去りし日の願い

「お話中失礼します。玉鼎、お客さんだよ」
「普賢。――――――燃燈?」
 
 声をかけられ、玉鼎真人が碁盤から顔を上げて振り返ればそこには普賢真人と、その後ろには元十二仙のリーダーであった燃燈道人――――生きて帰ってきた男。
 
 
 
 
 
「私は席を外そう」
 まずそう言ったのは玉鼎の碁の相手をしていた通天教主だった。
「いえ、いてくださって構いません。隠すような話でもありませんから。――――それに、もしかしたらあなたにも関係があることかもしれません」
「――――――分かった」
 燃燈に言われ、通天教主は上げかけていた腰を再び椅子におろす。視線は玉鼎と燃燈、そしてその後ろ全てが見える位置。その目はあるものを捕らえている。それを対象者たちは気付いていない。けれど、何を言うわけでもなく通天教主はとりあえず今は聞き役に徹することにした。
 そして次に口を開いたのは玉鼎だった。
「それで、燃燈。私に何の用だ」
「聞きたいことがある」
「――――――」
 燃燈の言葉に玉鼎は眉を寄せる。現在、燃燈は仙界の教主・楊ゼンの側近と言う立場にいる。教主と言うのは忙しい立場だ。もちろんその側近にも言えることで……燃燈がわざわざ仕事を抜けて神界へ来る暇があるのかどうか怪しい。しかも何か重大な用事があるならともかく、ただ聞きたいことがあるからとは――――しかも玉鼎に。
「教主の許可は得ている」
「……はあ。それならいいが――――隠れている者達をどうにかしろ」
 ため息のあと、諾の意を示すが聞き耳を立てている者たちのことを言うのも忘れない。それには物陰に隠れていた者たちは皆驚いて肩を揺らす。気付かれていないと考えていたようだ。しかし、この場にいる中で気付いていないものなどいない。
「同席させても構わないか?」
「同席させてもいい話ならそうすればいいだろう? 私にはその判断はつかない」
「――そうだな」
 玉鼎の言葉に納得した様子の燃燈は、背後を振り返る。するとぞろぞろと物陰から封神された元十二仙全員が現れた。それを見た玉鼎は頭痛がする思いだった。人のことは言えないが、そんなに暇なのかと思う。
 そんな玉鼎の思いなど気付かないメンバーは、元金鰲教主・通天教主を気にしながらも好奇心には勝てずに側によってくる。そして少し離れた場所にめいめいが腰を下ろした。完璧に聞く体勢だ。それを眺めた後、玉鼎は燃燈に椅子を勧める。普賢は既に他の十二仙の側に腰を下ろしていた。
 
 
「それで、聞きたいこととはなんだ?」
 なぜ、神界で燃燈と向き合わなければいけないのか……内心で思いつつ、燃燈が口を開くのを待つ。そして答えはすぐに返ってきた。
 
「玉鼎は、知っていたのか? ――――――封神計画の真実を」
 
 沈黙があたりに満ちた。何を言い出すのかと十二仙は思う。通天教主は何を考えているのか反応を見せない。そして当の玉鼎は――――
 
「なぜ、今更そんなことを聞く」
 
 そう、封神計画が終わり、全てがまた廻り始めてからどれだけの時が過ぎただろう。仙人の感覚としては短い、けれど人間の感覚ではそう短いと言えない時間。人間界は時代が変わっているだろう。今更封神計画などと言う過去に関してなぜ聞こうと思ったのだろう。
 正直なところ、燃燈の質問は玉鼎には理解できないものだった。
 聞いたところでなんになる。すべてはもう終わってしまった。過去を振り返る理由はない。そんなことをする暇があるなら未来を見据えなければいけない。
 そんな思いを込め、玉鼎は問う。
 燃燈は、ただまっすぐ、表情を変えずに言った。
 
「以前から不思議だった。十二仙の中で、もっとも長く生きているお前が、『あの方の弟子』であったお前が気付かないものだろうか。もしかしたら『あの方』から知らされているのではないか、全て知った上で何も言わずにただ従っていただけではないか――――」
 
「買い被りすぎだ」
「いや、それだけではない。――――楊ゼンのことがある」
 燃燈がここまで言ったとき、傍らで聞いていた通天教主が微かに反応した。それに気付いたのは燃燈と玉鼎だけだったが。しかし、玉鼎は何の反応も見せない。ただ黙って燃燈の次の言葉を待つ。燃燈も同じくそれには反応せずにいた。
「楊ゼンの母親が誰か、知らないはずはないだろう……お前なら」
 
