散ってしまったらもう元には戻らない、そんなことはわかっていた筈なのに

「何をしているんだ?」

 空を見上げていた楊ゼンに声をかけたのは燃燈道人。
 その手にいつも抱えられている書類の束がないから、休憩時間なのだろう。そうでなければ自分を探しに来たか。
 そんなことを振り返った楊ゼンは思った。
 そして目にした燃燈は急いでいる様子がないから前者だろうと結論付ける。
 だから、まあ、いいかと再び視線を戻す。――――そこにあるのは広がる草原だ。以前とは違う、それでも間違いなく今の仙人界の姿。
 けれどそんな楊ゼンの反応に、燃燈はため息をついて同じ言葉。

「何をしているんだ? ――――――教主」

 最後の言葉にアクセントを置いて。それを楊ゼンが内心で嫌っていることを知っていながら。
 きっと、ここで答えなければ燃燈は延々同じ事を聞いてくるだろう。もちろん最後の言葉を含めて。
 それはそれで今の、この表現しがたい感情をさらに助長するに違いない。そう判断した楊ゼンはしぶしぶながら答える。
 もちろん、“本当のこと”など燃燈に言えるわけが無い。
「別に、ただなんとなく、ですよ」
 そう、なんとなく、だ。間違ってはいないと楊ゼンは口に出してから思った。
 なんとなくでなければなんだと言うのだろう。
 が、やはりと言うか何と言うか、燃燈はその言い訳を認めてはくれなかった。

「嘘だな」

 唯それだけの短い言葉でばっさりと。
 燃燈にかかればたとえ“天才道士”の自分こんなものだ。
 口に出してから、自分の気持ちを的確に表していると思っていても、口に出したときには“嘘”だったのだから。
「異母姉様や、道行に聞いた。――――――玉鼎のことを“知った”そうだな」
「――――――」
 予想していたことだった。
 燃燈が楊ゼンのこの行動の原因を知っていることなど、“燃燈が”楊ゼンを探しにきたことで一目瞭然だった。
 そうでなければ張奎の部屋から丸見えの、普段韋護が昼寝をしている場所に居る楊ゼンが真っ先に彼らに見つからないはずが無いのだ。
 燃燈が知っていたからこそ、彼が来たのだろう。そしてきっと竜吉や道行が付いて行こうとした他の者を止めているはずだ。
「知っているのなら……聞く必要は無いでしょう?」
 無駄だ。
 そうつぶやく楊ゼンの表情を、無理も無い、と燃燈はため息をついてから少しだけ距離を置いて腰を下ろした。
 その、開いた距離を視界に入れて、楊ゼンは唐突に「ああ、入れる距離だな」と思った。
 何が――――誰が、など、改めて口にする必要も無い。
 誰が入れる距離かなんて、この場合一人だ。

「玉鼎は――――――」

 そんな、なんでもないことを考えていた楊ゼンに、燃燈は先ほどまで楊ゼンが見ていた風景を目にしながら言う。
「確かに崑崙に居ることが、仙人であることが苦痛だっただろう。自分が何を持って、どんな理由で崑崙に居、仙人であるかを理解していたからこそ、つらかっただろう。仙界生まれの私には理解できないことだ。玉鼎のような必要のされ方をしない仙道には、理解できないものだ」
 ぎゅっと己の肩を抱いた楊ゼンをちらりと見た燃燈は、すぐに視線を戻す。
「ただそれも、お前を弟子にする前までのことだ。お前を弟子にしてからはそんなことは無かったはずだ。少なくとも、異母姉様はそれを感じたことは無かったそうだ」
「たとえ、そうだとしても――――――」

 気付けたはずだ。

「――――」
「おかしいと、思っていたんだ。たとえ妖怪仙人である僕が居たとしても既に仙名をもらっている。そんな中で師匠が僕以外の弟子を取らずにすむなんてことは、ありえないことだと…………少し考えればわかることだった」
 けれど考えないようにしていた。
「師匠以外の人間と、暮らすことは考えたくも無かった」
 だから目をそらした。
 何故玉鼎真人という仙人が、弟子を取らなくても許されているのか、その理由に。
「考えれば……疑問に思えばあとは調べるだけでよかった。簡単に理由は知ることが出来たはずだった」
 今回、思いがけず簡単に知ることになったのだから。
「僕は師匠が人間界に下りるところを見たことが無い。それどころか、洞府からも……よっぽどの用事がなければ出ていなかった」
 人間界に降りなかったのは、“降りれなかった”ためだ。玉鼎真人は人間界へ降りることを禁じられていた。たとえそれが弟子を取るためといえど。そんな状況で、楊ゼン以外の――――否、弟子を取ることができるはずもなかった。楊ゼンだけがなることが出来た。――――いや、そんな楊ゼンもまた、玉鼎を崑崙に縛るものでしかなかった。
 そして洞府から出なかったのは、顔を合わせることも、見張られることも避けていたためだ。誰に、とは言わないが、そんなことできるのは唯一人だ。
 それほどまでに縛られた状況を、玉鼎ほどの仙人が甘んじて受け入れていた理由――――――。

「僕が、いたから……」
「――――」
「僕が居たから、最後まで師匠はどこにも行けなかった。逃げることが、叶わなかった――――僕を置いてはいけないと、そこまで思ってもらえた、僕が居たから」
 燃燈は無言で楊ゼンの言葉を聞いていた。
 その言葉が正しいものであることもまた、理解していた。
 理解していたからこそ、口を挟むことはしなかった。慰めることも無かった。
 燃燈とて、玉鼎の扱いには怒りを覚えていた。その判断に、異を唱えたかった。けれど、仙界に生まれ、育った自分ではどうすることも出来ないことでもあった。――――自分だけではない、おそらく仙界で長く生きる“仙人”には出来なかった。そして、道士では力が足りなかった。
「力を得た今、師匠のことを知った今なら――――開放することが出来たのに」
「――――――そうだな」
 途切れた言葉に同意した燃燈。それを耳に入れながら、楊ゼンは空を見上げた。青い、澄み切った空を。

 それなのに、今度は別のところにとらわれてしまった。

– END –

お題配布元:追憶の苑

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子