13. Polychrome
「はい、喜雨姉様」
「…………なんじゃ、これは」
紙の包みを渡してきた蔵馬に、喜雨は怪訝な表情をした。
そんな喜雨の目の前にはにこにこ笑う蔵馬――――だけではなく、なぜかその後ろには似たような表情をした蛍子やぼたん、雪菜がいた。
「浴衣ですよ」
喜雨の質問に答えた蔵馬の、その言葉に喜雨の眉間に皺がよる。
ただ、喜雨の姿は小さな女の子――今年小学校に入ったばかりの子供の姿なため、迫力など本当の喜雨の姿の時の足元にも及ばない。はっきり言って、そんなもの皆無だった。
喜雨のそんな反応も何のその、目の前の四人はにこにこ笑っている。
ある意味それは不思議な光景だった。
蛍子にぼたん、そして雪菜であればそれも納得がいく。しかしそれに蔵馬が加わったとなると……何か良からぬことを企んでいるのではないかと考えてしまうのは仕方のないことだろう。
その光景を見て、そう考えてしまった幽助と桑原は決して間違ってはいない……はず。
しかし、その隣――幽助たちと喜雨の間に座っていた慈雨と寒凪は、また別のことを考えていたようだ。
それは喜雨の性格と、蔵馬の喜雨に対する行動とでも言うのだろうか。とにかく今の蔵馬の笑顔に裏があるようには思えなかった二人。
「それを我に渡してどうするつもりじゃ」
内心、蔵馬たちの要求が何となく分かっていたが、それに乗ろうと思わない喜雨。
その言葉に蔵馬の後ろにいる三人は、ダメだったかなと思ったが、蔵馬は気にせずに言う。
「もちろん喜雨姉様が着るんですよ」
「なぜ、じゃ」
「良いじゃないですか、夏だし。夜になったら花火もするんですから」
「別に着なくとも良かろうに」
「オレたちも着ますからね。喜雨姉様にも着てもらいます」
「…………なぜじゃ」
「着せたいからに決まってるじゃないですか」
「…………」
そんな蔵馬と喜雨の会話に、少々周りは引いていた。
一応、蔵馬の言いたいことは分かった。
しかし、その対象が喜雨となると……。幽助たちは又聞きで、喜雨の性格や強さは慈雨や寒凪から聞いていたし、ちらりとだが見たことももちろんある。それがどれほどのものかも分かったいるつもりだ。だからこそ、蔵馬以上に喜雨を怒らせることなど出来るはずもない。出来るはずもないのだが……それを蔵馬はしようとしているのではないかと思ってしまうような会話の内容だった
そんな周囲に対し、蔵馬はじっと黙ったままの喜雨を見ていた。
別に、浴衣を着せて何かさせようと考えているわけではない。そんなことをすればどうなるか位、分かっているつもりだ。
それならばなぜ、と言う問いには……本当に着せたいから、着てもらいたかったからでしかない。
蔵馬にとって喜雨と言えば、長い黒髪に、十二単を着た姿――つまり和服姿の記憶の方が多い。しかし今は洋服で、しかも自分よりも身長が低い小さな女の子の姿をしている。
だからだろうか、たまに和服を着た姿を見たいと思ってしまうのだ。
そして今回久しぶりに仲間と食事をするために集まった折、用意されていた浴衣を見て、喜雨がこれを着た姿を見たいと思ったのだった。
そんなことを考えながらもなお喜雨を見ていると、喜雨は小さくため息をついて言う。
「まあ、それならば構わぬ」
相変わらず姿に似合わない言葉使いだなあと思っていた幽助たちは、その言葉で動きを止めてしまった。
そんな彼らに構わず、喜雨は立ち上がると蔵馬に向かって「誰が着付けをするのじゃ?」と問う。
「それはぼたんや雪菜ちゃんが得意だから」
「そうじゃったな……。もうするのか?」
「ええ、だから呼びに来たんですよ」
「そうか、ならば行こうかのう」
そう喜雨が言うと、蔵馬たちは彼女を連れ少し離れた部屋へと入って行った。
それを見送った幽助は、おもむろに口を開く。
「……良くあんなことさらっと言えるよな、蔵馬も」
「ホントだぜ……恐ろしくないのかね」
誰が、とは桑原は言わなかったが、それは言わなくとも通じたようだ。
「蔵馬もちゃんと姉貴の恐ろしさは知ってるからな……ちゃんと考えてるって」
そう言った慈雨の言葉に、それでも幽助たちは納得がいかないようだ。
それに答えたのは寒凪で。
「蔵馬はこういうことで喜雨を怒らせることはしない。――――怒らせる方法を知らないといっても良いかもしれないな」
「どういうことだよ」
「そう言う方向に思考が働かないと言うことだ」
幽助の問いに慈雨はそう答えたが、それはさらに彼らには分かりづらかったようだ。
