7. 狂い咲き

「どうしても行くの?」
「ああ……」
 森の出口まで来たとき、これが最後かもしれない。いや、きっと最後だと言う思いが強くなった。
 だから分かっていたことだけど、それでも聞かずにはいられなくてそんな風に蔵馬に尋ねた。
 …………返ってくる言葉も分かっていたし、実際その通りの言葉が返ってきた。
「――――――そう」
「喜雨?」
 不思議そうな表情で、蔵馬は私を振り返った。
 きっと、そんな蔵馬はどうして私がそんなことを聞くのか分かっていない。
 どんな思いで私がいるかなんて、予想もつかないんだろう。
「どうかしたのか?」
「…………なんでもない」
「そうは見えないが?」
「なんでもない」
「――――――」
 どうしても理由を言わない私に、蔵馬は諦めたようだ。
 簡単に諦めるような蔵馬ではないけれど、私の性格は幼馴染の彼は良く分かっている。
 その反対もまた然り。
 だから私たちはいつの頃からか、お互いのすることに何も言わなくなってしまった。




 今日、今から蔵馬は妖狐の邑から出て行く。




 別に誰かといざこざがあったとか、そう言うことではないけれど。
 それでも出て行ってしまう。


 ――――――盗賊に、なるために。




 だからこれでお別れ。
 きっともう会うこともないだろう。
 蔵馬は蔵馬の、私は私の生き方があるから…………。


 決して、連れて行ってとは言えない。
 言えるはずもない。
 私が付いて行けば、蔵馬の足手まといにしかならないのだから。
 私の気持ちがどうであろうとも。


 でも、だからこそ…………



「蔵馬」



「なんだ?」
 振り返り、表情を変えずに言う蔵馬に私は最後のわがままを言った。





「――――――満開の……蔵馬が咲かせた満開の花が見たい」





 もう、蔵馬が植物を操る姿を見ることが出来なくなるなら――――――――――――










「ちがう…………」
 その植物を見たとき、最初に私はそんなことを思った。
 そして無意識のうちにそれを呟いていた。
 でも、それは仕方がないことだと思う。


 私はあんなに儚い花は知らない。


「…………蔵馬」
 もう二度とその姿を目にすることはないだろうと思っていたひとの名前。
 それでも何の因果かまた目にすることが出来た。
 そして私が一番美しいと思っていた植物を操る姿も――――。


 でも、その姿も違う。
 私の知っている、大好きな銀色の髪に金の瞳じゃない。
 赤い髪、緑の瞳――――――人間の、体。
 でも操る力はあの『妖狐蔵馬』そのもの……。


 どうしてそんな姿なの。
 どうしてそんな風に戦うの。
 どうしてそんな――――――表情をするの。


 決して昔は見せなかったもの。
 そんな行動を、表情をするなんて『妖狐蔵馬』には考えられなかった。



「――――――蔵馬」



 名前を呟けば、妖怪に支えられていた蔵馬が顔を上げた。
 聞こえるはずないだろう、見つからないだろうと思っていた距離を蔵馬はやすやすと越えてしまう。
 隠れていた私を探すまでもなく見つけ出してしまった。



「…………喜雨」



 呆然と、信じられないものを見たという表情で私を見ていた。
 そんな表情ですら初めて見る。
 だからだろうか、こんなに胸が痛むのは。


「蔵馬? どうしたんだ?」
 蔵馬の周りにいる妖怪たちが、急に顔を上げた蔵馬を不思議に思ってその視線の先を追った。そしてその先にいる私を目に入れると、皆なぜか驚いた表情をする。蔵馬と私、交互に目をやって……でもそれ以上何かするわけでもなく。
 その場から立ち去ることも出来たけど、簡単に離れられるわけもない。だから私は木の陰から出て、その姿を見せる。
 少し、蔵馬の周辺が騒いだけれど気にしない。
 その時になってようやく、植物たちが蔵馬に私のことを教えたのかもしれないと思い当たった。考えるまでもなかったけれど、蔵馬は植物たちに慕われた存在だから……。
 そんなことを考えながら私は人間の姿をした蔵馬を見つめる。
 それ以上一歩も動かずに……一言もしゃべらずにいれば、蔵馬の方から支えられた腕を解いて一歩、私のほうに足を踏み出した。
 でも、蔵馬は試合を終えたばかりで。
 しかも相手は相当の手練だったから……勝ったとは言え無事じゃない。支えがなきゃいけないことくらい、私にだって分かる。
 それでも蔵馬は周りが支えようとするのを断って、しかも先に戻るように言って私に近付いてくる。
 でもその足元はおぼつかない。
 まず、無理なんだ。一人で歩くことなんか。
 それは周りも分かっているんだろう。けれど分かっている表情はするものの、誰も実際に行動に移そうとするものはいなかった。
 まあ、私が同じ立場でもしないと思う。
 蔵馬の性格を考えれば分かることだ。


