13. 二つの世界

「どうしてこんなことに……?」


 目の前に広がる光景を見つめながら私は呟いた。
 私の目に映っているのは真っ赤に染まった草原。
 そこには私の同僚たちが倒れている。
 ――――――呼吸はしていない。
 心臓も止まっている。

 誰のせいか。

 そんなこと考えなくても分かっている。
 既に死んでいる同僚たちの顔を見れば、彼らが何の指令を受けていたをか私は知っているから。


 ――――――妖狐蔵馬。


 極悪盗賊として魔界で暗躍し、数百年前に人間界へと移住してきた。
 そして“彼”が魔界と人間界の間に結界を張る原因となった……そんな、力のある妖怪。
 そのために指令を受けた霊界特防隊の隊員も、力があるものが選ばれた。
 そのはずだったのに――――――

「全員、死亡?」

 そんな結果があるの?
 ありえないと、いくらあの“妖狐蔵馬”でも……逃れることは不可能だと思っていた。
 信じられなかった。
 けれど――――――



 それをどこかで安心している自分がいる。



「……でも……だったらどこに?」
 誰が聞いているか分からない。
 だから“彼”の名前を口にすることは出来ない。
 いくら蔵馬でも、彼らを相手に無傷でいられるとも思えない。
 そう簡単に妖気を隠せる力が残っているとも思えない。
 それなら私でも――――――彼を追うことができるかもしれない。
 もし見つけたら、その後にどうするかは分からない。

 でも、出来ることなら――――――

 そんなことを考えながら周りを探っていると、急に大きな力のぶつかる気配を感じた。
「――――――あっちか」
 力を感じた方向に目を向け、次の瞬間に私は走り出していた。





『霊界特防隊がこんなところで何をやっている』
 とある妖怪を追っていて、しとめたけれど怪我をしてしまった私に声をかける者がいた。
『…………』
 見上げれば、そこには真っ白な妖怪。
 驚いて言葉が出ない私にその妖怪は黙って手当てを始めた。
 髪の中から何かの種を取り出し、力をこめるとその植物は成長していく。
 そのことから目の前の妖怪は植物を操る力を持つ者であると分かる。
 そして――――今人間界にいる、目の前の妖怪ほどの力を持つもので、植物を操る妖怪。
 霊界にあるデータに、それと一致する妖怪はなかっただろうかと思い出そうとした。
 けれど、特防隊の中でも落ちこぼれの私。
 データを暗記するのも、戦闘も、何もかも苦手。
 そんな私にたとえデータに昔から登録してあったとしても、分からなかっただろう。
『…………どうして?』
 手当てを終え、顔を上げた妖怪を見ながらようやく言葉が出てきた。
『大した理由はない』
 さらりと言われても理解出来るはずがない。
 私は大して力はないけれど、それでも霊界特防隊の隊員で。
 目の前にいるのは妖怪。
 どう考えても手当てをしてもらうこの状況はおかしい……。
 それなのに……。

『お前が万全だったとしても、俺を倒すことなど出来ないだろう?』

 だからだと思えばいい。

『それにここでくたばられても困る』
 そう言って視線をめぐらす妖怪につられて私も周りを見れば、そこには数々の珍しい植物が――珍しいと私でも分かるような植物だった――咲いていた。
『ここは……?』
 ここまで来る間、ただ獲物しか目に入れていなかった。周りを気にする余裕がなかったとも言うけれど。
 だから、ここがこんな風に花が咲いている場所だとは気付かなかった。
『それを答えるわけにはいかないな。お前は霊界特防隊なのだから』
『…………』
 そう言われてみればそうで。
 でも、私の手当てをした時点で…………。
 それでも最初に妖怪が言ったように、ここで私がどうかなると困るのもあるだろうから、難しいのだろう。



 そんな出会いだった妖怪――――――蔵馬。
 結局私は霊界に報告出来なかった。
 報告するならどうなるか、と脅されたのもあるし、手当てをしてもらった恩人(?)のことを、彼の敵である霊界に報告するような――恩を仇で返すことが出来なかった。


 そして……それから時間が空くと会うようになった。
 ただなんとなく会いたくなって、休みのときには必ず会いに行った。
 いつも突然現れる私を、蔵馬は何も言わずに迎えてくれた。
 そんなことを続けている間に、私の気持ちにも変化が現れた。

