回顧 前編

「あの……」
「はい?」
「こんなところで……どうかされたんですか?」
「いいえ……あなたに用があるから待っていたの」
「……はい?」
 
 雲ひとつない真っ青な空。その下にぽつりと一本生えた木の下でこの日、このひとに出会ったことが、全ての始まりだったのかもしれない。

◇◆◇

「あー、やっと仙人になれたなー」
「そうだねぇ」
 
「「長かった」」
 
 玉虚宮の長い廊下を、今日から清虚道徳真君と太乙真人という仙名を師に与えられた二人が歩いていた。
 二人はほぼ同時に仙界へ昇り、崑崙教主・元始天尊の弟子となって修行に励んできた。そして此の度、またしても同時に仙人となったのだった。
 同期ということで二人は仲が良かった。――しかし、二人の性格や性質はまったく異なっていた。それを不思議に思うものがいたが……だからこそ、仲が良いと言う者もいた。
 
「けど、いきなり十二仙っていうのはね……」
「確かにな。何の実績もない俺たちがとは思うけど……けど、それでも実力を認めてもらえたってことだろう? なら、俺たちに出来ることは、十二仙として恥ずかしくない仕事をするだけさ」
「そうなんだけどねえ……」
「何だよ。何かあるのか?」
 道徳の言葉に歯切れの悪い言葉の太乙。それを呆れ顔で見る道徳に、太乙は言う。
「でもさ……僕たち以外の十二仙のメンバーがさ。全員とまでは言わないけど、一部すごく有能なのがいるでしょう?」
「あー……まあ、確かに」
 何気に失礼なことを言いながら、二人は同時にため息をつく。
 『誰』とは言わなくても二人が考えたのは同じ仙人だった。
「燃燈と……玉鼎か」
「――――――」
 無言で太乙は頷く。
 道徳が言った二人はそれぞれに崑崙の仙人の中では優秀な者として知られている。
 燃燈道人は十二仙のリーダーとして――崑崙ナンバー2の実力の持ち主として。
 玉鼎真人は剣術――そして『仙人』としての厳格さから。
 もちろん燃燈も厳格で知られる。しかし、道徳と太乙の二人はどちらかと言うと玉鼎のほうが苦手だった。元々玉鼎は自身の洞府から出てくることが極端に少ない。燃燈であれば度々あちこちで修行をしているのを見るのだが――――玉鼎はそれがなかった。玉虚宮でも、十二仙の集まりに来ているところしか二人は今までに見たことがなかった。その点を考えれば、良く知らない仙人だからこそ玉鼎が苦手なのかもしれない。
 それに――――玉鼎は弟子を取っていない。道徳たちが仙界に来たときには既に玉鼎は仙人だったけれど、一度も弟子を取っていると聞いたことがないし、彼の弟子だと言うものを見たこともない。徒弟制度を厳格に採っている崑崙において、弟子を取らないことが許されないことは仙人になりたての道徳や太乙も知っていた。けれど……崑崙教主であり、十二仙の師でもある元始天尊は何も言わないことも知っていた。どうしてそれが特別に許されているのかは分からないが、二人はそれを問える立場になかった。
 だからこそ、気になる。けれど苦手。
 そして何より――――
 
「まあ、あそこまで行くには相当努力が必要だろうな……」
「別に『ああ』ならなくても落ち込みはしないけれどね。あの二人はもう別格だし」
「尊敬するけど」
「そうそう」
 
 答えの出た二人はこれからそれぞれ与えられた洞府へ向かう。そこで弟子を取り、育てながら仙人として自分のしたいことをするのだ。
 それが、どれだけ大変なのか二人は知らない。大変なのか、そうでないのかも。ただ、道士を育てると言うことがどういうものなのか、一度も弟子を取ったことがもちろんない二人には想像も出来なかった。
 
 
 
 
 
「あ、道徳。久しぶり~」
「おう!」
 太乙の言葉通り、本当に久しぶりに道徳と太乙は玉虚宮で顔を合わせた。久しぶり、が十年近くになろうとしていることは二人は気付いていない。気付かないおかしな仙界の感覚に染まっているのだから仕方がないとは思うが……。それに加え、弟子の育成に忙しいこともある。それと、自身の研究に。どちらかと言うと二人とも自分のことに熱中していたいタイプなのだが……さすがにそれは許されず。永遠の時間があるにもかかわらず、会う暇を作らなかった。
 だから、今日のように十二仙の集まりで玉虚宮に来るなどと言う用事がなければ十年どころか何十年も会いそうにないのだ。
「道徳以外はまだ来てないの?」
「そうそう。俺が一番乗り。ま、俺たちが一番下っ端だからいいんじゃないか?」
「それはそうだけどね……」
 そんな取りとめもない会話をするのは集合時間までまだ時間が十分あるからだ。
「そのうちみんな来るさ。さすがにサボるやつはいないだろう」
「さすがにそれはないよ」
 
