9. 賭け事
「私は“影”じゃないわ!!」
叫びすぎてかすれた、それでもきっぱり言い切ったその言葉。
けれど追っ手は皆、少女の言葉をあざ笑うだけ。
「ありえないだろう!」
「お前があの方の“影”でなければ、誰が“影”だと言うんだ」
「いい加減諦めて戻れ。お前はあの方の“影”として以外、生きてはいけない」
「嫌よ!!」
絶対に嫌!
もう殆ど残っていない力を振り絞りながら、少女は魔界を駆け抜ける。
それでも全力を出さずにいた追っ手たちに焦りはない。
少女が悪あがきをしているのを、楽しんでいるかのようだ。
「そろそろ捕まえなければ、うるさいのが出てくるかもしれないぞ」
周囲に目を配っていた追っ手の一人が言った。それに他の追っ手はもとより、追われる側の少女も改めて周囲を見渡す。
言われてみれば、少女たちが暮らしていた邑ははるか遠く。行く事が禁じられている場所のすぐ側まで来ていた。
その事実に少女は喜んだ。もう少し行けば追っ手はそれ以上自分を追うことが出来ず、邑に戻るしかないと。
しかしそんなこと、追っ手は百も承知だった。
「じゃあ、お遊びもここまでだな」
「そうだな」
そう言って、全員がいっせいに少女に向かって攻撃を仕掛ける。
「うぐっ……!!」
少女はただ攻撃されるだけではなく、避ける。しかしすべてを避けることは出来ず、いくらかその攻撃を受けてしまった。かすったものだったり、かなりひどい傷を負わされる程のものまで。
それでも少女は足を止めない。
(あと少し!!)
しかし、その少しが難しいことは分かっていた。
追っ手はそれだけの実力を備えた者たちばかりだ。妖狐の邑の中でも。
けれど、連れ戻されるわけにはいかなかった。
(もう二度と、あんな生活には戻りたくない!!)
たとえそれ以外の生活をしたことがなくても。
そう少女が思った瞬間、足に攻撃をまともに受けてしまった。
「あっ……」
「あまりお前を傷つけると叱られるんだが……この際、仕方が――――――なに!?」
攻撃をした追っ手の冷静な言葉が乱れた。
「なっ!」
「こんな時に……」
歯軋りをする追っ手。
しかし追われる少女は呆然とその様子を見ていた。
そう……自身と追っ手の間に割り込んできた、魔界で『百足』と呼ばれる移動要塞を……。
「ちっ。逃がしてしまったか」
「…………どうするんだ?」
「これ以上追えない。一旦戻るぞ。指示を仰がなければ……」
「……そうだな」
そんなやり取りをした後、追っ手はあっさりと少女に背を向けた。
そう、少女は既に境界線を越えていたのだ。
「…………」
信じられない様子で、少女はその光景を見ていた。
「たす……かった?」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
そして…………少女の体は傾いた。
怪我と疲労で、意識を失ったのだった。
「それで、見て欲しい妖怪とは?」
「ああ、こちらだ」
人間界にいた蔵馬が急に魔界へ呼び出されたのは数時間前。
丁度休みだったことが幸いし、呼んだほうが驚くほど早くに魔界の大統領官邸へと足を運んでいた。
そして待っていた九浄に案内されて着いた場所には一匹の妖怪が数多くのチューブに繋がれて眠っていた。
「……灯香……さま? いや、まさか――――――」
妖怪――少女の顔を見た瞬間、蔵馬は目を見開いて呟いていた。
「やはり知っているのか?」
それを見ていた九浄は尋ねるが、蔵馬は目の前の光景が信じられないのかそれ以上口を開かない。
「蔵馬」
再度声をかければようやく蔵馬は九浄のほうを見る。
「彼女は……どうして?」
滅多に見られない蔵馬の反応に、九浄は内心で驚いていたがそれについては何も言わず、説明する。
「数日前、魔界をパトロール中の百足の前で妖怪の争いがあったそうだ。だが急にそれが止み、数匹の妖怪がその場を離れた。――――残っていたのは気を失ったそいつと言うわけだ」
