の見ていないところで何をしでかすか分からない二人なんだから――――。
– END –