回顧 後編

「大丈夫なのか?」
 部屋に入ってきた十二仙の中で、最初に声をかけてきたのは燃燈だった。まあそれは決しておかしいものではない。燃燈は崑崙十二仙のリーダーなのだから。
「ああ、心配することは何もない」
「だが倒れたじゃないか。それで心配要らないと?」
「その点は謝る。が、原因は分かった。もう心配をかけるようなことではなくなったから、気にしなくていい」
「けど……血が出てたじゃないか。怪我したんじゃないのか?」
 と、燃燈と玉鼎の会話に入ってきたのは道徳。その内容に竜吉の言ったことは本当だったんだなと玉鼎は思った。ここで誤魔化すことは出来ない。他の十二仙は、真実を知っていて玉鼎の誤魔化しと言う名の嘘に付き合ってくれるかもしれないが……どこかで嘘はほころびが出るものだ。そうなったときの方が何かと面倒である。一歩間違えば十二仙として共に上手くやっていけなくなる可能性がある。それはどうしても避けたい。そんな想いから、玉鼎は視線を道徳、そして太乙へと向けて言う。
 
「道徳、それと太乙。二人に言っておかなければいけないことがある」
 
「え?」
 
「な、なんだい?」
 
 いきなり指名された二人は驚いたように玉鼎を見た。そして他の十二仙を、そして少し離れたところにいる竜吉公主を見る。もちろん誰も何も言わない。それに不安に思いながらも二人は玉鼎のいるベッドの傍らに立つ。そうすると、いつもは見上げる位置にいある玉鼎の顔が、逆に下を向かなければいけない場所にあった。いつもとは違って玉鼎のほうが自分達を見上げている――――――。それに違和感を覚え、やはり逆の方がしっくり来ると思いながら二人は玉鼎の次の言葉を待った。
 けれどそれはすぐには飲み込めない話だった。
 
「勘違いしているだろうから言うが、私の性別は『女』だよ」
 
 ――――――
 
「「へ?」」
 
 異口同音に、まったく同じ反応をした。それは予想のうちだったのか、別段驚いた様子を周囲は見せなかった。知らなかったのかと言う言葉も飛んでこない。まあ、そう思うのも当たり前だよなと言うような言葉はひそひそと聞こえてきたが……それを玉鼎は無視した。どちらかと言えば、気付かない方が悪いのだというのが玉鼎の考えだ。確かに意図的にそう見せている部分もある。が、どうしてもごまかしの効かない部分も当然ある。そこに気付けばすぐに分かることだ。それに気付かないのはどうかと思う。そんな風に玉鼎は考えていた。
 
「え、でも……だって……」
「そんなこと、聞いたこと……」
「誰も言っていないだろうな。別に普通言うことではないだろう。誰が男で、誰が女だとは。そんなこと見れば分かるものだ」
「だけど玉鼎は!!」
「確かに、私は一見男に見えるだろうな。が、胸はさらしで潰している。身長と声は元からのものだ。一切手を加えてなどいない」
「そ、それにしては……」
 太乙に続いて道徳も反論しようとした。が、上手い言葉が出てくるはずもない。出てきたとしても何倍も生きている玉鼎に言い負けるのは目に見えていた。
「これは遺伝だ。それについての文句は私の一族に言ってくれ。もっとも――もう誰一人として残ってはいないが」
「そりゃあ、そうだろうけど……」
 一体いつ、玉鼎は仙界に来たのだろう。そのあたりのことも知らない。大体、誰も――当の本人もそんなことおぼえてはいないだろう。それだけの時間がたってしまったのだから。
 
「……でも、どうしてそんな性別を偽るようなこと……」
「私は自分で自分を男だと言ったことはないぞ」
「……さらし巻いてる時点で十分言ってることになると思うけど」
「それに、言葉使いもどう聞いたって男だろう?」
「さらしを巻くのはこの方が何かと楽だからだ。言葉使いは――――癖だ」
 
 嘘ではない。しかし真実でもない。
 
 それを表情を変えずに言う自分を他のものはどう思うだろうか。そんなことを考えながら玉鼎は道徳と太乙、未だ若い部類に入る仙人を見た。その表情は納得していない。そうだろうと思う。そんなに簡単に納得されては十二仙としての適正を疑う。試しているわけではない。が、そのまま全てを伝える気もないだけだ。
 
