1. 主と僕

「おはようございます、ご主人様」
 少女にしては低い声で朝の挨拶がもたらされるのが、今のオレの日課になっている。
 
 
 
 
「本日のご予定は、午後一番に会合が入っております。お客様はエンヴィー様―――」
「内容は東部での事業共同計画………か」
「はい………」
「相変わらず………諦めていないってわけか」
 ふん。
 そうしたオレの態度にロイはうかがうような目を向ける。
 
 
 ロイはこの家の………いや、オレのメイド兼秘書だ。
 数年前に雇い入れ、その時はまだこの家の―――エルリック家のメイドだった。
 それから少ししてその優秀さがオレの目に留まった。
 何事も一度言われれば二度と同じ間違いや失敗はしない。
 何より小さなことでも見逃すことはなく、何をやってもオレにとって心地いいものでしかなかった。
 だから、オレ専属のメイドにした。
 だが、すぐにそれだけではその能力は勿体無いことに気付いて。
 それからは秘書の仕事もしてもらっている。
 もちろん家の中だけで、外へ連れて行くことなんてしない。
 そんなことをすれば、へんな男に目を付けられてしまう。
 それがオレには耐えられないと気づいたとき、同時にロイへの気持ちもはっきりと分かった。
 
 だが、それを伝えることはしない。
 オレはロイの主人だから。
 ロイはオレに雇われているから。
 ロイに雇い主のオレの言葉を拒否することが出来ないことくらい、数年でも一緒にいればイヤでも分かる。
 
 だから言わない―――オレの気持ちは。
 
 
 
 
 
 
 ヤツとの会合はそうかからなかった。
 断り続けるオレと諦めないあいつ。
 今回も大して進展はない。
 大体片方の利益に繋がっても、もう片方ががそうとは限らない。
 相手側とオレのほうはまさにそれだった。
 滅多にオレに意見しない……というかしないと言い切っていいロイですら、こちらに利はないと言い切ったんだ。オレが意見を求める前に。
 そんなところと協力する気はさらさらなかった。
 
 
 それともう一つ。
 あいつ―――エンヴィーのロイを見る目が気に入らなかった。
 まあ、こんなこと言えないけれど。
 
 
 
「じゃ、また来るよ。その時はもっといい話が聞けることを祈ってるから」
「何度も言うが、これ以上の話はない」
「……そんなに怖い顔することないでしょ。分からないよ、明日になったら変わったなんてことは十分に考えられる」
「ない」
 そうきっぱりと言って睨むと、エンヴィーは「おお怖っ」っと言って席を立った。
 そのまま部屋を出る。
 気は進まなかったが、仕方がないのでロイに玄関まで送らせる。
 ほんとに、イヤだったけれど。
 
 
 
 
 
 
 それから気付いたら大分時間が経っていた。
 実際はそれほどでもないのだけれど、ロイはヤツを見送ったらすぐに戻ってくるはず。
 なのに玄関まで見送るのにどうしてここまで時間がかかるんだと言うくらいは時間が経っていた。
 嫌な予感がして部屋を出た。
 そして思い出すのはあのエンヴィーのロイを見る目。
 間違いなくロイを狙っている目だ。
 男として。
 それを今更のように危険に思って舌打ちした。
 よくよく考えてみれば、今いた部屋から玄関に行くまでの間にいくつか身を隠すスペースがある。
 そしてこの時間、この家で働いてる人間はみな忙しい。
 そんな隅まで目を向けるやつなんていやしない。
 それがエンヴィーに有利に働いてしまうなんて、考えたくもない。
 
 まず、ロイだって抵抗できないだろう。
 ロイは女でエンヴィーは男。
 力の差は歴然だ。
 しかもエンヴィーは一応………一応客で、オレの仕事相手。
 それに怪我でも負わせたらロイの立場どころかオレの立場も危うくしかねない。
 オレはそんなの痛くもかゆくもないが、ロイならそんなこと絶対にしたくないと考えるだろう。
 そこをエンヴィーは突いたんだ。
 
