1. 雨に濡れて
「とうとう降り出したな」
隣の席の奴がそう呟いたのを耳にし、目を上げればその男が言うように朝から曇っていた空から雨が降り出していた。
「どうせ傘持ってきてんだろ」
「当たり前だろう?」
「ならなんでそんなことわざわざ言う」
「目に入ったからな。――――まあ理由を付けるなら、雨が降ると心配な奴が出てくるだろう」
「…………チッ」
知ったような顔をして――実際知っているんだが――隣の奴は意味ありげな視線をよこす。
それに舌打ちをしながら俺は放課後の予定を考え始めていた。
ちょうどチャイムが鳴り、5限目の担当教師が入ってきたところだった。
「あ……降り出した」
後ろの席に座っているクラスメイトの声につられて、僕は窓の外に目を向けた。
彼女の言った通りにどんよりと曇った空から雨が降っていて……しかもだんだん強くなっていくのが分かる。
「もう少しもってくれたらよかったのに」
「仕方がないですよ。天気予報も昼前には降るって言ってましたしね」
「……もう昼過ぎ」
「ははは。よくもったほうじゃないですか?」
学園のアイドルの一人と呼ばれるほど綺麗な顔をしかめるクラスメイトに、僕は苦笑しながら言う。
内心の動揺はきれいに隠して――――――。
「授業始めるぞ」
そんな言葉が聞かれなければ、きっと彼女との会話を中断出来ずにいた。そして気付かれてしまうところだった。
ちょうど入ってきた5限目の教師に救われた形で僕は前を向き、それは何とか回避出来た。
――――雨はどうしても嫌な記憶を蘇らせてしまう。
「…………あの馬鹿」
ようやく授業が終わり、八戒がいそうなところに向かっていると案の定、中庭の隅にその姿を捉えることができた。
しかし、そこには屋根はない。
木の下でもないから、当然八戒は雨に濡れてしまう。
「八戒!!」
名前を呼びながら駆け寄ると、空を見上げていた翠の瞳が俺を映した。
「…………先輩」
「何をしているんだ、お前は!!」
間を置いて俺を呼ぶ八戒の目は虚ろだ。
それを見てしまった俺は叫びながら八戒の腕を引き、雨に当たらないように屋根の下へと引きずっていく。
「……何を考えている」
分かっていることだ。
分かってはいることだがそれでも言わずにはいられない。
「何って……」
ぽつりと言葉をもらす八戒。
それでも明確な答えを言うわけではないけれど。
「先輩」
おずおずと伸ばされた手は、俺の制服をつかむ。
力は入っていないのではと思うほどに弱い。
震えてはいるものの……しかし決して放したくはないと言うようだった――――
「先輩……」
ぎゅっと、八戒の全てを包み込むように俺は八戒を抱きしめた。
強く、出来る限り強く。
そうすれば八戒の身体から力が抜けていく――――。
「八戒……」
俺に身体を預ける八戒。
「……まだ、マシになったほうか」
そんな風にぽつりと無意識に呟いてしまう。
最初の頃はこうはいかなかった。
雨の日になると何度も何度も飽きずに自傷を繰り返していた。
それは目に見える傷だったり、目に見えないものであったり様々。
ようやく心を開いてもらえるまでは、止めようとしても暴れていた。
今はそんなことはないけれど。
それでも雨の日は目が放せない。
何もないことのほうが多くなったが……それでもたまにこういうことが起こる。
何がきっかけかなんて分からない。
ただ不定期に、思い出したようにこんな行動に移っている。
「まだ……ダメなのか」
八戒を抱きしめながら、俺はそう呟いた。
濡れた八戒から移った雨が、俺の制服を濡らしている。
– END –
お題配布元:創作者さんに50未満のお題