果て無き闇

 最高評議会議長パトリック・ザラがヤキン・ドゥーエで部下に射殺され、ザフトを脱走していたアスラン・ザラがジェネシスを破壊してから。
 拘束されていた穏健派アイリーン・カナーバがクーデターを起こし、エザリア・ジュール他、ザラ派議員を拘束してから。
 証拠隠滅を恐れたために政府およびザフトの人間が各ザラ派議員の邸に足を踏み入れた時。
 
 アスラン・ザラの実姉であるアジュール・ザラ・ゼイレンはディセンベルのザラ家本邸にいた。
 
 ドンドンと、普段とは異なる強さで叩かれる扉に、ちょうど生徒たちの数学の試験の採点をしていたアジュールは何事かと顔を上げた。
「アジュール様!!」
 そして聞こえた執事の声に、アジュールは急いで扉を開けた。
「何が――――――」
 けれどそこにいたのは長年ザラ家に仕えている執事ではなく、スーツ姿の男とザフトの一般兵を示す緑色の軍服を来た数人の男。
「貴方達は……何を……!!」
 驚い手声を上げるアジュールを無視して、男たちは部屋に押し入ってくる。その代わりのように部屋の外へと押し出されたアジュールはそのまま廊下に控えていた別の軍人によって執事と共に強制的に階下のリビングへと連れて行かれた。
 そこにはザラ家に仕える使用人たち全員がそろっていて、不安そうな表情を浮かべていた。しかしアジュールが現れ、その顔を見ると皆一様にほっとした表情を浮かべる。
 使用人たちにそんな表情を浮かべさせる理由は、今邸内を我が物顔で歩いているスーツ姿の男と軍人たちだろう。
 けれど、主不在のこの邸に、その主の娘であるアジュールの許可なく入ってきた男たちは何が目的なのかわからない。それを知らなければ、納得がいかない。
 そう考え、アジュールはそばにいた緑色の軍服を着た男を問いただした。
「貴方達は、何故このような勝手なことをするのです!」
「静かにしていろ!!」
 けれど返ってきた言葉はそんな高圧的なものだった。
「理由もわからずにこんなことをされて、静かにしていられるわけがないでしょう!!」
「黙れ!」
「っ…………」
 叫び、突きつけられたものにアジュールは息をのんだ。
 兵士が突きつけたものは肩にかけていた銃。
 それに使用人たちも同じように息をのみ……侍女に至っては小さな悲鳴を上げた。
 けれどアジュールと使用人たちの同じ反応の理由は異なっていた。
 使用人たちはアジュールが銃を突きつけられたことに反応し、アジュールは……ザフト兵が民間人に銃を突きつける行動をためらわずに行ったことにショックを受けたのだった。
 
 ザフトはプラントを守るため、プラント市民を守るために存在している。
 
 そう、ザフトを現在のような組織にし、それをまとめる国防委員長を務めていた父、パトリック・ザラに言われ続け、実弟アスランがザフトに志願した理由を知っているアジュールは、その理念と目の前の現実との差が信じられなかった。
 いくら父が国防委員長を兼務する最高評議会議長であり、脱走してしまったザフトレッドのアスラン・ザラであっても、アジュール自身は幼年学校の教師――民間人でしかない。使用人たちも同じことで、ザフト軍人にこのような扱いをされる理由などないのだ。
 けれど――――
「黙れ、戦渦を広げたパトリック・ザラの娘が!!」
 叫び、銃を突きつける兵士の目は、パトリック・ザラ、そして目の前のアジュールに対する憎悪が浮かんでいた。

◇◆◇

 その後、調査のためと言って男たちはアジュールと使用人たちをザラ邸の庭に追いやった。
 そして何時間もかけて、邸内を調べまわったのだった。
 その時にあがるものを壊す音――――ガラスの割れる音、布が引き裂かれる音、物が散らばる音にアジュールはひざを抱え、うずくまった。
 その音が聞こえるほうに何があるのかを悟り、母の、父の、弟の思い出の品が壊されていくのを知ったのだった。
 この時にはもう、アジュールは戦争がどうなったのかを聞かされていた。
 アジュールに銃を突きつけた兵士はわめきながらぶちまけ、パトリック・ザラに向けられない憎しみをアジュールに向けていた。
 撃たれるかもしれない、パトリック・ザラの娘だからと言う理由で自身も危険な状況に何度かあったことのあるアジュールは、“死ぬ”と言うよりも“撃たれる”と言う認識をその時していた。
 けれどそれは上階から降りてきた男たちによって止められ、別の兵士の監視の下、アジュールたちは母の趣味で整えられていた庭に出されたのだった。
 そうして聞こえてきた音。
 涙がこぼれそうになったアジュールは我慢するために顔を隠したが、その肩は震えていた。
 それを侍女が抱きしめる。彼女も泣きそうな表情をしていて……けれど、誰も何もいえない。
 彼らも全員が理解していた。
 