 
「くそっ!!」
 
 
 足を速め、何箇所目かの隅を覗いたとき、そこに思ったとおりロイとエンヴィーがいた。
 
 
「何をしている!!」
 そう怒気をはらんで叫べば、二人とも気付いていなかったんだろう、ばっと顔を上げてオレを見た。
 ただ、その後の反応は違った。
 ロイは泣きそうな顔を真っ青にし、震えていた。
 そしてエンヴィーは………オレが来たというのにニヤニヤと笑ったんだ、オレを見て。
「あーあ、残念。いいところだったのに」
 そう言うと、エンヴィーはロイから離れた。
 それを睨みつつ、ロイとエンヴィーとの間に体を滑り込ませる。
「エンヴィー。オレを怒らせたらどうなるか分かっているだろう?」
 そんなにオレを怒らせたいか。
 そう言えば、エンヴィーは肩をすくめた。
「まさか。そんなことをしたらただではすまないことくらい分かっているよ」
 ただ、この秘書さんに興味があったのと…………
 
 
「君がどんな顔をするのかなーと思ってね」
 
 
「それだけの理由でか?」
「十分な理由でしょ?」
「出て行け。そして二度と来るな」
 ただそれだけ言うと、オレはエンヴィーを玄関へと促した。
 ロイを置いていくことになるけれど、エンヴィーがちゃんと家から出るまで安心は出来ない。
 他の人間に任せるわけにもいかず、結局オレがエンヴィーが出て行ったのを確認した。
 出て行き際、
「大切ならそうと本人に分かるように守ればいいのに」
 と言う言葉を残していった。
 それにイラつきながら急いでさっきの場所へ戻ると、ロイがさっきと同じ格好で同じ場所にうずくまっていた。
 
 
「ロイ」
 
 
 そう呼べば、びくりと体を震えさせてオレを見上げる。
 その表情は怯えと安堵と……いろいろな感情が混ざっていた。
「怪我はないか?」
 それに遅かったのかと不安になった。
 それでもロイは「はい、大丈夫です」と弱々しくではあったが言った。
 とりあえず、怪我はなかったようだ。
 怪我は………。
 それ以上のことについて聞こうと思ったが、その前にロイのほうから口を開いた。
「大丈夫です…………何もされていません。ただ、少し言い寄られただけですから…………」
 ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。
 そう言うとロイは、立ち上がって何事もなかったようにその場を立ち去った。
 残されたオレは、情けないことにどうすればいいのか分からず………それでも放っておくことなどできないと、ロイと話しをするのに不自然でない時間を探すしかなかった。
 
 
 
 
 
 
「ロイ、こっちへ…………」
 夕食後いつものように書斎でロイが入れた食後の紅茶をオレの前へ置いたとき、昼間のことを思い起こして少し不機嫌になりながらオレはそう言って左手を差し出した。
 この時でなきゃ、ロイに逃げられてしまうのがオチだ。
「ご主人様…………」
 不機嫌であるのが分かったのだろう、それにびくついて、ロイはその場に立ちすくした。
 それにオレはイラつき、それがまたロイを怯えさせてしまう。
 ロイを怯えさせる気なんてなかったけれど、イラつく感情も抑えることが出来ずにロイの腕を取って引いた。
「っつ!!!!」
 ロイはそれに抵抗をしたけれど、それはほんの小さなもので、オレの力に敵うわけもないしロイ自身、オレに抵抗できるわけもない。
 それにほんの少し安心して、オレの腕の中にいるロイを抱きしめる。
 ロイはそれに一瞬体を硬くしたけれど、それ以上何が出来るわけでもない。
 
 ロイはオレに逆らわない。
 
 ロイはオレを裏切らない。
 
 それは今までで十分分かっていたことだ。
 
 
 
 
 