 燃燈がいるから。
 
 その言葉は飲み込んだ太乙。さすがに誰に聞かれるか分からないところで言うものではない。例えそれが真実で、誰も否定しなかったとしても……本人に否定されなくとも、言う必要はないだろう。それくらい十二仙のリーダーはその点においてかなり厳しい。十二仙歴の短い二人でもそれは十分に分かっている。分かっているからこそ、そしてまだまだ対処の仕方が分からないからこそ、こんなにも早く集まりのある場所に来てしまったというのもある。さすがに来てしまった後に早すぎたと気付いたが、もう遅い。このまま待っているほうがどこかでぶらぶらしているよりはマシだろう。
「みんな、いつ来るかなあ?」
「さあ? 余裕を持ってくるのもいるだろうし、ギリギリで駆け込んでくるのも予想できるし」
 どちらかに分けられるだろう。そして、後者のほうが圧倒的に多いだろうことも予想できる。
「余裕を持ってくるのは……燃燈とか? あとは玉鼎だな。絶対にギリギリで駆け込むなんて予想できない」
「そうだね。あと、広成子とかも早そう」
「ああ、そうだな。逆に慈航はホント直前に来るイメージが……」
「はははは。言えてるー」
 
「何が『言えている』んだ?」
 
 …………
 
「ぎょ、玉鼎!!」
「いつからそこに!!??」
 急に聞こえてきた声に、二人は飛び上がらんばかりに驚きながら声のしたほうを振り返る。そこには今まで話の種になっていた十二仙のうちのひとりである玉鼎真人がいて。
 慌てた様子で自分の名を呼ぶ道徳と、質問する太乙を見ながら玉鼎は首を傾げる。
 玉鼎は不思議に思ったのだ。そんなに驚くようことだろうかと。決して気配を消していたわけではないのに――――――と。
 それでも律儀に答える。
「今だが……どうかしたのか?」
 楽しげでも、怒った様でもない表情。ただ本当に不思議に思っているだけの表情に、今までの会話は聞かれていないのは分かった。しかし、それでも現在全速力中の心臓はなかなか落ち着いてはくれない。
「い、いや大したことじゃないんだ」
「そうそう。時間がまだあるから世間話をしていたところで……」
「そうか」
 それならいいのだが。
 特にそれ以上興味を持たなかったようで、玉鼎はそれだけの言葉で納得したようだった。
 それにほっとしながら、玉鼎だからこそだと道徳と太乙は思った。他の十二仙だったらこうはいかないかもしれない。なにせ弟子の育成や自分達の研究で忙しいとはいえ、作ろうと思えば暇などいくらでも作れるのだ。暇つぶしにはもってこいだったかもしれない、二人の会話と様子は。
 
 ようやく自分達以外の十二仙が来た。それに安心するものの、玉鼎相手だと何を話して良いか分からない。だからと言って無視して二人で会話を再開するのもはばかれる。気にするかどうか自体分からないが、それでも後で来る十二仙にどう思われるか……そこまで二人はまだ図太くなかった。
 その玉鼎は二人にそれ以上何を言うでもなく、ただ外に目を向けていた。
 決して二人は身長が低いわけではないが、彼ら以上に玉鼎は身長が高いから、どうしても見上げなければその表情が見えない。
 そして見上げた先、元々白い顔が更に白く――――いや、青くなっていることに太乙は気付いた。どことなく、体調が悪いように見えるのは気のせいだろうか。頻繁に会うことのない玉鼎。しかも表情の大幅な変化も目にすることはなかったから、正確に判断することは難しい。けれど、体調が悪いのではないかと考えれば考えるほど思ってしまう顔色を玉鼎はしていた。
 
「玉鼎? ……体調が悪いのかい?」
 
 恐る恐る、太乙は何とか聞くことが出来た。それに対し道徳は驚いた表情を見せ、慌てて玉鼎を伺う。そして当の玉鼎真人は――――――初めて見る驚いた表情で太乙を見下ろしていた。しかし、それでも今まで見たことのあるような物ではなかった。やはりはっきりと青白いと判断できる顔色をしていて、体調が悪いのを隠していることが分かった。
「顔色悪いけれど……大丈夫なのかい? 休んでた方が――――――」
「いや……大丈夫だ」
「で、でも……」
「太乙の言う通り、休んだ方が……。別に今日の集まりはそんなに重要じゃないんだろ?」
 ようやく玉鼎の様子がおかしいことに気付いた道徳も太乙に続いて言う。実際、今日の会合は近況報告の意味合いが強い。
 それでも玉鼎は首を縦に振らなかった。しかし、二人に気付かれたことで気が緩んでしまったのか、それとも限界が来てしまったのか、さっきまでとは打って変わって辛そうな表情をしていて付き合いの短い二人にも確信できるほどだ。
 
