24. Interferon

 シンが一歩、足を踏み出せばその先のアスランがびくっと肩を揺らした。
 それを見て目を見張る。
 
 “おびえている”
 
 アスランが、シンに、おびえているのだ。
 いいや、シンだけでなくルナマリアにもメイリンにも……そして、シンたちから少し離れた位置にいるキラ・ヤマト、ラクス・クライン、さらにはカガリ・ユラ・アスハにも……。
 シンの目から見て、三人はそのことにショックを受けているのがわかった。
 けれどシンにしてみれば何をいまさら、と言うようなこと。
 シン自身、アスランにおびえられる可能性を持っていることを自覚していた。理由はこれだとは言い切れない。けれど今までアスランに対してしてきたことを考えればそんな感情を持たれても仕方がない。
 それはキラ・ヤマトたち三人にも言えることだとシンは思っている。それだけのことを今まで散々やってきたじゃないか、と。
 ただ、なぜルナマリアやメイリン……特にメイリンをおびえるのかはシンにはわからなかったけれど。
 メイリンは何もしていない。
 メイリンはアスランを守るために行動していたはずだ。
 そう思ったけれど、おびえるのなら違ったのだろうか?
 メイリンが、自分と同じようなことをするとはどうしても思えないシンだったが……。
 
「お兄さま――」
 
 背後から聞こえてきた声に、シンたちは振り返った。もちろんキラたちも。
「っ……」
 誰からともなく息を呑む。
 斜め後ろにジュール隊隊長イザーク・ジュールとその副官ディアッカ・エルスマンを従えるように少女が立っていた。
 その少女は藍色の髪に翠の瞳――アスランにそっくりの、少女。
 すぐに血がつながっているのがわかる。
 そして少女の言葉はそれを肯定するものでしかない。
 
「…………チャスカ」
 
 小さな、小さな声が聞こえた。
 それはアスランが言った言葉で……今までおびえていたアスランが、少女に――チャスカに向かって腕を伸ばしていた。
 それがシンたちの目に入ったと同時にチャスカは駆け出し……アスランに手を伸ばした。
 
「お兄さま……?」
 
 差し出されたアスランの手をとろうとしたのだろう。けれどその前にアスランがチャスカの腕を引っ張り、そして抱きしめた。
 兄と妹。その視点で見れば何もおかしくはない光景。
 けれど、おびえていたアスランを考えれば、少し、おかしかった。
 何よりいまだアスランはおびえているから。
 かたかたと、震えながらも必死にチャスカを抱きしめていた。

◆◆◆

 それからどれくらいの時間がたったのか。
 未だ顔を上げないアスランに向かって、チャスカが小さく声をかける。とは言え、あたりはしんと静まり返っているために誰の耳にもその声は届いたのだが。
 
「お兄さま……あちらに、エザリア小母さまや、ルイーズ小母さま方がいらっしゃいます。エリザベスお姉さまたちも、お兄さまを待っていらっしゃいます」
 
 行きましょう。
 
 その言葉にアスランがかすかに頷くのを確認したチャスカとイザーク、ディアッカはアスランを支えながら立たせる。と、それを待っていたかのように入り口からイザークたちと同年代の女性が二人、入ってきた。
 その顔に目を見張ったのはラクスのみ。
 はじめから打ち合わせをしていたのだろうスムーズさでチャスカたちはアスランを二人に託した。
 アスランは最初、チャスカから離れることを拒むしぐさをした。けれどチャスカに耳元で何かをささやかれ、しぶしぶと言った風ではあったものの手を放した。そして女性二人に左右を挟まれ――支えられ、部屋を出て行く。
 この間はとても短い時間だった。シンたちはおろか、ラクスたちも口を挟めないほどに。
 呆然とした彼らを前にどんどん進んでいく事態に、ようやくラクスが今まさに部屋を出て行こうとしていたアスランの名を呼ぶ。
 
「お待ちなさい、アスラン!」
 
「アスラン待って!!」
「アスラン!」
 つられるようにキラとカガリも声を上げる。
 そんな声にアスランは肩を揺らすけれど、決して振り返ろうとはしなかった。ただ、アスランの手を引いていた女性の手を、しっかりと握り返してから部屋を出て行った。その姿が彼らを拒否しているように映ったのか、ラクスたちはその後を追おうと駆け出した。
 