簡単な説明に相槌を打つ蔵馬。
「普段なら放っておくんだが、気を失っていた妖怪が“妖狐”だったから、とりあえず保護した」
ついでにもしかしたら蔵馬が知っているかもしれないと思って呼んだわけだ。
「そう、ですか……」
「そいつを攻撃していたのも妖狐だった」
急に部屋の扉が開き、顔を出したのは飛影。
その後ろに数名――――現在大統領を補佐する立場に近い妖怪たちがそろっていた。
「どういうことだ? 妖狐が妖狐を攻撃するとは」
信じられないと言う表情を浮かべる面々。
それほど、“妖狐”の“妖狐”に対する仲間意識の強さは魔界中に知れ渡っている。
そして、妖狐の貴重さも。
だからこそ今回保護されたわけだが、分からないことだらけだった。
しかしその為に呼ばれた蔵馬は、ある程度悟っているようだった。
「ひとつ確認をしたいんですが」
「なんだ?」
「彼女が倒れていた場所と、争いが起こっていた場所は?」
自身に向けられた質問に、飛影は即答した。
「倒れていたのは不凍の森の手前。争いは不凍の森の中だ」
「やはりね――――」
ふうとため息をついた蔵馬。
納得がいったという表情で顔を上げ、改めて眠っている少女を見る。
「おそらく彼女は“影”です」
「……なに? その“影”っていうのは」
当然の反応だろう。わけの分からない言葉が急に出てきたのだから。
見れば、全員が同じような表情でいる。
その為に、全員が知らないことを理解して、蔵馬は苦笑した。
知らなくて当然か、と。
「“影”とはオレの生まれた『妖狐の邑』の慣習、でしょうね。他のところはどうか知りませんが……おそらくいるでしょう」
「『妖狐の邑』?」
またわけの分からない言葉がと、そんな声が上がる。
今までの話の流れから、それも予想出来ていた蔵馬はひとつ頷いて答える。
「勘違いしている妖怪が多いのは知っていますが……妖狐だからと言って全ての妖狐に仲間意識を持っているわけではありません。――――妖狐の住む場所によって変わってきます」
妖狐の邑
妖狐の里
妖狐の国
「今、この三つに別れています。そして各場所に住む妖狐は他の場所に住む妖狐と仲が悪い――――隣り合っているのに、です」
それもそうでしょう、元々考えが一致せずに三つに分かれたのですから。
「今となってはその『考え』が対立の原因に持ってこられることはないようです。重要なのは別れてからの歴史。それぞれがそれぞれを取り込もうと躍起になって、あれこれ手を打った――――簡単な話、戦争を仕掛け続けたと言うのがこの状況をを作っています」
もちろん戦争だけではありませんが。
口を挟むものがいない中、蔵馬は淡々と続ける。
「色々やってきましたよ。誘拐から暗殺まで」
「あの妖狐が…………?」
孤光の言葉に蔵馬は肩をすくめる。
「そう……妖狐が、です。――――ですが、妖狐の本質を知る妖怪はそういないでしょう? 現にあなたたちが知らなかった。知る機会がなかったからでしょうが。本来はオレと同じ――――冷酷で残虐なんですよ」
オレだけが特別じゃないんです。
その言葉に一部が苦笑した。
もう何度か言っていたのだろう。
蔵馬が否定したのかは不明だが、現実にはその言葉は間違っていた。
「そんな中で使われるのが“影”です」
話が元に戻り、ようやく最初の謎の答えが明かされる。
「“影”は『妖狐の邑』の長と、その直系にいるいわば影武者のようなものですよ」
影武者よりも影のほうが姿かたちはほぼ同じですけど。
それが彼女を見た際に、間違った名前――長の直系――を呟いたことに繋がると言う。
「“オリジナル”と“影”の区別をつけることは、ほぼ不可能です。長や、その家族でない限り。それほど姿かたち、妖気の質までも同じです」
「でもそれじゃあ、あの子が“影”だとは言えないんじゃない? 蔵馬にも区別がつかないんだろう?」
その疑問はもっともだ。
全員が頷く中で、蔵馬だけが首を振る。