「もう、無理だな…………」
 
 
 その言葉にロイがビクッと肩を震わせたのが分かった。
 そしてだんだんその震えが大きくなる。
 見れば、ロイは目を大きく見開いてその目から涙が今にも零れ落ちそうだった。
 それに昼間感じたものと同じものを感じた。
 それを信じていいのだろうか。
 そう思ったとき、ロイの口から小さな言葉が漏れた。
いや……です
 それは小さくて聞こえにくかったけれど、間違いなく拒否の言葉で。
 それを理解したとき、オレは自分の考えが間違っていなかったという思いを強くした。
「お願いです、ここへ置いてください。もう、あのようなことには決してならないように気をつけますから………。もう、ご主人様のお手間をかけていただくことなど決してしませんから………」
 どうか、ご主人様に仕えさせてください。
 そう言うと、ロイはオレの服を掴んだまま泣き出した。
 それから少しの間、何を言っても聞こえていないのか、それとも拒否の言葉を言われると思ったのか、どうやっても泣き止まなかった。
 仕方がないからそのままにして、ただ背中をさするだけしか出来なかった。
 
 
 それから少ししてようやくロイも落ち着いた。
 よくよく考えてみれば、いつも沈着冷静なロイがここまで泣き崩れるのも珍しい。
 ―――珍しいと言うより、オレはこんなロイ見たことがない。
 そのことに賭けて、オレはロイを見て言った。
 
「なぜそんなに怯える。ロイ、おまえほどの人間なら引く手数多だぞ」
 ロイほど優秀な人間を、オレは今まで会ったことがない。
 そう言えば、ロイは首を横に振る。
 ひどいことを言っているのはわかっている。
 それでも聞かずにはいられない。
 それでロイを傷つけていることは分かっている。
 それでも聞かずにはいられない自分自身に嫌悪を覚えた。
「なぜそこまでこの場所にこだわる?」
 おまえは生まれたときからこの家に仕えていたわけではないだろう?
 そう聞けばロイは一瞬黙った後、小さなさっきよりも小さな声で言った。
 
 
 
ご主人様を………お慕いしております
 ご迷惑だとは十分承知しています。
 ですから、もう言いませんから…………どうかここへ置いてください……。
 
 
 それを聞いたとき、もう放せないと思った。
 一生オレの元に閉じ込めて、放すもんかと思った。
 
 だからぎゅっと抱きしめた。
 それにロイは驚いたようで、身動き一つしなかった。
 まったく予想していなかったんだろう。
 それはそうだ。
 オレは自分の気持ちに気付かれないように細心の注意を払っていたんだから。
 これでばれたらこの世界でやっていけない。
 
 
 そして、オレはロイの耳元で言った。
 
 
「愛している」
 
 
「………ご主人様…………」
 そう呟くとロイはオレにしがみついた。
「主人とメイドなんてなんだって言うんだ……。オレはロイを愛しているんだ」
 だからロイを追い出すわけねえだろう?
 そう言ってロイの頬にキスをすれば、真っ赤になりながらも何かに気付いたのか言った。
 それはオレの予想しなかった言葉だったけど………。
「ですが、ウィンリィ様は……?」
 
 
 ………………
 
 
「はぁあ?」
 
 
 急に出てきた幼馴染の名前にあっけに取られてしまう。
「何で今ウィンリィの名前が出て来るんだよ」
 そう問えば、ロイのほうこそ目を丸くして
「え、ウィンリィ様はご主人様のことを………」
「好きじゃない、好きじゃない………。ウィンリィが好きなのはアルだ。ウィンリィがオレを好きだなんて………聞いただけで寒気がする。あいつにとってオレはおもちゃだ」
 言ってて自己嫌悪に陥るけれど、言わなければロイの誤解は解けない。
 必至に言えば、さらにロイはとんでもないことを言い出す。
 
 
「では…………リザ様は?」
 
 
 ガン!!!
 
 
 ウィンリィよりさらにすごい名前を言われ、オレは撃沈した。
「ご、ご主人様!?」
 慌てた声をロイは出したけれど、オレをこんな風にしたのはロイ自身なんだけどなあ………。
「…………勘弁してくれよ、ロイ。何でリザ姉なんだよ」
 リザ姉は従姉兼幼馴染だ。
 そりゃあ、昔から可愛がってもらってたし、慕ってもいるけれど。
 それはロイとは違う意味でなんだけどな…………それをどこで間違ったらそんな風に取るんだ、ロイは。
 これ以上は聞いてられないと思って、ロイの肩を掴んで、しっかりと目を合わせて言い切った。
 