「お退きなさい!」
 
 けれどそれを止めたのはシン、ルナマリア、メイリンだった。
 イザークたちが動く前のその行動に、イザークたちはもとより本人たちも驚いていた。けれどラクスの厳しい表情を目の当たりにしても、その表情が“怖い”と思っても逃げずに彼ら三人の進路をふさいでいた。
 どうして、そんな行動をとってしまったのかは三人ともにわかっていなかった。ただ、無意識に体が動いた。それに対してにらんでくる三人に、いやな感情がわいてくる。今はおびえていたアスランのためにと、そんな風に思えたけれど。
 けれど当然そんなことでラクスたちがあきらめることはない。再び何かを口にしようとした時、シンたちを下がらせたイザーク、ディアッカ……そして中心にチャスカ。彼らが前に出たことでその後ろからラクスたちを見ることになったシンたちは、その表情が憎々しげに歪んだのを見た。
 
「どいて――――――」
 
「なぜですか?」
 
 チャスカたちに行く手をさえぎられたキラが言う言葉をばっさりとチャスカは切り捨てた。
 背中しか見えないシンたちにはその表情はわからない。けれど、まったく感情のこもっていない声音に、表情もきっとそうなのだろうと思う。
 そしてその理由は三人には理解できた。ただし、ラクスたちはまったく理解していないのは表情を見れば一目瞭然。
 ただ、それもそうかとシンたちが納得してしまったとしても不思議ではない。そういうことを今までやってきたのだ、ラクスたちは。
「僕たちはアスランと話がしたいんだ」
 
 ただそれだけなんだ。
 
 そう口にするキラ。
 ラクスもカガリも頷いている。
 けれど、だから? と思う。シンたちも。チャスカたちも。
「だから……」
「先ほどの、兄の様子を忘れられたのですか?」
「えっ……」
 何のことを言っているのか、そんな反応だった。
 当然のことながらシンたちはむっとする。けれど聞こえてきたチャスカの声はただ、呆れた、と言っているものだった。
「あなた方が名前を呼んで、ただおびえた様子だったことに気付かなかったのですか? 一度も振り返らなかった、その意味がわからないのですか?」
 あんなにもあからさまだったのに。
 と、ため息をひとつ。
 そしてそのため息のあとに彼女を隠すようにイザークとディアッカが前に出る。
「ラクス・クライン。先ほどチャスカが口にした名前に引っかからなかったのか」
「“エザリア小母さま”、“ルイーズ小母さま”、そして――“エリザベス”。よーく知ってると思うけどね、ラクス・クライン」
「…………っ」
 今ようやく気付いた、とばかりに息を呑むラクスに戸惑うキラとカガリ。
「ああ、けどチャスカはエリザベス“たち”って言ったな。そのほかの名前、言おうか?」
 ディアッカの言葉に今度は肩を揺らす。その表情は――“おびえて”いた。
 そうしてラクスが何かを口にする前に、シンたちの背後から声がかかった。
 
「その必要は無いわ」
 
 その声に、シンたちはあわてて振り返る。そのためにラクスたちがどんな反応を示したのかはわからないのだが、部屋に入ってきた同年代の女性の表情を見れば大体のことが予想できる。その顔には侮蔑とも取れるものが浮かんでいたから。きっと、彼女の気持ちはチャスカたちと同じなのだろうとシンは思う。またはそれよりももっと強い“嫌悪”。そうでなければこんな表情を浮かべはしない。
 女性はシンたちを通り過ぎ、イザークたちの前に立つ。
「もういいでしょう? チャスカは連れて行くわ」
 後のことは決めてたように。
 そう言うと、返事も待たずにチャスカの腕を引いて部屋を出て行こうとする。それにチャスカが何かを言うこともなく、またイザークたちも反論せず……そしてラクスたちに口を挟む暇をも与えなかったことから、それは彼女の言った通りすべて事前に決められていたことなのだろう。
 けれど……シンたちの前を通り過ぎようとした時、不意に立ち止まってシンたち三人を見る。
 その視線に何故か緊張して背を伸ばしてしまった三人に、彼女は「付いてきて」と言って出口を示す。
 あわててイザークたちに視線を送るも、二人とも頷きしか返してくれない……行け、と言うことだ。
 アスランをおびえさせた自分たちがなぜ、とも思っていた。
 けれどそう指示されるのには理由があるのだろう。これ以上、ラクスたちの理解していない、意味のわからない反応を見るのにも疲れてしまった三人は、促されるまま女性とチャスカの後に続いて部屋を出た。
 そのために、この後どんなやり取りが室内であったのかは知らない。

