7. 決戦

「蔵馬!!!」


 魔界統一トーナメント、二回戦 ブロック第 試合蔵馬対時雨戦。
 蔵馬が死闘の末に勝利した。
 しかしその後すぐにその場に蔵馬は倒れてしまい、それを観客席でコエンマたちと見ていた喜雨は、そんな悲鳴をあげて周りの注目を浴びていた。





「蔵馬!!!」
 ばたばたと足音を立て、普段の冷静な表情とはまるっきり正反対の表情で喜雨は救護室に駆け込んだ。
 そこには先ほどまで蔵馬と試合をしていた時雨がいて、突然喜雨が部屋に飛び込んできた音に振り返り、喜雨を見る。
 表情は疲れた様子だが、それでも救護が必要ではない程度だ。時雨の向こう側にあるベッドには蔵馬が横になっていた。
「おぬし……蔵馬の関係者か?」
「……そうよ」
 急に声をかけられてびくっと肩を震わせたが、それでも手を握り、まっすぐ時雨を見て喜雨は言う。
 するとようやく喜雨の後ろから、彼女を呼びに行った六人衆がようやく追いついてきた。
 いつもとは考えられない喜雨の足の速さに――それでも彼女は半分は妖怪なのだから、出来ないことではないだろう――驚きつつ、喜雨と時雨の様子に注意を向けた。
 喜雨が、蔵馬を傷つけた時雨に対し、何もしないだろうとは思っていたが、それでも心配だったのだ。
 一応妖怪の血は継いでいると言っても、それでも半分は人間。
 何をしでかすか本当に分からない。
 そんな感情を持った六人を無視し、時雨は喜雨に言う。

「命に別状はない。――――――それに、わしを倒したのだから、そう簡単に死なれては困る」

 それ以上は何も言わずに時雨は喜雨の横を通って部屋を出て行った。
 廊下の向こうに消えるその後ろ姿を見た後、喜雨はベッドに横たわる蔵馬に駆け寄った。
 その姿に、六人はどうすべきか悩み、そのまま入り口で様子を伺うだけにしていた。
 喜雨は蔵馬の側まで行くと、その姿を見下ろす。
「蔵馬…………」
 目をつぶっている蔵馬に、小さな震える声で名前を呼ぶ。
 呼吸は穏やかで、傷の手当もしてある。しかも魔界整体師だという時雨が大丈夫だと言ったのだから、大丈夫なのだろう……それでも暗黒武術会からずっと蔵馬の傷付いた姿ばかりを見ていて、しかも命の危険まで見てきた喜雨としては心穏やかではいられない。
 それに加え、恐らく自分の両親が目の前で死んでいったことも関係しているかもしれない。特に父親は殺された。もしかしたら、それと同じ状況に蔵馬も陥るのではないか……と、そんなことまで無意識のうちに考えている可能性が喜雨にはあった。
「蔵馬……」
 もう一度名前を呼ぶ。
 その時の喜雨の気ははかなげで……それを感じ取った六人はどうするべきか戸惑い、お互いに顔を見合わせていた。


 今まで蔵馬にどんなことがあってもこれほどのはかなげで、すぐに消えてしまいそうな気を出していたことはない喜雨。
 それを知っている六人は、ただ見守ることしか出来なかった。


「蔵馬――――――」
 喜雨はベッドの横――ちょうど蔵馬の頭がある辺りに跪き、何度も何度もただ名前を呼ぶ。
 “蔵馬”と言う言葉以外を忘れたかのように……。
「くらま」

「――――――聞こえているよ、喜雨」

 ベッドに顔を押し付けて囁いた喜雨の耳に、そんな声が降ってきた。
 はっとして見上げれば、そこには顔だけ喜雨の方を向いた蔵馬が微かに笑みを浮かべていた。
 がばっと言う音が立ったような勢いで立ち上がった喜雨は、蔵馬の顔の横に両手を着いて見下ろす。
 その視線の先にははっきりと意識を持った蔵馬がいつもの笑みを見せていた。
 喜雨がそれを見た瞬間、蔵馬の顔に一滴、水が落ちてきた。
 そのことに驚いて蔵馬が目を見開く。
「――――――喜雨?」
 そこには目にいっぱいの涙を溜めている喜雨の顔。
 既に何滴か、零れ落ちた後だった。
「喜雨」
 名前を呼びながら蔵馬は喜雨の顔に手を伸ばす。
 すると喜雨はそれを両手で掴み、体を屈めたまま、表情をそのままにすっと息を吸い込んだ。