「確かに、意図していなかったと言えば嘘になる。しかし、私は私を『男』だと言っていない以上、見たものだけで真実と判断するのはいかがなものかと思うぞ」
 
「「…………」」
 
 確かに、玉鼎の言う通りだ。己の見たもので判断するのは必要だ。しかし、それ『だけ』で判断するのはどうかと思う。言葉――――――そう、そのものの言う『言葉』も大切なものだ。全て嘘で塗り固められたものであればともかく……本人の言う通り、玉鼎は一度も自分を男だと言ったことはない。少なくとも道徳と太乙、二人は聞いたことがない。そう勝手に判断していたのは力ない仙人と、道士だけだ。考えてみると、自分達以外の十二仙はもちろん元始天尊も、そして竜吉公主も玉鼎が男だとは言ったことがないし、今よくよく思い出してみれば『男』としての扱いはしていない様に記憶している。『女性』として扱っていたかも怪しいが……。
 結局、崑崙幹部で知らないのは自分達二人だけだったのだ、と道徳と太乙は知った。
 それだけ、信用されていないのか……それとも己自身が勝手に判断してしまうほど未熟なのか――――。
 
「それで、何か質問は? ――――ちなみにこの格好をしている理由は聞かれても答えないからな」
 
 あらかじめ釘を刺されてしまい、二人は言葉に詰まる。聞こうとしていたことを先回りされて言わせてもらえなかったのだ。結構落ち込んでしまうが、どうすることも出来ない。
 それでも他に聞かなければいけないことはある。何より一番大切なこと。
 なぜ、玉鼎は倒れてしまったのか。そして何より――――
 
「どうして血が?」
 
 流れたのか。流したのか。心配要らないと言うが、怪我ではないのか。
 そんなことを含めて短く道徳は問う。
 玉鼎が女性であるならばなおのこと、血を流すのはどうかと思う。そんな思いもあったのかもしれない。そんな心配をする道徳をよそに、玉鼎はなんでもないことのように言う。――――実際、なんでもないことなのだが。
「これは女性ならば心配ないことだ。――――――『性差』についてはもちろん知っているだろう?」
「そりゃあもちろん……」
「知っているけれど」
 それが何だと二人は首を傾げていた。それに呆れた様子を見せつつ、放り出すことはしなかった玉鼎。
「それが私が血を流した理由だ。――――――『子を産む』ために経験しなければいけないこと……ここまで言えば分かるだろう?」
「「…………あっ」」
 沈黙の後、同じタイミングで同じ言葉を発した二人。その瞬間、顔は少し赤くなっていた。
 では他の十二仙はと見回して見れば、皆あさってのほうを見ていて、その顔色は皆同じように赤い。
 ――――――当たり前のことでも性別が違えば感覚も違うのだと、こんなときでなければ分からない。もっとも、こういう場面だからと言うのもあるだろうが……。
「分かったな? それでは心配いらないことも分かるだろう?」
「で、でもすごく辛そうだったよ」
 そこまでじゃないのではないか、と太乙は言う。それにはさすがにきちんと説明すべきだろうか。あまり気は進まなかったが、言っておかなければどう判断していくか……間違った判断を下されては困る。そう思った玉鼎は口を開いた。
「辛いかどうか、それは人それぞれだ……私は『重い』部類に入るのだろう。それに、仙人は長い年月を生きる。そのためそれの間隔は普通の人間よりは大分長いものになる――――。今回だけのことではない、いつものことだから心配は要らない」
「それなら今日の集まりは欠席しても……」
「言っただろう? 人間のそれよりも間隔が長い、と。前回がいつだったかなど、忘れてしまった」
「「…………」」
 少し離れた場所で聞いていた竜吉はそうだろうかと思う。しかし、男である二人に判断を下すことなど出来ないようだった。勝手に判断をしないことはいいことだ。が、鵜呑みするのもどうかと思う。後で忠告しておくべきだろうか。特に玉鼎は嘘は言わないが、真実とごまかしの区別がつきづらい。そんなことを竜吉は考えていた。
 
「だから、心配は要らない。驚かせてしまったのは謝るがな」
「いや、大丈夫ならいいんだ」
「そうそう、心配要らないのであればね……」
 
 全てにおいて納得できるわけはないのだろう。二人の表情がそう言っていた。それでも仕方がないと玉鼎は思う。口に出して初めに釘を刺したものもあるのだ。全部解決したなど思うほうがおかしい。けれど、二人はそれで良いという。――――それは恐らく、玉鼎に遠慮したのだろう。『女』であるから――――二人はそう言ったわけではない、しかし今の態度はそう言っている…………それは、仙人になった後に玉鼎の本当の性別を知った者と同じものだ。それを不快に思うことはない。が、いい気分でもない。そこで線引きされたように感じてしまうのだ。
 