 楊ゼンが崑崙へ来る前から知っていたとしても、おかしくはない。
 
「そうでなければそれまで全く弟子を取っていなかったお前が、妖怪仙人とはいえ弟子を取るとは思えない」
 その言葉に数人の元崑崙十二仙は疑問を持った。なぜ、『妖怪仙人とはいえ』なのだろうかと。玉鼎は元人間のはずだと。
「そして、だからこそ知っていたはずだ。楊ゼンのために。――――――『あの方』のために」
 けれど口を挟むことは出来なかった。それは初めから燃燈に釘を刺されていたことだ。口を出すなら付いて来てはいけないという。もし口を出せば蹴りだされるだろうと理解していた。だから何も言わず、玉鼎の様子を伺う。
 しかし、玉鼎の表情を見て皆息をを飲む。
 
 玉鼎は笑っていた。
 
 今まで見たことがないほど、禍々しく。
 
「それで……いや、それがどうした。たったそれだけのことで私が全てを知っていたとでも言うのか? ――――燃燈らしくないな、それだけのために仕事を放り出してくるなど」
 
 言葉と表情があっていなかった。
 口調は飽くまで普段と変わらない淡々としたものだった。しかしその表情は――――――明らかに楽しんでいた。燃燈の予想を。それが言葉にされることを。
 玉鼎の表情には皆衝撃を受けていた。こんな表情が出来るのか、と。決して見せたことのない暗い部分を見た気がした。
「異母姉さまから聞いた――――玉鼎だけあの時驚いた様子がなかったと」
 あの時とは燃燈が元始天尊と演技で戦い、そして十二仙を、崑崙を外れた件。
「心配して欲しかったとは言わない。必要がないからな。だが、それまでも、そしてその後も玉鼎だけ疑問も不満も漏らしたことはなかったと聞いた」
「何も考えていなかったからではないのか」
 他人事のように言う。その時点で燃燈の言うことは当たっているのではないか。けれど、玉鼎は言葉では決して認めようとはしない。
「それはないだろう。……考えていないのであれば、どうやって楊ゼンを受け入れる。過去がそうさせたとしても、それだけでは済まされない力の持ち主だ、楊ゼンは」
 
 覚悟がなければ崑崙で楊ゼンほどの力を持つ妖怪仙人は育てられない。
 
 決して燃燈は人間出身と妖怪出身の仙道を区別しているわけではない。ただ、今は必要だから言っているだけだ。しかしそれが分かっていても玉鼎は眉間に皺を寄せた。
「玉鼎」
「――――――今更」
 燃燈が名を呼ぶ。そして玉鼎は間を空けてぽつりと言う。
「今更、全てが終わった後で真実を知ってなんになる。どんなことを私が考えていたかなど、今更知ったところで事実が変わることはない。多くのものが死に、封神され――――生き残ったものは新しい仙界で過ごす。全てお前達が望んだとおりになった。最良の結果に落ち着いたじゃないか」
「結果だけだろう」
「それが全てだ。最良の結果を求めてその過程に犠牲を強いる」
 
 ――――――私はそのために、師を変えたのだから。
 
「玉鼎……」
「望んでなどいなかった。一度も、それを望んだことはなかった。けれど、そうする以外に選択肢は用意されていなかったんだ。――――最良の結果をもたらすために、最悪の過程を選ぶしかなかった」
「だから玉鼎、そなたは崑崙へ行ったのか――――」
「そうですよ」
 通天教主の言葉に、玉鼎はきっぱり答える。
「あのひとがそれを望んだから……それが私のためだと言ったから。受け入れないわけにはいかないでしょう、私のためだと言われれば……危険にさらさないためだと言われれば、力のない道士に、他に選択できるものなどない」
 その言葉は静かで、悲しみが含まれているようにも思えた。
 ようやく玉鼎の本心が聞けた気がした。
 
 
 
 
 
「知っていたさ、もちろん全て」
 静かに玉鼎は話し始めた。
「三大仙人が、燃燈が――――そして始祖が何を考え、行動しているのか知っていた。何を画策しているのかも。気付かないわけはないだろう。元々ジョカの存在は知っていたし、どうにかしなければいけないことも理解していた」
 楊ゼンと交換された王奕がどんな状況に陥ったのかも。
 そこでふっと玉鼎は笑った。今度は禍々しさのかけらもない、悲しみを含んだもの。
「私の力では、どうにもならないことも分かっていた」
 