 どうしよう。
 
 どうすればいいのか、二人には判断がつかない。このままにしていても大丈夫なのかそうでないのか、判断できるほどの知識は道徳も、太乙も持っていなかった。
 躊躇しているうちにも玉鼎の顔色はどんどん悪く、そして苦しそうになっていく。体を前に折り曲げ――右手を腹部にあて、そして……
 
「玉鼎!!」
「大丈夫か!!??」
 
 その場に崩れ落ちてしまう玉鼎。
 それを見た二人は大声を上げながら慌てて玉鼎の側に駆け寄った。その時には既に玉鼎は床に倒れていて、顔には汗をかいていた。苦しそうに、それでいてそれをこらえている。けれど完全にこらえられる状態ではなく、歯を噛み締めた口からはかすかに苦しげな声にならない声が漏れていた。
「しっかりしろ!!」
 道徳が玉鼎の体をゆする。ただし、現状を悪化させないくらいには加減をして。それで良くなるわけでもないが、そうするくらいしか出来ないのだ。
「太乙!! 誰か……元始天尊様は確実にいらっしゃるはずだから、呼んで来てくれ!!」
「わ、分かった!」
 道徳の言葉にはっと気付いた太乙は、身を翻して元始天尊を呼びに行こうと駆け出した。しかし、部屋の入り口に辿り着いたとき――――――
「わっ!!」
「おっと……」
 太乙とは反対に、部屋に入ってくるものがいた。
「どうしたんだ太乙。そんなに慌てて」
「ね、燃燈!!」
 それはようやく来た燃燈道人。その後ろには他の十二仙もいた。
 あまりの慌てた様子の太乙を不思議に思っている彼らに説明している余裕はなかった。詳しい説明はせずに太乙は燃燈の腕を取って引く。
「玉鼎が大変なんだ!!」
「なに?」
 怪訝そうな表情をしながら部屋の入り口にいた十二仙は視線を部屋の中に向ける。その先には膝を着いた道徳と――――床に力なく倒れた玉鼎。
「玉鼎!!」
 その様子に燃燈は太乙が見たことのない慌てた表情をして叫びながら玉鼎たちに駆け寄る。他の十二仙もそれに続いた。
 燃燈は道徳と同じように膝を突いて玉鼎の様子を伺う。しかしすぐに顔を上げると誰に言うでもなく叫んだ。
 
「元始天尊様に言ってどこか休ませる部屋を用意してもらってくれ!!」
 
「分かった!!」
 
 ひとりがそれに答え、部屋を急いで出て行った。それを確認すると燃燈は簡単に玉鼎を抱え上げる。
(すげー)
 この場にそぐわない感想を道徳は持った。
 しかし、そう思ってしまうほどの光景だった。
 燃燈がいくら鍛えているとはいえ、身長は玉鼎のほうが高い。しかし玉鼎も鍛えていないわけない。一見細く見えるとはいえ……燃燈が簡単に抱え上げられるものなのだろうか。
 そんなことを思ったが、今それを問う雰囲気も、余裕もない。大体、こんなことを思っている自分が嫌になる。まるで玉鼎を心配していない様に思えて……。
 そんな思いを頭の隅に追いやって、道徳は燃燈につられるように立ち上がった。
 燃燈が立ち上がれば玉鼎の長い漆黒の髪がさらさらと落ちた。長すぎる髪は床を這う。このまま燃燈が歩き出せば、珍しい綺麗な髪は引きづられて行くことになるだろう。それに気付いて玉鼎の髪を取ろうとしたが、それよりも先に太乙が気付いて髪を手にしていた。道徳が思ったことに気付く様子もなく、太乙は燃燈に続いて――決して遅れないようについていく。
 
(…………あれ?)
 
 更にそれに遅れないようについていく道徳は微かに違和感を持った。
 以前――道士時代にはよくかいだにおい。ここにあるはずはないのに、感じるもの。他にも気づいたものはいるだろうか。少なくとも、その様子から太乙は気付いていないようだ。けれど……他のものは気づいているかもしれない。特に燃燈は。十二仙の優秀なリーダーは、道徳が気付いたことに気付かないわけがないだろう。
 
(でもなんで『血』のにおいが……?)
 
 この場で……さっきまで自分と太乙、そして玉鼎しかいなかったこの部屋で、血の臭いがするはずはない……。
 しかし、と道徳は思う。もしかしたら、と。
 そして玉鼎のほうに目を向ける。とは言っても、燃燈の後ろに続いている道徳にはきちんと玉鼎の姿は見ることが出来なかった。それでも、それを目に入れることは出来た。
 
 
 それはもちろん――――――血。
 
 
 玉鼎の服に染み出でたそれを、道徳はきちんと目にしていた。

– CONTINUE –

2018年12月14日

Posted by 五嶋藤子