 ――――――だから、言いたくないのだ。偽りに走ってしまう。
 
 結局ばれれば一緒だけれど。それでも、年月がたてば少しはマシになる。その結果が道徳と太乙を除いた今の十二仙だ。ただ、ここまでなるのに時間がかかりすぎだ。その長い年月のために玉鼎はこの道を選んでしまう。
 
「でも良かったよ。酷い怪我じゃなくて」
「そうだよー。道徳が言うからすっごく心配したんだから……血が大量に流れてるなら、軽い怪我じゃないなんて言うし」
「し、仕方ないだろ。どう見たってかすり傷程度で流れる量じゃなかったんだからな!」
「…………さすが、道士時代は修行で怪我ばっかりしてただけはあるな」
 混ぜ返すように少しはなれたところから声がかかる。それにはさすがに詰まった道徳。それを面白そうに見る太乙に……他の十二仙。それでようやく今まで緊張していた空気が緩んだ。知らず知らず、緊張が走っていたのだろう。それがとけ、ようやく全員がいつもの調子を取り戻していた。
 
 ふ…………
 
「玉鼎?」
 かすかに聞こえた声。そのした方を見れば玉鼎が手を口元に当て――――――笑っている?
 どうしたのかと周囲は途惑ってしまう。何より、道徳と太乙は玉鼎が笑うところを初めて見たのだから――――――。
「いや……相変わらずだと思ってな」
「??????」
 周囲の戸惑いは理解していたのだろう。玉鼎はそんな風に言うけれど、それでも周りを更に途惑わせる。
「変わらないな……皆、そう言うところは以前から何も変わらない」
 
 …………
 
 それぞれがそれぞれと顔を見合わせた。それはもちろん玉鼎の言葉に。『以前と同じ』と言われるほど、玉鼎と会話をするどころか会ったこともないと言うのに……それを言えば、平然とした様子で答えが返ってきた。
 
「知らないのはお前達だけだ。私はずっと洞府に閉じこもっているわけではない。そう閉じこもっていて良いわけでもない」
 
「そ、そうかもしれないけれど」
「気付かなかっただけで、側を通ったことも何度となくある――――」
「…………それは、ここにいる全員?」
「そうだと思うが」
「そう……」
 その言葉にはほぼ全員が脱力する。そんな反応に玉鼎は眉を寄せるが、それに答えるものはいなかった。なぜか、ほとんどのものが落ち込んでいるように玉鼎には見えた。
 
 
 
 
 
「あんまり反応が面白くなかったな」
「「は??」」
「そうだな……もう少し驚くと思っていたんだが」
「「何に!?」」
「「「「玉鼎が女だということに」」」」
「「十分驚いたよ」」
 あれからあの部屋には玉鼎のほかに燃燈と竜吉が残り、他のものは辞することになった。本人が大丈夫だと言ったとはいえ、大人数でいるのははばかれる。しかも女性が休んでいるところに。結局、十二仙の会合は次の機会にすることにし、今日のところは解散となった。ただ、燃燈は十二仙リーダーとして言うことがあるとかで竜吉に留まってもらうことを条件に残っている。玉鼎は気にしなかったが、他のものが却下した。何もないのは分かっているが、気持ちの問題として……。
「全然気付かなかった……」
「ほんと……でもなんで」
 
 あんな格好をしているのか。
 
 玉鼎には聞くことを許されなかった言葉が出てくる。今なら誰かが答えてくれるかもしれない。そう思って太乙は口に出したのだが、道徳以外は全員首を横に振った。
「俺は知らない」
「俺もだ」
 
 ――――――
 
 大体若い方の答えはこれだった。玉鼎は聞かれても答えない、と今日道徳と太乙に言った言葉を過去にも言ったという。その時には既に玉鼎は仙人だった――――彼らよりも玉鼎は年上だという。それなら玉鼎が道士のころのことなど知るはずもない。玉鼎が仙界へ昇ってきたときのことなど説明できるはずもない。
 では、明らかに玉鼎よりも年上に見える十二仙はどうだろうと視線を移せば、こちらは困ったように言う。
 
「例え知っていたとしても言えぬ」
 
 玉鼎本人が言わなければいけないことだと、明らかに知っている表情で言う。
「それに、玉鼎はそのことに触れることを極端に嫌う。本人から口にしない限り――――玉鼎のいないところで話に上げられることさえ嫌っているからのう」
 その言葉に徹底している、と若手は思った。
 そこまで嫌う理由があるのだと……理解できない感情だ。けれど、それだけの経験をしたのだろう。その考えを否定することは出来ない。否定するだけの経験もなければ、玉鼎のように長い年月を生きているわけでもない。そんな自分達が判断していいものではないだろう――――ということで納得することにした。
 