 でも――――――。


「「「「蔵馬!!???」」」」


 足をもつれさせて、その場に倒れようとした蔵馬を、誰よりも先に私は支えた。
 そしてこのときになって、蔵馬と私の身長差がそれほどないことに気付く。
 それどころか、私の方が少し高いかもしれない。
 そんな私の身長は――――妖狐の中では低い方なのに……。だから昔は蔵馬を見上げなければその顔が見えなかった。蔵馬は妖狐の標準的な身長だったから。
 こんなところでも昔との違いを見つけて落ち込んでしまう。



「ごめん……喜雨」



「……それは何に対して?」



「――――――――――――いろいろとね」



 分かったような、分からないような。
 そんな言葉を言った蔵馬を、私は黙って抱きしめた。
 ああ、どうしてこんなに細くなったんだろう。
 人間と妖怪。
 それを比べるからいけないのかもしれない。
 でも、やっぱり――――――。



「――――――馬鹿」



 周りが驚いたのが分かった。
 途惑っていることが良く分かる。
 けど、私は蔵馬の肩に顔を埋め…………それ以上何も言わずにいた。
 そんな私に苦笑して、少し困ったような表情をしているんだろうな、蔵馬は。



 それから。
 周りから私たち以外の気配が離れて行った。
 気を使ったのか、呆れたのか。理由は分からないけれど、少しありがたい。



「喜雨…………聞きたいことがあるんだけど」


 私たちだけになると、私が口を開く前に蔵馬がそう切り出した。


「……奇遇ね、私も聞きたいことが沢山あるの」



 教えてくれる?
 そう言いながら顔を上げて蔵馬を見れば、ふっと昔は見せてくれなかった表情がそこにはあった。



「何を?」



 まず私が聞きたいことを優先するために、そんな風に先を促す蔵馬。
 それにまた驚きながら……私は聞く。



 今一番知りたかったことを。





「あの花はなんていう名前なの?」





 儚い花。
 さっき咲いたばかりなのに、魔界の空気のせいなのか、花びらを散らせている花。


 昔、蔵馬に見せてもらった花とは比べ物にならないほど――――――儚く、そして美しい花。


 最後だと思って見せてもらった花は、魔界の花らしくて、その時はあの花が一番美しい花だと思っていた。


 でも――――――今思うと、毒々しい。
 そんな風に思ってしまう。
 嫌いなわけではないけれど。
 蔵馬が見せてくれた花だし――――――。


 それでも、あの花にはかなわない。


 そんな風に思ってしまう私がいる。




「ああ、あれは――――――」










「なぜ花が見たいんだ?」

 尋ねられて、少し笑って答える。

「だって……もう花が咲くところを見れないかもしれないから」
「そんなわけないだろうが」
 呆れた口調で言う蔵馬。
 銀色の、妖狐の中でも美しい髪が風に流れる。
 それに対して私は首を振った。
「そんなことないよ。蔵馬がいなくなったら……植物たちもきっと蔵馬がいるとき以上に綺麗な花は咲かせないよ」


 そんな風に言っても蔵馬は分からないと言う表情をする。
 それでもいいから花が見たい。
 そう言えば理由も分からないまま、蔵馬は花を見せてくれた。


 大きな大きな、大輪の花。


 もう見ることの出来ない美しい花たちの咲くところを――――――。



 咲き乱れるところを。



 これから先も蔵馬は知ることはない。


 私の気持ちも、花たちの気持ちも。





 どちらの本当の気持ちも――――――きっと。

– END –

Posted by 五嶋藤子