「――――――馬鹿!!!!!!!!!」



「っ…………」
 キーンと耳鳴りがする。
 耳がそれはそれはいい蔵馬にとって、耳元で叫ばれることは酷以外の何物でもない。
 一瞬、気が遠くなる感じがした。
 しかしそれは部屋の入り口から様子を伺っている六人にとっても同じだったようだ。
 全員が両耳を押さえ、苦悶の表情をしている。
 それが分かっているだろうに、喜雨は気にせずにただ蔵馬を見下ろしていた。
 いや、握った蔵馬の手を離さず、ぎゅっと力をこめている。


「喜雨…………心配した?」


「…………当たり前じゃない」


 また叫ばれるかと蔵馬は一瞬心配したが、今度は静かな声で喜雨は言っただけだった。
 だが、その言葉からは本気以外の何も――蔵馬の試合を見て喜雨がどう感じたか、それがはっきりと分かるものしか感じられない。
 蔵馬が言えることは、口にすることが出来る言葉はたった一つしかなかった。


「ごめん……」


「謝るくらいならしないで」


「うん…………心配してくれてありがとう」


「…………本当に、蔵馬は馬鹿よ」


「うん……」


「馬鹿馬鹿馬鹿」


「……あんまり言わないでくれる? 分かってても傷付くんだけど」


「――――――――――――ダイスキ」


「……………………喜雨ちゃん、それは非常に嬉しいんだけどね。出来れば二人っきりのときに言ってくれるともっと嬉しいなあ」


 観客がいると抱きしめられないでしょう。


 そう言いながら、蔵馬はちらりと喜雨の背後――部屋の入り口で様子を伺っている六人に目を向ける。
 すると六人は慌てて開け放されていた扉を閉めてその場から立ち去った。
 内心で、観客がいようがいまいが抱きしめるだろうと思いながら……。
 ばたばたという足音を扉の向こうで聞きつつ、蔵馬は改めて喜雨を見上げると、喜雨は顔を真っ赤にしていた。
 そんな喜雨に笑みを浮かべながら、蔵馬は未だ痛む体を起こし、その場に立ち尽くしている喜雨をそっと抱き寄せた。

 温かく、柔らかな体。

 しっかりと、しかし蔵馬の傷が出来るだけ痛まないように抱きついてくる喜雨。
 そんな彼女を抱きしめながら、蔵馬は近付いてくる複数の妖気に気付いていた。
 まあ、先ほど喜雨が今までにないほどの大声で叫んだのだから、気付いた者もいるだろう。
 特に今回のトーナメント参加者の中には蔵馬以上に耳のいい実力者がいる。
 他にもさっき六人衆が慌ててこの場を離れて行った。
 それを見つけた“誰か”が、興味を持ってきている可能性とてないわけではない。
(おそらくそのどちらもだろうなあ……)
 そう思いながら、それでも喜雨には言うことなく――――喜雨は気付いてないだろう。気付くにはまだまだ力も、経験も足りないのだから――ただ、顔を伏せたままの喜雨を見下ろす。
 先ほどとは目線が逆転していた。
 しかし、そのほうが喜雨が良く見えて蔵馬はこちらの方が好きだった。
 さっきは逆光で喜雨の顔が良く見えないこともあったから。


 そして蔵馬たちのいる部屋へと近付いてきているであろう足音が、すぐそこまで来た時、蔵馬は未だ蔵馬の肩に顔を伏せたままの喜雨の耳元で呟いた。



「喜雨――――――オレも大好きだよ」



 すると、部屋の扉の前で複数の足音が同時にぴたりと止まった。

– END –

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子