8. Relic

 森の中蔵馬はひとり歩を進めていた。
 人間界とは違う禍々しささえ感じる植物達が住むところ。同じ魔界に住む妖怪達も好んでこの森には足を踏み入れない。実際、ここへ来ると言った蔵馬に付いて行こうとした者はいなかった。植物を操る蔵馬を止めたものさえいた。
 今蔵馬がいるのはそんな場所だ。


 そして――――蔵馬の生まれた森でもある。





「やっぱり、もう何もないよね……」
 蔵馬が生まれ、育った場所に来てもそこに当時の面影はなかった。ただ足元に『家』だったものの残骸が転がっているだけ。それを見下ろしながら、蔵馬は微かに寂しそうな表情をする。
 思い出となる物など残っていないことは分かっていた。
 けれど、それでも何か残っていないかと最後の望みを託すかのように来てしまった。それでもこの場所は、現実なんてこんなものだと蔵馬に突きつける。
 今更なぜ来たのかと、長年住んだ家の残骸も駆け回って遊んだ今は荒れ果てた広場も、森と共に蔵馬を責めた。
 お前の欲しいものなど何も残ってはいないと、一度何もかも捨てた蔵馬に叫ぶ。

「分かってたんだけどね……」

 その場に座り込みながら蔵馬は呟いた。
 自分に連なるものを一度捨てた自分には、過去のものは何も残されていないことは十分分かっていた。
 同族に怨まれているだろうことも予想できた。ここが危機に陥ったときも、自分は一度として助けようとは思わなかったからだ。妖怪の中ではまれな同族意識の強い種族。同族の誰かが困っていれば、自然と助けることを本能としていた。そんな一族に生まれながら、蔵馬は『妖怪』に近かった。そんな本能など持ち合わせていないように感情が動くことはなかった。振り返りもしなかった。それが分かっている一族はきっと蔵馬に嫌悪を抱いただろう。どうしてあんな奴が同族なのか、と。
 それでも蔵馬は構わなかった。
 妖狐一族の、あの同族意識がわずらわしかった。
 それを蔵馬は欲しいと、必要だと思ったことなど一度としてなかった。



 それでも、と蔵馬は思う。
 それがだんだん懐かしく思い始めていた。
 理由などはっきりしない。ただ……家族と言うものを考えさせられることが多くなったことが影響しているのだろうと思っている。
 蔵馬が人間に憑依して大分時間がたった。
 人間界も魔界も、そして霊界もだんだんと変化していった。
 周囲の友人や知り合いに、新しい家族を作るものが増えた。

 ――――けれど、自分にそれを望むことは出来ない。

 様々な立場、状況がそれを許さない。
 母を心配させていることは十分承知の上で、対処はしていない。一度も相手を見つけようともしていない。いや、探すことなど考えたこともなかった。
 そんな日々の中で蔵馬はふと思い出したかのようにここへ来ていた。

 『蔵馬』と言う存在が最初に生まれた場所に。

 しかしその場所は既に廃墟となっていた。
 もちろんそんなことは当に知っていた。千年以上前、他の妖怪に襲われ、妖狐一族は散り散りになってしまったことも。もう、一族の邑がどこにもないことも――――。
 皆がどこにいるのかは分からない。この広い魔界の中で出会う確率などそうない。それ以前に、蔵馬の知り合いが生きているかどうかさえ怪しい。蔵馬は力をつけたために生き延びることが出来た。しかしそれが他の同族にも当てはまるかと言えば――――そうでもない。もう、生きているものは少ないだろう。
 それなのにここへ戻ってしまった。
 得るものなど既にないと言うのに。
 それでもここへ一度は戻ってきたかった。



(もう何も、残ってはいない…………)



 自分へと繋げられたもの。伝えられたもの。伝えられるはずだった未来。
 『妖狐』としての蔵馬に与えられたもの、その全て。

 それを蔵馬自身が放棄してしまった。
(今更願っても仕方がない。……自業自得なんだから)










 もうそろそろ戻ろうと蔵馬が思って立ち上がったとき、周囲の風が変わった。
「え?」
 顔を上げる。けれどそこには風に揺れる木々の枝と葉。そして遠くに魔界の暗い空が広がるだけだ。
「……気のせいか?」
 そんなはずはない。そう考えたがしかし、今は気になることなど何もない。ただ風の方向が変わっただけのように感じる。
 不審に思いながらもそれ以上分かることなどなかった。
 結局蔵馬は首を傾げつつ、元来た道を戻っていった。
 邑を捨てたときのように、一度として振り返ることなく――――――。





「やっぱり戻ってきたな」
「……こちらには気付かなかったみたいだけどね」
「そこはやっぱ、蔵馬だからじゃねえの? 最後の最後で詰めが甘いんだよ、昔から」
「そうね。でも、変わっていなくて安心したわ」
「そうか?」
「そうよ。変わらずに……自分の気持ちに鈍感で、それでも無意識に優しくて」
「そんなこと言うの、おまえくらいなもんだぜ」
「あら、それはそうでしょう。それくらい私はあの子のことを知っていますからね。何せ、私は蔵馬の姉だもの」
「けっ」
「あなたも蔵馬が好きならば、もう少し理解することね。そうでなきゃ私はずーっと邪魔してあげるから。いいわね、慈雨」
「――――――勘弁してくれ」


 蔵馬の去った森の中で、二人の狐が笑みを浮かべながら蔵馬の消えた先をずっと見ていた。
 それに蔵馬が気付くことはなかったけれど…………。

– END –

お題配布元:追憶の苑

Posted by 五嶋藤子