3. 愚か者の最後 前編
生まれてから一度として切られることのなかった髪は、仙界へ上がった今も伸び続けている。
ほぼ成長の止まった体。けれど髪は伸び続け……今では幾重にも編み込まなければ動くこともままならない。
それでも自分では切ろうと思わないのだから自業自得。
師は呆れているけれど……これが私の性(さが)だ。
◇◆◇
「玉環。そろそろ仙人になるための試験を受けぬか」
師である元始天尊様に呼び出されてみれば、そんなことを開口一番に言われた。
「お断りします」
「玉環」
私の即答に、元始天尊様は困ったような表情をする。
対して、私は無表情だ。
「おぬしは既にそのあたりの仙人とは比べ物にならないほどの力をつけている。場合によってはわしとておぬしには簡単に勝てない」
それは分かっておろう。
――――
「……それは、私の体質の性であることがほとんどだと考えております。――――私に触れられない、また私が元始天尊様に触れられない以上、その距離では元始天尊様が負けることはありえません」
現在崑崙にいる仙人にも、私はまだまだ敵わないでしょう。
現在の崑崙の仙人は皆、離れた者に対する攻撃を得意とし、接近戦の得意な者はいない。
私も似たようなものだが……どちらかと言うと接近戦のほうが得意だ。
それが分かっているはずなのに、元始天尊様は何を言うのか。そんな考えが私にはあった。
それに――――
「それに私は崑崙へ来てからそれ程時間はたっていません。まだまだ経験不足は否めないのに、どうして仙人になれるでしょう」
「むう」
だがおぬしは……
「元始天尊様」
反論しようとした元始天尊様の言葉を遮り、私は言う。
それは関係ないだろう、と。
「たとえ私が他の道士よりも適性が――――“血”があったとしても、それだけで道士としての修行期間を短縮していい理由にはなりません」
「…………」
「お分かりかと思いますが、私はまだまだ崑崙の道士の中では年少の部類なのです」
それをお忘れなきよう。
そう言って私は元始天尊様の前から辞した。
初めから、私の言ったことは分かっていたのだろう。何も言わず……反論することも引き止めることもせずに、元始天尊様は苦笑していただけだった。
「断ったんだってな、仙人への試験」
「…………」
「そんなに睨むなよ、玉環」
瞑想するために霊穴へ向かう私に、私を知る、数少ない仙人の内のひとりが声をかけてきた。
黒く長い髪をそのまま背に流した、背の高い男。
仙道からの信も厚い、優秀な、崑崙でも元始天尊様の次くらいに力を持つ者。
けれど、私はこの男の本性を知っている。
「用がなければ声をかけるな――――――玉鼎真人」
私がその男の名を口にすれば、肩をすくめて返してくる。
「用ならあるさ。わが姪御殿は何故仙人になるための試験を断ったのかと思ってな。――――元始天尊様直々に勧められたんだろう?」
「私を姪と思っていない者が、“姪御殿”などと口にするとは。それに私はまだ修行が足りない身。そう簡単に試験を受けようとは思わない」
風が吹き、私の髪も玉鼎の髪もなびく。その色はとてもよく似ていて――――あまりない色だから、今では血が繋がっている証のように感じてしまう。
私もこの男を伯父だとは思いたくないにもかかわらず。
「お前みたいなのでも、一応は弟と血は繋がっているから、姪だとは思っているさ。不本意ながらな」
決して他の仙道には見せない侮蔑の目。
それをこの男は私の前だけ見せる。
そしてお互いに嫌う“血のつながり”とこれまでのかかわり合いのせいで、私にはこいつが何を考えているのか、それが良く分かる。
こいつは他の仙道に優しくしている裏で、その者たちを馬鹿にしているのだ。
力の足りない者、己に不相応な力を求める者。
その全てを馬鹿にし、内心で蔑んでいる。
そして己の力には多大な自信を持っている。
それに誰も……私以外は誰も気付いてはいない。
それは全てこの男の演技力のなせる業(わざ)。
――――他にもあるだろう。それだけで元始天尊様までだませるわけがない。けれど私はそんな物知りたくもない。
不本意だと言いながら、元始天尊様の前ではいい伯父を演じる者のことなど、何一つとして知りたくない。
「ああ、そうか」
馬鹿にした目で私を見下ろし、玉鼎は言う。
「試験を受けて落ちることが嫌だからか、お前が仙人になるための試験を受けないのは」
こいつは何をしたいのか。私を激昂させたいのか。
けれど、こいつに感情を高ぶらせるだけ無駄だ。
そんな者を見てさらに蔑むのがこいつの好むところだからだ。
「何とでも言えばいい。――――――これは私の判断だ。お前のような者と同じ地位につきたくない。それだけだ」
それに……
「試験を受けたら受けたでお前は同じことを言うだろう? ――――――その程度の修行期間で身の程知らずに、と」
私の予想は当たっていたようで、玉鼎は無表情ながら内心で私に対する罵詈雑言をはいている。そんな雰囲気を出していた。
けれど私は気にせず、そんな玉鼎の横を通り過ぎる。
修行が足りないといったのはうそではない。
私にはまだまだ足りないことばかりだ。
だからこそ、それを補うべく修行をするのだ。
――――――仙人になりたいわけじゃない。
ただ、己を鍛えたい、技を磨きたい。
それだけだ。
– CONTINUE –