啓蒙思想

 喉が渇く………
 
 
 
 一体どれだけこの状態でいるのかもう分からなくなった。
 ただ、喉が渇いて仕方がない。
 
 
 
 
 
 
 森の中を歩いていると、なれた気配が感じられた。
 それはオレの獲物となるもので、うんざりしながらもなぜか少し期待感が生まれた。
 ただ、それに近付いて行くうちに不思議な感じも受けた。
 獲物は一つしかいないはずなのに、あるはずのない気配。
 
 
 人間の気配だ。
 
 
 人間はオレの獲物ではないし、この二つの気配が何もなく一緒にいるなんて殆どない………一部例外を除いて。
 不思議に思いながらもそれが視界に入るまで近付けば、黒髪の女が倒れていた。
 そしてそこから感じる二つのチカラ。
 そいつの姿を見た瞬間に、感じるはずのないそれをなぜ感じるのかが分かった。
 
 
 こいつはオレと同じだ。
 
 
 だけどオレと違うのは、片方の力があまりにも強すぎたために突然変異でも起こった点だろう。
 そして、そいつがそれを受け入れることが出来なかったことは容易に想像出来る。
 なぜなら、受け入れることが出来たのであればここで倒れていることなんてありえないから。
 この森を一歩出ればそこはこいつの餌なんてわんさかいるんだ。
 ぶっ倒れることなんてありえない。
 
 
 
 
 
 
「おい、生きてるか」
 
 
 頭上から、そんな声が降ってきた。
 気配に聡い私が気付かなかったことに驚いたが、同時にそこまで力がなくなっているんだと―――“死”が近いのだと知った。
 そして感じたものの気配に、さらにその想いを強くする。
 
 ああ、こいつは私を滅ぼすものだ。
 
 その時思ったことは、純粋に、これで開放されるということだった。
 もうこんな苦しい思いをしながら生きていかなくていいのだと、そう許されたのだと思った。
 だから降ってきた言葉に私は一瞬なんと言われたか分からなかった。
 
 
「死にたくない、か?」
 
 
 何を言っているんだと思った。
 おまえは私を滅ぼすものだろう、と、そう言いたかったけれど声にはならずにただ息が漏れただけだった。
 
 
「おまえ、そんな風に死んでもいいのか?」
 
 
「おまえに大切なものはないのか?」
 
 
「このままじゃおまえ、ここでくたばったらこの辺に住んでる獣に体食われるだけだぜ」
 
 
「おまえのプライドは、それを許すのか?」
 
 
 矢継ぎ早に問いかけられる疑問にも、私の心は動かない。
 ただ、早く殺してくれと、滅ぼしてくれと思うだけだ。
 だけど、最後に問われた言葉に私は息を呑んだ。
 
 
「オレはおまえを殺すつもりはない。オレと同じヤツを殺す趣味もない」
 
 
 おまえ、オレと同じだろう?
 人間の母親から生まれたんだろう?ちょっと相手が力が強すぎて、それが分からなくなってしまったみたいだけど。
 
 
 そう言い切ったヤツを、私は驚きながらも緩慢な動きで見上げた。
 そしてそこにあったのは私とは正反対の太陽の色。
 それが私と同じ種であることにも驚いたけれど、こいつがそれを見破ったことにも驚いた。
 
 
な………ぜ……?
「うん?」
「なぜ………わかった……?」
 出ない声を振り絞って問えば、少し呆れた表情で答えをくれた。
「初めは分からなかったけどな。でも、近付けば完全にその人間の気配は隠せないぜ」
 きっぱりと言い切られ、何もいえなかった。
 まさかここまで強い力を持った同種がいるとは思っていなかった。
 私も力は強いけれど、この力は別のところから来るから………。
 
 
 
 
 
 
 オレの言った言葉にそいつは驚いた表情をした。
 まあ、分からなくもない。
 オレ自身、なぜ分かったのか不思議だ。
 少し、だけれど。
 
 
「どうするんだ?生きたいのであれば助けてやる。だが、死にたいのであればオレは何もしない」
 おまえが決めろ。
 ただ、純粋な人間でないおまえを生むために母親がどれほどの苦痛を我慢したか考えろよ。
 そして、おまえの中の想いがどうなのかも………ちゃんと向き合え。
 
 
 そこまで言って、オレは口をつぐんだ。
 あとはこいつが決めることだ。
 ………だけど、だからと言ってこのまま何もせずにこいつが死んでいくのも寝覚めが悪い。
 最後の最後にはきっと生かすんだろうと、今までのオレの行動を振り返れば考えられないことを考えていた。
 
 
 だから、目の前のヤツが言った言葉を聞き逃してしまうんだ。
 
 
 
…………………たい
 
 
 
「うん?」
 声が聞こえてそいつを改めて見れば、相当やばいことになっていた。
 内心で舌打ちをしながらも聞き返す。
 だが、それに答えられるかも怪しい状態だった。
 それでも聞かないわけにはいかない。
 耳を澄まし、次の言葉を待った。
 
 
 
 
 
 
「いき……………たい」
 おねがい、たすけ………………
 そう言っている途中で体がふわりと浮いた。
 浮いた、と言うのは間違いかもしれない。
 それに気付いたときには男の首筋が目の前にあったのを確認して、抱えられてひざの上にいるのを知った。
 