◆◆◆

「何が……目的なのです」
 五人が部屋を出て行った後。ラクスは表情をこわばらせながらもようやく口を開いた。
「何が、とは?」
「とぼけないでください! あの方までを出してきて、“何もない”とでも!?」
 あの方、と言ってもキラやカガリには先ほどチャスカやシンたちを連れて行った女性のことだと言うことしかわからない。その名前も、どんな人物なのかも……。けれどラクスの様子から、いい感情は抱かなかった。けれどそもそもの原因が、自分たちにあるとは思いもしない。
「エザリア・ジュール、ルイーズ・ライトナー……そしてエリザベス・ライトナーの名前を出して、マリア・エルスマン、セレーナ・マクスウェル……さらにはエリザベス・ライトナー本人まで呼んでおいて――」
「その原因は貴女にあった、と、そうは思いませんか?」
「思いませんわ! 私に原因など!!」
「残念ながら、そうはいえないんですよ、ラクス・クライン。もうわかってるでしょ、あの三人が姿を現したんだから。そして、エザリア様やルイーズ様が名前を出してもいいと言って下さったから、俺らは名前を使わせてもらった。別に貴女に理由が無ければそんなことしませんよ」
 恐ろしいからね。
 いつものひとを食ったような口調とは違う。そう、以前共闘した時とは明らかに違う真剣さでディアッカは言う。
「貴女はアスランのことを考えてはいなかった。その結果がこれです」
「考えておりましたわ!!」
「――――そうですか? 例えそうだとしても、あいつが何を考え、何を想い、何を抱えていたかはわからなかったのでしょう? 何を望んでいたのかなど、知ろうともしなかった」
 
 それこそが、この結果を招いた。
 
「アスランがおびえた理由。アスランが貴女の声に立ち止まらなかった理由。チャスカたちは離れていてもそれに気付いた。だからこそ、アスランはここを出て行った」
「わからないならわからないままでいいさ。どうせもう何もかも遅い」
 あんたたちは知ろうとしなかったんだから。
「それに、考えもしなかっただろう? 自分たちがプラントへ来て、どういうことになるのかを。――――“真実”を知ったプラントの市民が何を想い、何を望むかなど」
「なに……?」
 ディアッカの言葉にも、三人は理解できないと眉をひそめるのみ。
 本当に、考えたことも無いんだと、わかっていたことながら改めて知る。
 あれだけザフトに銃を向けておいて、プラントに受け入れられると思っていたのか。
 何より、“平和”がすべて同じものだと思っていたのか。
 これが本当にプラントの政治に関わっていたものを親に持つ者の考え方なのか。
 理解できない考えに、もう何も言うことは出来なかったし、したいとも思わなかった。
 
 一生彼らは“こう”なのだろうと、考えることしか出来なかった。

◆◆◆

 チャスカたちの後についていったシンたちが見たのは、アスランを慰めるように穏やかな表情で話しかけているイザークと、チャスカを迎えに来た女性に良く似た二人の女性――母親、だろう――に挟まれ、ひざを抱えているアスランと、部屋の隅でどこかに指示を出しているアスランを部屋から連れ出した二人の少女。
「遅かったのね、エリザベス」
 母親の年代のうちの一人で、シンでも名前を知っている女性――ルイーズ・ライトナーは顔をシンたちに向けると先頭にいた女性に声をかけた。
「色々と……不毛な言い合いをしていましたので」
「そう。それは困ったこと……」
「まあ、後はイザークとディアッカに任せてきましたから。あの二人なら今後の対処は可能でしょう」
 ラクスに対峙した時とは明らかに違う口調で、“エリザベス”は報告する。
 けれど、そうなるのも当然かと言う想いもまたシンたちにはある。
 だからそれを不思議に思うことも無く、アスランに駆け寄っていったチャスカの言葉を聞くだけだった。
 
「お兄さま」
「チャスカ……」
 先ほどと同じように、すがりつくようにチャスカの腕をつかんだアスランに、ゆっくりと、やさしい声音でチャスカは言葉を紡ぐ。
 ラクスたちに向けていたものとは違う……きっとこちらが本当のチャスカなのだろうと、何故かそう思ってしまった声音。
 
「ここにはもう、お兄さまを否定する人はいません。お兄さまの願いを切り捨てる人などいません。ですから、もう我慢しなくて良いのです。もう我慢などしないでください」
 
 お兄さまの乗ったMSを落としたことがあっても、あの方は今のお兄さまを否定はしません。
 大切な妹を危険にさらしたからといって、今お兄さまを嫌いになっているとは思いません。
 危険な目にあわせてしまって、姉と敵対することになったからといって、お兄さまを恨まれている方だとは思いません。
 
 名前は挙げられなかった。
 けれど誰のことを言っているのか、シンたちにはわかった。
 わかっていたから、アスランを嫌ってはいないから、恨んではいないから、それをわかって欲しくて三人はアスランに駆け寄って……そうしてチャスカも一緒に抱きしめた。

– END –

お題配布元:追憶の苑

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子