 
 私が協力しても足手まといになるだけだ。だから、黙っていた。そうすることで上手くことが運ぶなら、それで良いと思った。
 そうすることで楊ゼンを、あのひとの子を守ることが出来るなら――――――悲しませることになっても、封神されても守ることが出来るならそれでよかった。全てが解決すれば、楊ゼンをあの人の元に戻すことが出来る。それが出来るなら、全てを知っていて踊らされることもいとわなかった。
 
 
「結局、全てが終わった今でもあのひとは戻ってこないけれど――――」
 
 私の中での最良の結果はそれだったから、その点を考えればいい終わり方ではなかったな。
 
 玉鼎の言葉にどう返せばいいのか。分かるものはいなかった。
 未だ玉鼎は過去を引きずっている。過去を忘れられずにいる。そして過去を守ろうとして、結局望んだ未来は得られなかった。それは全て玉鼎のせいでなく――――――
 
「すまなかった」
 ぽつりと通天教主が言う。
「私がいけなかったのかもしれないな。私があいつを金鰲へ連れて行かなければ……玉鼎がそんな思いをすることはなかっただろう」
 
 すまない。
 
 再び通天教主は謝罪の言葉を述べる。
 けれどそれを見た玉鼎は微かに首を振った。
「あなたのせいではありません。それに――――もし、そんなことになったら楊ゼンは生まれてはいません」
「……それはそうだが」
「私は、楊ゼンがいてくれてよかったと思っています。こういう未来になったからではなく……ただ、その存在が私の弟子としていてくれただけで」
 
 それまで弟子を取っていなかった私に、弟子をとってもいいと思わせてくれたから。
 
「もう、弟子をとることは出来ませんが」
 そう言った玉鼎の表情は穏やかだった。
 望むものが戻ってこなかった傷はあるけれど、それでもそれは別にして、いい未来だったと。
 そう考えている玉鼎がいる。
 
 
 
 
 
「結局、燃燈。こんなことを知りたがった本当の理由は何だ」
 全てを話し終わった後、玉鼎は改めて問うた。それに燃燈はため息をつく。
「過去の記録を整理していたときに、楊ゼンの前で太乙や道行、異母姉様が口を滑らせた」
「は?」
「楊ゼンを弟子にとる前、玉鼎がどういう仙人だったかを――――――師が、元始天尊様以外にいたことを」
「…………最後のは竜吉か」
「ああ。――――そこから先は予想がつくだろう?」
「まあ、楊ゼンは頭の回転が速いからな」
 額に手を当てながら、玉鼎はため息をついた。そのことが理由でこんなことを話さなければいけなかったのか、と。
「それに加えて楊ゼンは覚えていた。――――――金鰲にいた頃、哮天犬に繋がる宝貝があったことを」
「――――――っ」
 その言葉に玉鼎は目を見張る。
「まさか……」
「本当のことだ。哮天犬よりは小さいと記憶しているようだが」
「――――――確かに、それはそうだが……」
 
 覚えていたのか。
 
 そう玉鼎は呟く。
 覚えていないと思っていた。あまりにも幼かったから、覚えているはずがないと。
「哮天犬は玉鼎から授けられたと言う。しかし、似たようなものを金鰲で見た。そこから考えて、一番知っていそうな異母姉さまに詰め寄ったらしい」
「そして、竜吉は隠し通せなかったというわけか」
「言うなと言っていないだろう」
「…………確かに」
 今までで一番大きなため息を漏らす。忘れていたというより、考えもしなかった。こんなことになる前に楊ゼンは母親と再会すると思っていたから。
「まあ、いずれ知るだろうとは思っていたがな」
 
 そうなってしまっては仕方がない。
 
「いずれ話すと伝えてくれ」
 
「分かった」
 
 真実を他人の口から伝えてもらうことはしない。これは自分が伝えなければ、話さなければいけないことだと、玉鼎は言う。そしてそれで楊ゼンは納得するだろう。今はまだ無理だが、いずれまた別の機会に知ることになる。
 
 全てを。
 
 師が、どういう過去をたどってきたのかを。
 
 
 そして自身の母を――――

– END –

2018年12月14日

Posted by 五嶋藤子