 ――――“ザラ”がすべての責任を負わされることに。
 
 パトリックが死に、アスランがザフトを離反した今、そのすべてが民間人のアジュールに背負わされる。
 けれどパトリックや、アスランを恨むなど出来ない。
 彼らは彼らの想いでそうなったのだ。
 だから恨み言を言う相手は――――

◇◆◇

 すべてが終わった後、男たちは去っていった。
 今日中に荷物をまとめ、この邸から出て行くよう言い残して。
 そしてついでのようにアプリリウスのザラ家別邸、アスランが借りていたマンションも含めて政府に押収されることが伝えられた。
 アジュールは別に暮らすところを持ってはいない。
 使用人たちは住み込みで働いているものの、別に実家を持っている。そこに帰ることが出来るが、アジュールはこの邸が実家だった。
 行く場所もないことに絶望を覚えながらも踏み入れた邸の中、更なる絶望がアジュールを、使用人たちを襲った。
 
 見る影もなくなった邸内。
 
 割れたガラスが床に散乱し、引き裂かれたカーテンにソファ。上階の部屋へ向かえばパトリック、アスラン、そしてアジュールの部屋までも同じような状態で、さらにデスクの引き出しが引き出され、中身すべてが床にぶちまけられていた。
 壁の書棚の本も引きずり出され、散乱している。
 そんな光景に絶句している使用人たちを置いて、今まで足を踏み入れたことのない父・パトリックの部屋へ入ったアジュールは、デスク上のパソコンが起動していることに気付いた。長い間帰ってくることのなかった父のパソコンがそんな状態にされているわけもなく、確認すれば保存されていたデータがすべて抜かれていた。
「…………」
 その事実に当然かと言う思いを抱きながらも自身の部屋へと戻ると、同じように起動したパソコン。
「ああ…………」
 同じように抜き出されたデータ。
 自宅には現在の生徒たちの個人情報にかかわるものを“データ”としては持ち帰っていないし、作成もしていなかった。……幸いなことに。
 けれど今まで受け持った生徒たち――――幼年学校を卒業して行った生徒たちからのメール。住所やメールアドレスは保存していた。もちろんパスワード付で。
 しかしそれが解除され、すべて……本当にすべてのデータが抜かれていた。
 そして男たちが踏み込んでくるまで採点していた試験の答案がぐちゃぐちゃにされ、散らばっている。
「ここ……まで…………」
 
 ここまでする必要があるの!?
 
 声にならない慟哭。
 破壊された思い出。
 奪われたもの。
 ――――それは、この戦争に関係しないものがほとんどだった。
 
 
 