 ――――今はそれだけしか出来なかった。
 
 
 
 
 
「無理をするな」
「無理など、していない」
 燃燈の言葉に玉鼎は肩をすくめて言う。本気でそういっているのが分かって、燃燈は頭痛がする思いだ。
 
 ――――玉鼎のほうこそ変わらない。
 
 初めて会ったときから、何もかも変わっていなかった。自身や姉は変わっていったというのに……玉鼎は変化を見せなかった。その理由は分かる。完璧ではないかもしれないが。しかしそれを口にすることは許されない。とうの昔にそのことは誰も口に出来なくなってしまった。現在のような仙界の構図になってしまったから――――――。
 一番拒否するだろうと思われた玉鼎は、しかし何も言わなかった。何も言わず、言われたとおり元始天尊の弟子となった。本当は嫌だったろうに……『最初の師』と別れることは。
 
(しかし、あの場合はあれしか選択肢はなかった)
 
 だから、選択を間違ったということはない。それが一番――玉鼎のためだったのだ。だから玉鼎も何も言わずに受け入れた。しかし――――本当のところ、どう思っているかは別の話だ。全てを隠し、言わずにいることが何よりの証拠。
 それが分かっていながら、燃燈たちは何も言うことが出来ないけれど。
 
「すべて――――」
 
「玉鼎?」
 
 ぽつりと呟いて、それ以上言わない玉鼎を不思議に思って竜吉は名を呼ぶ。それに促されるように玉鼎は口を開いた。
 
「私がすべて決めたことだ。どんなことがあっても……それはすべて私の責任だ」
 
 だから、気にすることはない。
 
「「…………」」
 何度も聞いた言葉だった。今まで何度も何度も――――何かしら問題が起こると、決まって玉鼎が最後に言う言葉。燃燈たちがもう何度聞いたか忘れてしまうほどに。けれど、その言葉通り責任は全て自分で取ってきた玉鼎。だからこそ余計に何も言えなくなってしまうのだ。ただ、この見ていて心配になってしまう玉鼎真人という仙女は見守るだけしか許してくれない。――――かたくなに自身の側に他のものを置くことを嫌う。それが理由で弟子を取らないのではないかと燃燈は考えていた。そして、理由が理由だから元始天尊も強く言えないとも。
 それ以上、燃燈も竜吉も言えなかった。例え何か言ったとしても、玉鼎が聞くわけがなかった。
 
 
 
 
 
「ふう……」
 竜吉と燃燈が出て行って、玉鼎は元自分に与えられていた部屋のベッドの上に再び横になった。
 そう、元々この部屋は玉鼎が道士時代に与えられていた部屋だった。普通ならばひとり出て行けば新しく別の道士に与えられるのだが……この部屋だけは玉鼎が仙人になってからも使われることなく置かれている。それは理由のないことなのか、それとも理由があるのか。理由があるとすればなぜ……と元始天尊に聞きたいと思うときがある。――――――『あのひと』に、玉鼎に遠慮があるのだろうか。少なくとも自分にはあるように思える。弟子を取れと今まで一度も言われたことがないことがその証拠だ。…………『あのひと』なら、どんな境遇でもこんなことは許しはしなかっただろう。
 そこまで考えて、玉鼎は苦笑する。
 
(自分はまだあのひとを忘れられない)
 
 忘れる必要はないと言われている。けれど、いつまでもこだわっていることなど許されるはずもない。
 ――――――自分は既に仙人なのだから。
 分かっている。分かっているのだ。
 何度も何度も言い聞かせる。言い聞かせるのだが……どうしてもその遠慮した心に付け入って、今のままで良いと、今のままが良いと思ってしまう。この中で過ごしてしまう。もうどれだけの時がたったのか、分からないくらい……。
 
「最低だな、私は」
 
 ぽつりと呟いた言葉は玉鼎以外の耳に入ることなく消えた。

◇◆◇

「あなたは崑崙へ行きなさい。元始とは話をつけてあるわ」
「…………どういうことですか」
「そのままの意味よ。――――あなたを金鰲へは連れて行けない」
「いや、です…………」
「ごめんなさい……どうしてもダメ。あなたを連れて行ったら私が後悔する……あなたもだめになってしまう。だからお願い、分かって。その代わり――――――」
「嫌です!!」
 
 しかし、結局残ったのは二つだけだった。
 でも、どうしても欲しいものではなかった――――――それでも、今はなくてはならないものになってしまった。
 
 ひとつは、名前。そして…………
 
 
「哮天犬」
「ばう」
 
 名前を呼べば、必ず返してくれる存在。

– END –

2018年12月14日

Posted by 五嶋藤子