 ――――――決して言うことはなかったけれど。





(言っておけばよかった)
 言って、何か変わるわけもないけれど。
 それでも……。

 ――――――

 力を感じた場所にたどり着くと、そこにいたのは……
「舜潤?」
 特防隊のホープと呼ばれている同僚。
 その舜潤が立ち尽くしている。
 そしてその視線の先には血にまみれた妖狐。
(く……らま)
 目の前が真っ暗になった。
 それでも叫び出さなかったのは、褒められても良いと思う。
 それは、結局私自身を守るものでしかないけれど。
「――――――喜雨」
 私に名前を呼ばれ、舜潤は顔を上げて私だと言うことを確認すると名前を呼んだ。
 いや、呼んだと言うよりは呟いたと言った方が正確だろう。
 今までに見たことがないほど、晴れ晴れとした表情をしていた。
 それに目を見張る私に笑いかけ、舜潤は言う。


「妖狐蔵馬を、ようやく仕留めることが出来た」


 そう言って蔵馬の死体に目もくれず、私に近付いてくる。
 そんな舜潤の様子に私は震えた。
 私のそんな様子に気付いているはずなのに、それを気にする様子はない。
 それが怖くて、とっさに俯いてしまった。


「喜雨、お前が奴と会っていたことは知っていた」


「…………どうして……」
 急に言われ、はっとなって顔を上げると目の前には舜潤の顔があった。
 ぽつりと信じられない思いで言えば、眉間に皺を寄せて舜潤は続ける。
「ある時から……お前の様子に変化が現れたのが分かった。――――――ずっと、見ていたから」
「…………うそ」
「嘘じゃない」
 はっきりと、そう言われたけれど信じられるわけがない。

「ずっと……好きなんだ。特防隊に入る前から」
「……………………うそよ」
「本当だ」

 舜潤の目は嘘をついていない。
 けど、言葉は嘘だ。
 それなら、どうして。
 私の気持ちを知っていながら、どうして――――――。
「喜雨、自分の立場を忘れるな。お前は――――――」


 霊界特防隊の一員だ。


 その言葉が、これほど憎く思ったことはない。







(ごめんなさい、蔵馬。…………ごめんなさい)

 あれから何度も何度もこの言葉を繰り返した。
 舜潤があの場所を離れていって、その後に蔵馬の亡骸を埋めた。
 そして霊界に戻った。
 戻ったら、きっと蔵馬に会うことになるだろうと。
 彼は霊界の取調べで私のことも話すだろう。
 そうすれば私も処罰されて……きっと蔵馬と共に逝けると思った。
 そう思っていた。


 けれど――――――――――――。





「喜雨……またここにいたのか」
 振り返らずともその声が舜潤だと言うことは分かる。
 ここは初めて蔵馬と出会った場所。
 ここから少し離れたところで、蔵馬と舜潤は対峙した。
 あの時から、十数年。
 もうすぐ二十年になるだろうか。
 死んだと思った蔵馬の魂は、でも霊界へ来ることはなかった。
 亡骸は確認した。
 でも来なかった。
 どうして…………?
 そんな思いを抱えながら、私は未だに蔵馬とのことを霊界に知られることなく過ごしている。
 それでも……私の変化は周りにも良く分かったようだ。
 霊界特防隊の身分を持ってはいるものの、現場へは行くことはなくなった。
 主に情報処理を担当するようになった。
 外に出ることはまったくなくなっていた。
 それに加え、最近はそれでなくても暇だったこの仕事がさらに暇になってしまっている。
 いつからだろうと考えれば……舜潤が特防隊の隊長になってからだ。
 舜潤が隊長になってから少しして、霊界は変わった。
 変わざるをえなくなったと言った方が正しいだろう。
 そんな中、人間界で、魔界で、何があったのか私は知らない。
 興味がない。
 何も、興味が湧かなくなっていった……それは、あんなことがあってから、ずっと。

「――――――喜雨」

「何……?」
 ぼんやりとしていた私に、少しイラつきながら舜潤は再び名前を呼ぶ。
 それに興味なく答えれば、ため息とが聞こえてきた。
(…………そんな反応をするなら、ここに来なければいいのに)
 毎度毎度、ご苦労なことだと思う。
 そして何度も何度も、あの時と同じ言葉を言うんだ。
 私の気持ちは――――たった一つのほうにしか向いていないし、これからもそこしか向かないのに……。