「何度も言うけど、オレが好きなのは―――愛しているのはロイだけだ。ウィンリィもリザ姉も関係ない」
 
 
 そう言えば、ロイはぱっと顔を赤くし………次いで嬉しそうに―――本当に嬉しそうに笑った。
 それを見てオレも嬉しくなって再び今度はそっと抱きしめた。
 
 
 それにロイは抱きしめ返してくれた。
 
 
 
 
 
 
 それからすぐにオレとロイの婚約を発表した。
 ちょうどオレも見合い話が多くなってきた頃だったから利用しているようでイヤだったけれど、ロイのオレに「見合い話を持っていくのが嫌だった」という言葉を聞いて吹っ切れた。
 そしてうるさい親戚には、ロイの能力をこれまた買っている親父の鶴の一声で静かになった。
 まあ、ロイの実力やら今までオレを補佐してくれていた能力が一番だったけれど。
 それを見たうるさい親戚も納得した。
 ま、オレや兄貴思いのアルがそうしなきゃいけない状況にしたけれど………これはロイには言えない。
 
 
 何もかも順調に行っていた。
 
 
 誤算と言うか、考えて見ればそうだよなと思ったことはあるけれど。
 それはオレらの告白劇でロイの口から出たウィンリィとリザ姉。
 考えて見れば、かなりミーハーな二人がオレが婚約したと聞いて黙っているわけもなく。
 婚約発表の次の日には早速二人で尋ねてきた。
 ちょうどその時用事のあったオレは、ロイに相手を頼んだんだけれど…………用事がすんで戻ってみればロイはすっかり二人のおもちゃになっていた。
 まあ、オレと同じようなおもちゃじゃなかったのは救いだが…………どちらかと言うと、妹に対する可愛がりようだったかもしれない。
 そんなわけで、オレはすっかり置いてけぼりを食らって、二人はちゃっかり夕飯まで食べていった。
 まあ、迎えが来たからしぶしぶ泊まると言わなかっただけましだったけど。
 それでもことあるごとにロイを尋ねてきていた。
 しかもそんな時オレは必ずはずせない用事があって。
 仕組んでいるんじゃないかと思ったほどだ。
 まあ、良く考えなくてもウィンリィはアルの恋人でもあるし、ロイにそれとなく聞けば一番手っ取り早い。
 そんな日々が続いていた。
 
 
 
「ウィンリィ様もリザ様もお優しい方ですね」
 久しぶりにぽっかり時間の空いた昼。
 ロイに入れてもらった紅茶を飲みながら過ごしていた。
 その時に出てきたロイの言葉にオレは苦笑した。
「まあ、あれはロイだからって言うのもあるけどな」
「?????」
 そんなオレの言葉にロイは疑問符を浮かべていて、それに笑いながら続けた。
「妹が新しく出来て嬉しいんだよ」
 ウィンリィの場合はロイが年下でもウィンリィが妹になるけれど。
 それは今言うことじゃないから黙っていた。
「はあ…………」
 分かったような、分からないような表情をロイはした。
 ま、分かんないかもな。
 それに苦笑しつつ、そう言えばと思ったことを言った。
「そう言えば、いつになったらロイはオレのこと名前で呼んでくれるんだ?」
「えっ………」
 急に言われた言葉に驚きつつも、ロイ自身思っていたのか気まずいのか、目をそらした。
「いつまでも『ご主人様』じゃ変だろ?」
 オレはロイの夫になるのに。
 そう言うと、ロイは顔を真っ赤にしてあさってのほうを向いてしまった。
「ローイ」
 呼んでくれないと、無理やり婚約させちまったみたいじゃないか。
 そう、それは親父やウィンリィ、リザ姉からも言われたこと。
「そんなっ!!」
 そのたびにロイは今のように否定してくれるけれど。
 ロイの気持ちを疑うわけじゃない。
 ただ、呼んでもらいたいだけ。
 不特定多数に使われているわけじゃない、オレの名前を。
 オレの気持ちが分かったのか、ロイは顔を赤くしながら、それでも何とか…………。

– END –

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子