「まあ、蔵馬は姉貴を怒らせないようにすることに、本能的に長けてるってことだよ」
昔っから蔵馬は姉貴を怒らせる言葉を言わなかったし、しかもそれが深く考えてのことじゃなかったみたいだから……。
「無意識に、ってか?」
「ああ」
今度は桑原の疑問に答えた寒凪の言葉に、羨ましいねえと二人は言った。
その言葉はなぜかかなり実感がこもっていて、どうやらこの二人は喜雨を怒らせたことがあるらしい。
それを思い、良くこの二人は生きていられたなと、これまた実感のこもったことを思う慈雨と寒凪だった。
それから少し経ったころ。
その時幽助たちは取り留めのないことを話していた。
はっきり言って、今回浴衣を着ない男性陣は暇なのだ、女性陣が着替えている間。
いい加減待つことに飽きてきた幽助と桑原。
これ以上どうやって時間を潰そうかと思っていると、突然側に妖気を感じる。
驚いて幽助たちが振り返れば、そこには普段と変わらない表情を浮かべた喜雨が立っていた。
ただしその格好は、一般的に見ればかわいらしい部類に入るピンクの浴衣。はっきり言って似合っている。
ただ、普通浴衣を着れば手を入れるだろう髪は何もせずにそのまま背中に流れていた。
そんな喜雨は幽助たちの横をすり抜け、寒凪のところまで行く。
その手にはゴムと、いくつかのピンが握られていた。
「寒凪」
「何だ?」
座っている寒凪と立っている喜雨。いつもと視線が反転している二人。その状態で喜雨は手に持ったゴムとピンを寒凪に渡す。
「結んでくれ」
「――――ああ」
そう言うと寒凪は喜雨に場所を譲ってその後ろに座りなおす。
そして身長差があってやりにくそうではあったが、寒凪はてきぱきと喜雨の髪をまとめだした。
「…………よく出来るな」
決して短くなくて、まっすぐな喜雨の髪を似合うようにまとめる寒凪の手際のよさを見ながら幽助が呟いた。それに桑原も頷く。
けれど何も言わない寒凪。その代わりに、そんな二人の反応を見た慈雨が言う。
「そりゃ、昔から寒凪は手先が器用だったからな。……姉貴や俺らの服作ってたのも寒凪だぜ」
「へえ……って、おめー服まで作れるのか!!??」
「――――――ああ」
普段と変わらない反応を見せる寒凪。幽助や桑原の反応など気に留めた様子もない。
そんな寒凪にそれ以上の言葉を期待しても無駄だと思ったのか、彼らの視線は慈雨に向かう。
「器用すぎるかもな。何せ、家庭科の時間に並み居る女子を抑えて一番教師からほめられてたし」
手際や出来やら。
「おかげでこっちは今まで何もやってこなくて、人間になって初めてそんなのをやった結果は散々だった」
慈雨は肩をすくめて言う。
家庭科は苦手だったと、暗に言っているそれに、口を挟んだのは喜雨。
「それは慈雨の努力が足りぬのであろう?」
ぐさりと来るだろうそれ。しかし慈雨は反論した。
「いーや、この年まで来てやってこなかったことを今更しろって言っても無理なんだよ。……姉貴もあと数年して、家庭科習うようになったら分かるさ」
現在小学一年生の喜雨。
小学校で家庭科を習うのは五年生から。
「特に被服は散々だと思うぜ」
実感のこもった言葉に、周りは皆苦笑した。
「まあ……確かにね」
「く、蔵馬!!」
「おめーいたのかよ!!」
急に背後から聞こえた呟き。
幽助たちが驚いて振り返れば、そこには浴衣を着た蔵馬たち……。
「さっきからいたけど……気付かなかった?」
「…………」
今までもそうだったが、どうして蔵馬の気配に気付けないんだろうかと悩む二人。
いや、蔵馬と言うより妖狐族の気配にだが……。
「蔵馬は家庭科苦手だったのかい?」
そんな様子の二人が目に入らないのか、ぼたんは蔵馬に聞く。
「うん。…………まったく出来ないわけじゃないけど、得意かと聞かれればそうじゃないと答えるね」
「蔵馬さんでも苦手なものってあるんですね」
こちらは食堂の娘の螢子。彼女自身は家庭科は出来たのだろう。特に苦手だとの言葉が出ない。
蔵馬の言葉に調子付いた慈雨がさらに言う。
「だから、姉貴も覚悟してたほうがいいって」
それが言いたかったのかと喜雨は思うが、考える振りをして答えなかった。
その後、当初の予定に行くまで家庭科の思い出話に花が咲いていた。
その為に、どこからか取り出したリボンを結んでようやく喜雨の髪形を作り終えた寒凪の呟きを聞いたのは、喜雨だけだった。
「だが、喜雨は料理が出来るからいいんじゃないのか?」
– END –
お題配布元:追憶の苑