 
「飲めよ、これでおまえは生きられる」
 
 
 その言葉を聞くと同時に、私は目の前のものに歯を立てていた。
 すぐに感じたのは甘い味。
 男のものはまずいというのが定説で、私自身感じていることだった。
 けど、こいつのだけは違った。
 それはこいつがダンピールだからなのか。
 それとも別の何かの所為なのか、それは分からない。
 けれど今の私にはそんなことどうでも良くて、ただ、血を味わっていた。
 私が望み、望まなかったものを…………。
 
 
 
 
 
 
 飲め、と言った後、首筋にちくりと痛みを感じたが、まあ、我慢できないほどではない。
 そしてその後には一生懸命にオレの血を飲む女………いや、まだ少女か?
 なんにしても、これを人間が見たら慌てるだろうな。
 人間が、吸血鬼に血を飲まれている………と。
 正確にはオレもこいつもダンピール―――吸血鬼と人間の間の子だ。
 ただ、親の力の比率が違ったってだけだ。
 だが、それだけのことがオレとこいつを大きな違いの中に置いた。
 
 オレは人間の血は吸わない。
 吸わずとも人間の食料だけで生きていける。
 …………だが、こいつは血を吸わなければ生きていけない。
 それは多分、こいつの母親がごく普通の人間だったからだ。
 そして父親は………吸血鬼の中でもかなりの力の持ち主に違いない。
 オレ場合、親父もそうだったけれど、母さんも力を持った人間だったから………。
 
 
 
 そこまで考えて、抱えているやつの様子を伺えば、もういいのか、オレの首筋をなめていた。
「もういいのか?」
 そう聞けば、コクリと首を縦に振った。
 そして、さっきとは感じる力の強さが違っていた。
 こいつ自身、かなりの力の持ち主だ。
 それでもまだ完全ではないだろう。
 このままさっさと離せば、すぐにその場に倒れるのは目に見えている。
 だから、ゆっくりと顔を上げさせた。
 
 
「……………っ!!」
 
 
 その瞬間、オレは息を呑んだ。
 目の前にあるのは見たこともないほどに整った顔。
 ………吸血鬼は人間の血を吸うために、惑わすために皆整った顔をしていると言う。
 実際今まで倒してきたやつらも皆そうだった。
 こいつはその血を受け継いでるんだから、整っていて不思議ではない。
 だけど、血を受け継いでいるからと言うだけでは説明できないようなものを感じた。
 こいつが純粋な吸血鬼でなくて良かったとつくづく思う。
 そうであれば間違いなく惑わされ、血を吸われる人間が続出していそうだ。
 
 そんなことを考えていると、首を傾げられた。
 それに慌ててなんでもないと言って、ふと思ったことを口にした。
 
 
「おまえ、これからどうするつもりだ……?」
 そう問えば、俯いてしまった。
「もし、どこにも行くあてがないのなら…………」
 
 
 
 オレに付いて来るか?
 
 
 
 そう言うと、そいつはびっくりした表情でオレを見上げた。
 オレ自身もそう言ったオレに驚いたけれど、それはおくびにも出さずに続ける。
「オレと来るならもう飢えることもねえだろ………オレの血を飲めばいいんだ。おまえは人間の血を飲まなくてすむ」
 イヤなら別にいいけど………。
 そこまで言うと、そいつは首を振った。
 今度は左右に。
 それにオレは笑みを浮かべ、そいつの頭に手を置いて聞いた。
 
 
「おまえ、名前はなんていうんだ?オレはエドワード・エルリックだ」
 
 
 ついでに自分も名乗れば、少し考える気配を出して、それでも名乗ってくれた。
 
 
 
「ロイ。私の名前はロイ・マスタング」
 
 
 
 ビキッと自分が音を立てて固まったのが分かった。
 次いで、いやーな汗が背中を流れてくる。
 そんなオレに、ロイは首をかしげている。
 でも、悪いけどそれをどうにかすることは今のオレには出来ない………。
 
 
 ロイが、ファミリーネームをマスタングだと言ったからだ。
 ロイ自身は自分の言ったことを重大なことだと思っていないようだ。
 だけど………マスタングと言えば…………
 
 
 
 吸血鬼一族の王の名だ。
 
 
 
 たぶん、恐らく……ロイは現王の子供だな………認めたくないけど、認めざるを得ないような………。
 オレがなぜ固まっているか、分かっていない表情をしているロイが心配になりながら、やっぱりオレと共に来るかと聞いてよかったと思った。
 このまま別れて、何もしないままでいたならどんなに恐ろしいことになっていたか………。
 それにほっとして、ロイを抱えたまま立ち上がった。
 
 
「それじゃあ、行こう。いつまでもここにいるわけにもいかない」
「う、うん………」
「どうした?」
「わ、分かったから……降ろしてくれ」
 慌てたように言うロイにオレは笑った。
「気にするな。まだ完全に大丈夫なわけじゃねえだろ」
「うっ!」
 言葉に詰まったロイの背中を笑いながら叩いて言った。
 
 
 
「これからよろしくな、ロイ」
 
 
 
 そう言うと、ロイも微かに笑って言ってくれた。
 
 
 
「よろしく、エドワード………」

– END –

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子