「客だ」


 ――――――――――――


「はあ?」


 思ってもなかった言葉に目を丸くして舜潤を見ると、その後ろに誰かが立っているのが見えた。
 赤い髪の……男。
 外見は人間のようだったけれど、そこから感じるのは紛れもなく妖気。
 この妖怪が、客だと言うのだろうか。
 怪訝な表情をした私を放って、舜潤は自分の仕事は終わったと言わんばかりに背を向け…………戻って行った。

「……用は何?」

 気を抜かず、妖怪を見れば少し困ったような表情を見せる。
 でもそんなものを見せられても、残念ながら少しも私の感情は動かない。
「…………分からない……か?」
「何のことよ」
 言いたいことが分からず、私は少し力を出す。
 それがまったくこの妖怪の脅威にならないほどの力しか出せないものだとしても……。
「そんなに警戒しなくても――――――」
「無理よ」
 何を言っているんだと、そんな思いをこめて言えば、目の前の妖怪は困ったように言う。


「変わったな……喜雨。昔は敵に対してもそんな反応は見せなかった」


「何を言って……」
 眉間に皺を寄せて言えば、その妖怪は悲しそうに……そう、霊界人である私に向かって悲しそうに言った。
 何でそんな顔をするのか。
 不思議に思った時、目の前の妖怪から――――――よく知っている妖気が流れ出てきた。
 そしてそれに呼応するように、その姿が変わって行く――――――。



「――――――喜雨」



「くら……」
 全てを言うことは出来なかった。
 気付いたら目の前に広がったのは、白。
 妖狐蔵馬の、白。
「どうして?」
 そんな言葉しか出てこなかった。
 それだけを、涙を流しながら言った。
 でも蔵馬が答える前に本格的に私は泣き出してしまった。


 泣いて泣いて。


 こんなに泣いたのは初めてかもしれない。


 それくらい、泣いた。





「良かったのか、舜潤」
「……コエンマ様」
 蔵馬を案内した場所から少しはなれたところに舜潤が来ると、そこにはコエンマが立っていた。
 そして後ろには数人の特防隊隊員。
 みな、複雑そうな表情をしている。
 それはそうだろう。
 全員が舜潤の思いを知っていたから……それを知らなかったのは……というより信じなかったのは当の喜雨だけだった。
「――――――いいんです、これで」
 そしてそれを知っていて、今更隠す必要もない舜潤はそんな風に言う。
 その表情はとても大丈夫だとはいえないようなものだったが。
「それで……喜雨のことは――――」
「ああ、特防隊からはずすことにした。――――――その方が、あやつのためだろう……」
 元々、それほどの適性があったわけではない。
 けれど妖狐蔵馬を舜潤がしとめてから変わった喜雨を、特防隊からはずすと言う話はなぜか出なかった。
 霊界の上層部はどう見ても適性を欠いた喜雨を、それでも特防隊に所属させ続けた。
 今となってはどうしてそんなことが行われたのか分からない。
 調べようと思えば出来なくもないだろうが、それをしても変わるものなどないこともまた、コエンマや舜潤、他の特防隊隊員には分かっていた。

 そして今回、蔵馬が舜潤に喜雨のことを尋ねたために、ようやくコエンマは喜雨の処遇を決めた。


 ――――――特防隊の任を解く。


 それがコエンマが出した結論。
 そしてそれは舜潤を初め、特防隊の全員が異を唱えることはなかった。
 みな、喜雨がもうそんな状態でいられないことを理解していた。
 蔵馬が喜雨のことを尋ねなければ、舜潤の方から蔵馬に接触しようと思っていた。
 それほど、喜雨の状態は良くないものになっていた。
 もう限界だろう。
 そう、誰もが思うほど――――――。
「これから彼女はどうなるんですか?」
 恐る恐る尋ねたのは喜雨と仲の良かった隊員。
「――――――それは喜雨次第だ。霊界にいるもよし……人間界にいるもよし」
 それで暮らせなくなることはないだろう。
 それだけ、今まで喜雨は働き、そしてその働いた分の対価は使わなかった。
 そして人間界に残ったとしても、蔵馬がいる。
 妖狐蔵馬の気持ちは分からなかったが、今の蔵馬を見れば、喜雨をどう思っていたか想像がつく。
 決して喜雨を見捨てることなどないだろう。
 その言葉にみなが安心をした。

 そしてようやく喜雨が救われることを確信した。







 それからすぐに喜雨は霊界から姿を消した。
 しかし今でもコエンマや霊界特防隊の面々は人間界へと足を運び、その姿を確認している。


 蔵馬の側で、決して霊界で見せたことのなかった幸せそうな笑顔を浮かべる彼女を。

– END –

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子