与えられたもの
今すぐに玉虚宮へ来るように。
今までになかったことを伝えられ、すぐに従うことが出来なかった。
ただ、何故今なのだと首を傾げるばかりで……今までそんな呼び出しをかけられたことがないのに、と思う。
それだけ私は十二仙の中でも特別扱いを受けている自覚がある。
だからと言って、急に呼び出されることを予想していなかったわけじゃない。
ただ、今まで長い間なかったから不思議に思っただけだ。
私を呼ぶからにはなんてことはない用事ではないだろう。それくらいは予想がつく。
私は十二仙の中でも年長で。年功序列というわけではないが、簡単な用事なら元始天尊は私よりももっと命じやすい“初めからの弟子”を使うはずだ。
そう考えながら玉虚宮への道を急いだ。
向かった玉虚宮はいつにも増して静かだった。これほどまでに静かだったことが今までにあっただろうかと考える。
そして否、と答えを出す。
いつもどこかで道士が修行している物音や声が聞こえていたはずだ。
それがないとなると……人払いがされているのか。
けれど、その理由が分からない。
今はまだ、計画のためにこそこそと崑崙で動いている時ではないはずだが――――――。
何時も誰かしらいる案内もおらず、私は一人で玉虚宮の長い廊下を歩いた。
その間も誰にも会うことはなく――――私の靴音だけが高い天井に響いていた。
玉虚宮は広い。
崑崙教主の住まいだから、当然と言えば当然か。
そんなことを思いながら、ようやくいつも元始天尊がいる部屋の前に着いた。
中から、二人分の気配が感じられた。
ひとりは元始天尊。
そしてもうひとりは――――――
(……妖怪仙人?)
人間出身の仙道と、そうでない者との気配の差を、私は感じることが出来た。
気の違いとでもいうのだろうか。
完全に隠されればその限りではないが、そうでなければ完璧に判断がつく。
そして今回は、感じられた気配が人間出身ではないと判断した。
――――――別にだからどうと言うわけではないが。
私には、そんな区別をつけなければいけない理由などない。
「元始天尊様。――――玉鼎真人、参りました」
「入れ」
気付いていたのだろう、私の言葉に間髪入れずに返答があった。
それに従うように、扉が開いた。
重い音が響く。
だんだんと見えてきた室内で、元始天尊の横に小さな影を見つけた。
青い髪の、小さな女の子。
そして――――――その姿はとても“あのひと”に似ていた。
(っ…………)
ショックは表情に出なかったはずだ。
そう思いたいが、自信はない。
そんなものを私は目にしていた。
何とかその子供から視線をはずし、不自然でない程度にゆっくり歩を進めて、元始天尊の前に礼をとる。
「お呼びでしょうか」
「うむ」
私の言葉に頷いたあと、元始天尊は唐突に言った。
「玉鼎真人。この者をそなたの弟子にするよう」
――――――
「は?」
うまく元始天尊の言葉を消化しきれず、そんな言葉を上げてしまう。
視線を上げて見た元始天尊は、いつものごとく何かしら企んでいるような、そんな表情をしていた。
「この子供を、そなたの弟子に。――――これは命令じゃ」
変化のない言葉。
それに逡巡し、ちらりと子供に視線を移すが、無表情のまま。もう一度元始天尊に目を向ける。
「ですが、私は今まで弟子を取ったことがありません。そんな私に、この子を任せてよろしいのですか?」
どんな答えが返ってくるのか、分からないわけではない。
他の十二仙なら、私のようなことは言わないだろう。何も言わずに、その命令に従う。
けれど――――私にはあまり遠慮はない。
どんな答えが返ってくるか分かっていても、無駄なことでも。
「そなた以外には頼めぬことだ」
理由は分かるだろう? と、そんな風に言う。
もちろんそれは十分に分かっている。
「こんなことを言うのは何だが、他の十二仙では荷が重い。この子供の本性も――――何よりその親に対しても」
金鰲教主、通天教主の子だからな。
「崑崙(ここ)ではそれだけで嫌悪の対象になる」
私の言葉に、子供はびくりと肩を震わせた。言われた意味が理解できたのだろう。
「玉鼎……」
とがめる様な声。
それに小さくため息をついて、私は言った。
「私でよろしければ……その子が、私の弟子になってもいいと思えば、引き受けましょう」
断る気は初めからなかった。
けれど、何も言わずに引き受けるつもりもない。
引き受けられるわけがないんだ。弟子となる本妖(ほんにん)が、嫌がるならば。――――自身の意に反することを、この子供にはして欲しくない。
「と言うことじゃが、どうする?」
元始天尊は視線を落として尋ねる。
本来なら、どうするもこうするも、弟子になるものに選択肢はないに等しい。
それでもこの子供の背後にいる者のことを考えたのだろうか。普段にはない気遣いを(表面上は)見せた。
「このひとが……母さまの弟子だったひと?」
小さな声。
けれどそれは――――どことなくこの子の母親に似ていた。
「そうじゃ」
「それなら……このひとの弟子になりたいです」
「…………分かりました。引き受けましょう」
内心で、物好きなと思わないでもなかったが、崑崙(ここ)へ来る前に私のことを聞いていればそう言い出だすのも不思議ではない。
あんなことを言った者でも、親に言われていれば無理にでも受け入れるだろう。
元始天尊に背中を押され、私の側へ来る。
「その子の名は、楊ゼンと言う。――――では、頼んだぞ、玉鼎真人」
「承知しました」
最後にもう一度礼をとると、私は楊ゼンの手を引いて元始天尊の前を辞した。
「よく、私の弟子になると言ったな。……あんなことを言ったのに」
金剛力士で玉泉山へと戻る途中、私のマントを被った楊ゼンに聞いた。
そんな私を上目遣いに見た楊ゼンは、少し間を置いて口を開く。
「父さまが……玉鼎真人さまなら大丈夫だって。……ぼくを、拒否しないって」
どんな言葉を使ってても……。
その言葉に、空を仰いでしまった。
(通天教主……)
そう言えば、あのひとに昔からとても近かった通天教主は、私の性格をよく知っている。
私がどんな反応を示すかなど、予想できるだろう。
「…………まったく」
自分が馬鹿の様だ。
結局、教主たちの思い通りだ。
昔から、そうだったことを改めて思い返す。
と、微かに服の裾を引かれ、私は楊ゼンを見下ろした。
「何だ?」
「…………どうして、母さまの弟子を辞めたの?」
「…………」
まさか、そんなことを聞いてくるとは思わなかった。
だが、あのふたりの血を引いているならありえないわけではない。
「それは――――――」
けれど実際に聞かれると、どう答えたらいいのかと思ってしまう。
どこまで話していいのか……どこまで知っているのだろうか?
答えられないわけじゃない。
しかし、あのときのことはあまり思い出したくもない。
それに、私があのひとの弟子を辞めたのは殆どの仙道が知らない頃のことだ。当然、楊ゼンも知らないはず。
「母さまが……嫌いになったの?」
「それはない」
何を考えるよりも先に、とっさにそんな言葉が出てきた。
楊ゼンはそれにびっくりした表情を見せたが、すぐににっこり笑った。
こんなところもあのひとに似ていて、少しだけ胸に痛みが走る。
「それならいいです。――――これから、よろしくお願いします」
「ああ……」
けれど、それでもそう言われたことにほっとしている自分がいる。
そしてやっとついた玉泉山でへ降りたあと、私は改めて楊ゼンに目線を合わせた。
「ようこそ、玉泉山金霞洞へ――――楊ゼン」
「はい!」
– END –