「オリジナルが不凍の森のこちら側に来ることはありません。――――いえ、どの妖狐も来ないでしょう。少なくとも妖狐の邑で暮らす妖狐は来ません」
「なぜだ」
「それは邑の中で禁止されているから――――掟といっていい。行ける場所が決められているんです。掟を破り、その境界を超えてしまった場合どうなるか――――掟を破って再び邑へ戻ったものを知らないのでなんとも言えません」
まあ、生きてはいられないでしょうね。
「…………じゃあ、蔵馬は……?」
その疑問に、蔵馬は肩をすくめた。
「オレは掟を破っているからここにいるんです。――――もう二度と、邑へ戻るつもりはありません」
自殺願望はありませんから。
「う……ん……?」
「ああ、気付きましたか」
自身に降り注ぐ光に目をしかめつつも動き出した少女に、最初に気付いたのは蔵馬だった。
「気分はどうですか?」
そう言って自分の顔を覗き込む蔵馬を、初め少女はぼんやりと眺めていたが、あることに気付いてばっと身を起こす。
「…………深透……さま? でも、そんなはず……」
出来るだけ蔵馬から離れるように……しかし、ベッドの上はそれほど広くない。
結果的に大して離れることも出来ずに少女はそう呟く。
「……深透?」
その言葉に反応したのは蔵馬以外。
蔵馬と……微かに震えている少女を交互に見る。
そして気付く。
少女の反応が――震えていることを除いて――少女を目にしたときの蔵馬の反応と同じだと言うことに。
「蔵馬……もしかしてお前――――」
少女の反応に戸惑いながらも九浄が蔵馬に聞こうとしたとき。
「くらま? あなたの名前は蔵馬と言うの?」
最初のときよりもはっきりと、少女は口にした。
それに蔵馬は微かに笑って言う。
「ええ、そうです。…………深透様ではありませんから、心配しなくてもいいですよ」
「…………」
蔵馬の言葉を耳にすると、少女はフッと肩の力を抜いた。
「蔵馬。お前も“影”とやらだったのか?」
二人の反応から考えるに、そうとしか考えられず、飛影は前に出て聞く。
「ええ……そうです。オレは“深透”と言う方の影でした。そして貴女は、“灯香”様の影ですね?」
最後はベッドに座っている少女に問う。
それに首肯して、少女は言う。
「はい」
「それにしても、良くオレを深透様だと思いましたね。……姿が違うのに」
今の蔵馬は人間の姿でいる。妖狐の姿とはかけ離れた姿だ。
「気が……同じですから」
肩をすくめながら言う少女に、そうかと頷く。
内心では感心していたが。
どちらかと言うと蔵馬は外見で区別をしがちだ。もちろん気の質で判断する場合もあるが、それは姿が見えないとき。今回のように姿が見え、気が感じられるときは姿のほうを判断材料にする。
「蔵馬」
名前を呼ばれ、振り返ればいつ来たのかそこには煙鬼。
「その子と一緒に説明してくれ」
そんな風に頼まれたため、蔵馬は一度振り返って少女を見る。
すると少女は頷いたので、ふたたび煙鬼を見た蔵馬は言った。
「わかりました」
少女がもう大丈夫だと言い張ったために、場所を移動して改めて説明する。とはいっても、簡単に説明は終わらせていたために――そして煙鬼もそれは聞いていたために――大して時間がかからずに終わらせることが出来た。
新たに必要だったのはここに蔵馬と少女がいる理由。
「“影”に存在する理由は与えられません。ただひとつ――――オリジナルの“影”として存在する以外」
蔵馬はそんな風に自身のことを話し始めた。
「蔵馬と言う名は与えられましたが、それ以外は何も与えられませんでした。ただオリジナルを守るために、その為だけに影は存在させられます」
嫌なものを……記憶の底にしまっていたものをそれでも説明のためだけに思い出しながら蔵馬は話していく。
ただし、何を考えているかをその表情から読み取ることは出来なかった。