 その後、アジュールは使用人たちをいったんリビングへと集めた。
 ソファーの上にもガラスの破片が散らばっていたため、立ったままでアジュールは彼らに謝罪と、解雇を行った。
 今アジュールに出来ることはそれしかないのだと理解している使用人たちは、解雇通告を受け入れ、しかし謝罪は首を振ってする必要はないと口にした。
 自分たちはザラ家に仕えている。守らなければいけなかったのだ。けれどそれが出来なかった……主に頼まれていたのに。
 そう伝える執事の言葉に目を見張ったアジュールは、それでも謝罪を続けた。
 その後、全員が自身の荷物をまとめはじめ、それでも破壊しつくされた邸内で、使用人に与えられていた部屋も例外なくやられていたため、持ち出せるものも少なく、短時間で終わってしまった。
 心配する使用人たちを説き伏せ、一人、また一人ザラ家本邸を後にする。
 通信機器も破壊されていたため、アプリリウスのザラ家別邸の使用人たちの心配もしたが、男たちは彼らにも同じことが通達されていることを聞いていたために連絡を取ることをあきらめた。
 そうして一人残ったアジュールは自室に戻り、ようやく自分の荷物をまとめ始める。
 とは言え、彼女にもたいしたものは残っていなかった。
 ぐしゃぐしゃの解答用紙をまとめ、起動したままのパソコンからデータを吸出し、その上で中身を完全に消去する。それらをかばんに入れ、床に散らばった本の中からアルバムを拾い上げ、それも詰め込む。
 紙媒体に印刷し、眺めることが好きだった母と弟のおかげでアジュールはかなりの数の写真を所持していた。
 それらを大事に入れたかばんを抱え、そうしてふと思い出したかのように部屋の隅に向かい…………何もない壁を押す。するとそこがへこみ、次の瞬間には一辺が三十センチ四方の空間が現れる。
 そこには隠すように一冊の日記帳と手のひらサイズのマイクロユニット。
 日記帳は父から預かっているように言われたもの。マイクロユニットは以前アスランが月にいて、アジュールとは離れて暮らしていた際に誕生日プレゼントとして受け取ったものだった。
 それらも同じようにかばんに入れ、再び操作して壁を元の通りに戻す。
 そこに何かあるとは考えられないくらい元通りの壁になったことを確認した後、部屋を後にしようとしたアジュールの足元に、元々あった棚から落ち、踏まれて汚れたぬいぐるみが目に入る。それはアジュールが両親から誕生日に贈られたテディ・ベア。アスランにも同じ形で色違いのものが贈られていることを思い出したアジュールは、そのぬいぐるみを掴むと、アスランの部屋に駆け込んだ。
 そして同じように床に落ちていたテディ・ベアを拾う。
 アジュールのものと同じように――――それ以上に汚れたそれ。受け取ったときのアスランの笑顔が思い出されて、アジュールは泣きたくなった。けれど、泣けない。ここで泣いてはいけない。アスランは……今、どうしているかわからないアスランは、生きていれば必ず苦しんでいる。それなのに姉である自分がここで泣くわけにはいかなかった。
 それでも辛いことには変わりがなく。
 アジュールは汚れるのこかまわずに二体のぬいぐるみを抱きしめた。
 そのまま立ち尽くしていたアジュールは、アスランのデスクのそば……写真の張られたボードがあることに気付く。近寄って見てみれば、そこにはアカデミーの制服を着たアスランと、数人の見知った男の子。全員の親が評議会議員の子息だ。そしてその中の二人がアスランの目の前で死んでいることをアジュールは知っている。
 アジュールはそれらすべてを剥がし、かばんに入れるとアスランの起動したままのパソコンに向かい、保存しておくべきものがないのを確認すると、自身のものと同じようにすべてを消去した。
 
 それから、アジュールは父パトリック、母レノアの私室に向かい、同じようにパソコンに保存されていたデータを確認後、すべて消去した。
 それは既に防犯システムの作動していない邸内に誰かが侵入した際、データを盗まれないようにするためだった。
 そして両親もアスランも、簡単に手に取れる場所に重要な書類やデータを残す人間でないことをアジュールは知っていた。
 だからこそ本当に重要なものは彼らは手放さないであろうし、ある場所と言えば父はヤキン・ドゥーエ、母はユニウスセブン。そのどちらも既にない。そしてアスランは自分で持っているだろう。
 そのためアジュールは確認だけしてすべて消した。これはどんな些細なものでも他人に見られるのを良しとしなかったためだ。
 
 すべての作業を終えると、アジュールは邸を後にする。
 門のところでいったん足を止め……生まれてからずっと住んでいた邸を振り返る。
 けれどすぐに視線をそらし、ディセンベルの街へと向かった。
 
 
 
 しかし、行く当てなどないアジュールは、街をふらふらとさまようように歩き回った後、ディセンベル最大の公園にたどり着いた。
 そこには緑があふれ、季節によって多種多様の植物が植えられる花壇がある。
 その前に据えられたベンチに腰を下ろしたアジュールは、ただぼんやりと空を見上げた。
 プラントの空は作られたものだ。けれどアジュールはこの作られた空しか知らなかった。
 パトリック・ザラの娘であるアジュールが地球へ降りることは危険であったし、アスランが怪我をしてカーペンタリアで療養中も仕事の都合で行くことが出来なかった。
 だからアジュールは、アスランが知っている本物の空も、知らなかった。
 そんな空も、今は薄暗い。
 そう言えば雨の予報だったな……と思いながらもアジュールはその場を動こうとはしなかった。
 どうせ行くところもない。
 近くでホテルを取ればいいのだが、そんなこと考えもしなかったアジュールはただ、手にしていたかばんとぬいぐるみを抱きしめているだけだった。
 
 雨が降り出しても。
 体が冷え切っても――――

– END –

Posted by 五嶋藤子