22. Monophobia
「国光、どこの学校に行くことにしたの?」
幼馴染には多数の私立中学から進学の誘いがあることを知っている。
そしてもうそろそろその答えを出さなければいけない時期。
けれどどこへ進学するかを聞いていなかった彰子は、テニススクールで見つけた手塚に尋ねた。
「…………青学」
「青学? 青春学園?」
「ああ」
「ふうん」
確かその学校からの誘いはなかったんじゃないか、そんなことを考えながらも表面上はなんでもないように反応する。
「彰子はそのままか?」
「そう。わざわざ変わる理由もないから」
ジュニアの大会でタイトルを総なめにしている彰子もまた、テニスの名門校からの誘いが絶えない。
けれど元々幼稚園から大学まである私立校の、その小学校に通っている彰子にとって、それらの誘いは面倒なもの以外のなにものでもなかった。
「まあ、聖華もテニスは強いからな」
「テニスが強いから進学するわけじゃないよ」
「分かっているさ」
即座に反論され、手塚は苦笑する。
彰子は、テニスが出来ればそれでいいのだ。その学校の強さは関係ない。……たとえ、聖華のテニス部が弱かろうと、彰子は進学していたはずだ。たまたま通っていた学校のテニス部が強かった、ただそれだけの話。
そんな風に考える彰子を不思議に思いながら……うらやましくも思いながら、手塚は彰子をコートへ誘う。
「それじゃあ、これからそう何度も試合は出来ないな」
「え……?」
手塚の言葉に驚いた声を上げた彰子。それを不思議に思った手塚は首をかしげる。
「何を驚いているんだ? 中学に入れば部活に入るからテニススクールはやめることになる。そうなれば、彰子と練習することもなくなるだろう?」
「それは……そうだけど」
考えていなかったことを当たり前のように指摘され、彰子は顔を微かにゆがめる。
その表情の意味が理解できないまま、それでも彰子を悲しませてしまったことは分かった。
「彰子……どうしたんだ?」
「……なんでもない」
「なんでもないって……そんなこと――――」
「なんでもないの!」
そう言ったときの彰子の表情は既に普段のものになっていて、手塚はそれ以上どういえばいいのかが分からなかった。
「それより、早く練習試合しよう」
もうあまり時間がないんだから。
明るく言う彰子に、手塚はその変わり身の速さに戸惑いながらも後に続いてコートに入った。
「手を抜くなよ」
「それはこっちの台詞!!」
釘を刺した手塚に彰子は反論するが、誰も手塚が手を抜くとは考えていなかった……彰子以外。
そんなことをすれば、一ポイントも取れずに手塚は負ける。
それが分かっていないのは彰子だけだ。それだけ自分が強いと言うことを分かっていない。
(今日はどれだけいけるか……)
数日で彰子に勝てるだけの実力がつくわけがない。
それでも一日一日成長はしている。問題は、その成長彰子からポイントを取れるだけの成長かということ。
――――――そして何より、手塚自身が成長しているならば彰子も成長するだろうと言うこと。
(昨日以上に差が開いてなければいいけどな……)
そう考えながら、手塚は彰子のサーブを受けるべく、構えた。
「何落ち込んでるの、彰子」
休み時間に珍しく何もせずに机に突っ伏している彰子の上から、そんな声が降ってきた。
「あ……麻里香……」
彰子が顔を上げればそこには幼馴染で同じクラスの麻里香。
「何してるの?」
「何って……なんだろう」
「はあ?」
何を言っているんだと呆れ顔の麻里香。
けれど、彰子は相変わらず十人に聞けば十人が落ち込んでいると答えるほどの表情でいる。
「はぁ」
そんな彰子にため息をついた麻里香は、彰子の前の席の椅子を引いて座る。
「中学に入ったら一緒に練習が出来なくなるって国光に言われてショック受けたんだって?」
「――――――なんで……」
国光に聞いたの?
いつもとは違うぼんやりとした彰子の様子に、麻里香は呆れた表情を見せる。
「昨日電話があって、もしかしたら彰子を傷つけたかもしれないって。……どうすればいいか分からないって」
単に、そのことを考えていなかっただけでしょう?
さらりと言われ、おずおずと彰子は頷く。
「仕方ないでしょう? 部活に入るっていうのはそういうことだし」
――――性別が違うし。
「…………やだ」
「無理」
麻里香は彰子の言葉をばっさりと切って捨てた。
「麻里香の意地悪…………」
「何言ってるの」
彰子の言葉に笑ってしまった麻里香。
ふてくされてしまった彰子に、さらに続ける。
「彰子と国光が選んだことでしょう? それが嫌なら国光に中学で部活に入らないでって言うしかないんだよ」
「それは無理ー」
「じゃ、諦めなさい」
「…………」
それも無理と言いそうな表情で、けれどさすがにそれは我慢しているようだ。
「別に、試合が出来なくなるわけじゃないんだし……いいじゃない」
「でも国光は青春学園に行くんだもん……暇なんてきっとないよ」
そこはテニスの名門校である。
練習量も半端ではないだろうと簡単に予想が出来る。何よりそこには知り合いがいるから彰子はよく知っている。
「何だ、青学に行くことにしたの、国光」
「うん」
「それなら何とかなるんじゃない? 休みの日はあるでしょう?」
国光なら休みの日も練習はしそうだよ?
「そうかなあ……」
「そうよ。誘えばきっと付き合ってくれるって」
(彰子の頼みなら断らないでしょ)
内心で思ったことは口に出さずに。
「…………うん」
ようやく頷いた彰子。そんな彼女の頭を撫でながら、麻里香は彰子に見えないように笑っていた。
(分かりやすいと言うか……何と言うか)
今よりずっと幼いころから付き合ってきた二人の想いなど、二人のそれぞれに対する感情が変わったことなど、変わったと思われるころから気付いていた。
だからこそ、少しおっとりした彰子は落ち込むことがあるだろうし、それに関して手塚が苦労するだろうことも簡単に予想がついた。
(ま、もう大丈夫かな? ……一応)
そんな中途半端なことを麻里香は思う。
「結局なんだったんだ?」
その日の夕方。
テニススクールから帰ってきた手塚は、今日会った彰子がいつもと変わらない様子で……傷つけたと思った時とはまったく違う様子で練習に誘ってきたことに安心しながら麻里香に電話をかけていた。
『うーん……特に何か言ったわけじゃないんだけどね』
「そんなわけないだろう」
『本当だって。……まあ、単に彰子は中学に行っても国光とテニスするつもりだったんでしょ』
「…………」
考えていなかったことに国光は言葉が出なかった。
『だからね、休みの日でいいから彰子に付き合えばいいのよ……あ、無理なら無理って言っていいんだからね』
慌てて付け加えた麻里香。
「それはいいけれど……そう頻繁に休みがあるわけないだろ」
『それは彰子も理解しているよ。だから、その少ない休みの日で、体調とかが大丈夫なときでいいんだから』
「…………わかった」
その言葉にほっとした様子の麻里香と、手塚はそのあと他愛のない話をして電話を置いた。
「それでいいなら……そうするけどな」
むしろ、歓迎だ。
呟かれた言葉を耳にした者はなく。
また、表情を変えた手塚を見たものもいなかった。
– END –
お題配布元:追憶の苑