「その為に名前を呼ばれるのもオリジナルとその家族――――つまり長の直系のみ。他の同族と、“蔵馬”として会ったことはありません。もちろん他の影とも会ったことがありません――少なくとも、同じ影と認識したことはありません」
会うのはオリジナルのふりをしている時のみ。
「そんな状態なので、自分の親すら知りません」
さらりと言われたことは結構衝撃的だったようで、殆どの者が目を見張っていた。
それを見て蔵馬は苦笑するが、それ以上そのことについて言わなかった。
「なぜ、邑を出た?」
「…………そうやって、“影”として生きていくことが嫌になったからです。蔵馬として見られることはまずない。確かに同族に対して優しいですよ、妖狐は。けれど――――――それならばなぜ“影”のような存在を受け入れていられるのか、それが理解出来なかった」
確かに影と言う存在は、煙鬼たちが理解していた妖狐の性情からはありえない存在だ。
そんなものが存在することすら考えたことはなかっただろう。
「それからもうひとつ。――――あの狭い世界ではなく、もっと広い世界を見たくなった」
これが……オレが妖狐の邑を出た理由ですよ。
ふっとどこか悲しそうに蔵馬は言った。
そして少女のほうに視線を移す。
それにつられて全員が少女を見ると、居心地悪そうに少女は身じろいだ。
けれど文句も言わずに口を開いた。
「私も似たような理由ですが……」
一番の理由は、妖狐の里に身代わりで嫁がされそうになったからです。
「はあ!?」
声を上げたのは幽助だったが、皆驚いた表情をしている。
蔵馬も目を見張っている――――。
「よく、長がそれを許可しましたね」
蔵馬の声は信じられないと言っていた。
何故そう思われたのかを理解した少女は軽く頷く。
「でも、身代わりですから……」
「それでもですよ。身代わりにしても向こうでは貴女が“灯香”になる」
それを長が許せるはずがない。
きっぱりと言い切った蔵馬に少女は苦笑した。
「その長に灯香さまが認めさせたんです、無理やり。……それだけ、妖狐の邑は危ない状況になってしまったので」
灯香さまが行けば、少しは状況が改善されるんです。
「…………」
「けれど……やはり長は灯香さま自身が行くことを認めなかった。――――私が…灯香さまとして行くことを認めました」
それが嫌だったんです。
「私は灯香さまじゃありません。影ではあってもオリジナルじゃない。命を奪われやすいのは私のほうです。真っ先に見捨てられる……必要ないといわれる存在。それなのに、こんな時ばかり必要だと言うんです。だから逃げました」
少女の理由は蔵馬のそれよりも強烈だった。
その理由に何も言えなかった煙鬼たちに、だからと少女はきっぱりと、それでいて頼むように言った。
「私を妖狐の邑に戻さないでください」
「大丈夫ですよ。誰もあんな理由を話さなくても、貴女を邑に戻そうなんて考えませんよ」
ひとまずそれぞれすべきことが残っていた者たちは、それぞれの持ち場に散っていった。あまり仕事をしていなくても、後々大変だからだ。
結果、現在仕事がないのは蔵馬のみとなってしまった。
怪我が完全に治っていない少女の手当てをしなおして、蔵馬は少女から少し距離を置いて座った。
「…………」
「そうする理由もありませんよ。何の得にもならない」
さらりと言われたことに、少女は確かに、と呟く。
「それならいいんですが……」
「好きにしていいんですよ。貴女の望むようにこれからは生きていけばいい。オレもそうやって生きてきましたから」
「……はい」
蔵馬の言葉に、少女は微かに笑ってい頷いた。
くすりと笑って蔵馬はそういえばと今思い出したように言う。
「はい?」
なんだろうと首をかしげた少女に、苦笑しながら蔵馬は言う。
「貴女の名前を教えてもらえますか?」
「あ……」
少女もそういえば言っていなかったと目を丸くする。
今更のように気付いて、今更ながらに苦笑する。
そうして笑ってから名乗った。
「私の名前は喜雨と言います」
– END –