止まない雨

 ヤキン・ドゥーエが落ち、パトリック・ザラ最高評議会議長が死亡。捕らえられていたアイリーン・カナーバがレジスタンスによって救出され、クーデターを起こしエザリア・ジュール他、ザラ派の議員を捕縛したとの報が流れた時、リラ・カナーバはセプテンベル市の自宅にいた。
 アイリーン・カナーバが捕らえられた後、ザラ派のザフト軍人によって邸内はくまなく捜索されたものの、アイリーンの娘であるリラが暮らしていたために破壊されることなく少し片付けただけで普通に暮らすことが出来ていた。
 母のことは心配だったが、政治に口出しすることは出来ないし、リラが動けばパトリック・ザラは容赦しないだろうことも予想していた。
 だからこそ沈黙を守り、今までと変わらない生活をしていたのだ。たとえ監視の目があろうとも……逆に言えば彼らが護衛の役割も果たしていたのでリラに文句を言う筋合いはなかった。
 けれど、最高評議会議長の死と、彼が戦渦を広げようとしていたことがメディアから流されるとリラはとるものもとりあえず邸を飛び出した。使用人には戸締りを厳重にするよう指示を出して。
 
 母がパトリック・ザラ議長と考えを異なる派閥に所属していたことは知っている。そのために捕らわれたことも。そして母が何かを隠してはいないかと邸内の捜索が行われたことも。
 それがショックでなかったと言ったら嘘になる。
 けれどひどく散らかされたり破壊されたものがなかったため、何より母は生きていたためにそれほど引きずるものではなかった。
 ――――だが、アジュールはどうだろうとリラは瞬間的に思った。
 アジュール・ザラ・ゼイレン。
 パトリック・ザラ最高評議会議長の娘にして、ディセンベル市で若くして幼年学校の教師をしているリラの幼馴染。
 ユニウスセブンでなくなった母親に瓜二つにコーディネートされた、あの優しい顔を思い浮かべながら、リラはディセンベル行きのチケットを大急ぎで取り、シャトルに飛び乗った。簡単には取れないと予想していたが、混乱するプラントでは別の市へ行こうとする人間はいなかったらしい。
 簡単にとることの出来たキャンセル待ちのチケット。そしてキャンセルの発生した――というより乗る人間が時間内に来なかった――チケットでリラはディセンベルへと向かった。
 
 港を出たリラは、今にも降り出しそうな空模様に舌打ちをしたくなった。ディセンベルの天気を確認してこなかった自分が悪いのだが、それでもこんな時に……と文句の一つ言いたくなるのも当然だろう。
 けれどここで傘を買っている暇はない。
 ただ、ザラ本邸に行き、アジュールの様子を知ることが出来ればよかった。父の死にショックを受けているだろうけれど、それでも無事に……何故かこの時リラは“無事でいてくれれば”と言う言葉を浮かべていた。
 けれどそれを不思議に思う暇を持つこともなく、リラはレンタルエレカポートでエレカに乗り、高級住宅街の最も奥にあるザラ本邸へ向かった。

◇◆◇

「うそ……なに、これ…………」
 たどり着いた先。
 リラの目の前に現れたのはセキュリティシステムの働いていない門。
 開いたままのそこに、周囲を気にしながらリラは足を踏み入れた。
 そうしてたどり着いた邸の前。手をかければ簡単に開いてしまった扉に最悪の想像をして邸内に駆け込んだ。
 そして目にした破壊された室内。
 窓ガラスは割れ、壁も家具もぼろぼろになったそこは以前の面影などなく、人の気配も感じられなかった。
 そのため余計に“もしかしたら”と考えてしまい、アジュールの部屋に駆け込む。
「い………ない」
 そこにはアジュールはおらず、ただ散らかった室内があるだけだ。
 けれどそこでリラは、いつもアジュールの部屋にある、昔両親からの誕生日プレゼントだと言っていたテディ・ベアがないことに気付いた。
 とても大切にしていたものだ。
 そしてアスランも後年色違いの同じものを贈られたのを知っている。
 もしかして……と思って、リラは今まで入ったことのないアスランの部屋へ向かった。
 案の定、どこを探してもなかったテディ・ベア。
 後ろめたく思いながらもいろいろひっくり返してみた結果だ。これで邸内を荒らした人間が持ち去っていなければ、持ち出したのはアジュール以外に考えられない。
 このことに少しだけ安心して、リラは携帯を取り出した。
 長距離通信が可能なものではあるが、現在は都市間の通信は混んでいて難しいだろう。ただ、今はディセンベル内だけ通じればいいので手際よくメモリーからアドレスを呼び出し、通話ボタンを押した。
 ……………………
 
『は、い…………』
 
「アズ?」
『リ……ラ?』
「そうよ! 今どこにいるの!?」
 数回コールした後、ようやく通じた通信に出た声は、今までに聞いたことのないほどに弱々しい。
 それでも答える気はあるのは、ゆっくりと……職業柄、発音ははっきりとするアジュールにしては聞き取りにくい発音で、
『ディセンベルの……公園』
 それだけを言った。
「公園ね。絶対にそこから移動しないでよ!!」
 そう叫ぶとリラは電話を切ってザラ家本邸を飛び出した。
 外は既に雨が降っていたが、気にしている暇はない。
 再びエレカに飛び乗ると、リラのわかる公園へと向かった。
 リラにとってディセンベルの公園と言うのは一箇所しかわからない。立地条件のとてもいいその公園は広く、休みの日には家族連れが多く訪れる。そこに何度かアジュールと行ったことのあるリラは、そこのベンチに座り、空を見上げることがアジュールはとても好きだと気付いていた。
 アジュールがリラに公園と言ったのだから、そこで間違いはないだろう。
 ただ問題なのは、雨が降っていることだ。
 あの公園に東屋などの屋根のある場所は何箇所かある。しかし、アジュールは空を見上げるのが好きなのだから、当然今までそこで座っているところをリラは見たことがない。
(出来れば屋根のあるところにいてほしいんだけど……)
 それはなかなか難しい話だとわかっている。
 わかっているからこそ、リラは急いだ。
 内心でこんな状況にアジュールを置いた、ザラ邸をめちゃくちゃにした人間に悪態をつきながら。

◇◆◇

「アズ!!!!」
 公園に駆け込んだリラは、最もアジュールが好む場所にその姿を見つけた。
 アジュールは全身ずぶ濡れで――――いつもふわふわとまとまりにくいと文句を言っている髪も、服も……そして腕に抱いている二体のテディ・ベアも。
 それにやっぱりと思いながら悲しくなり、それでもやるべきことを見つけたリラはアズの名前を呼びながら駆け寄る。
「――――リ、ラ……」
 腕を引っ張って立ち上がらせようとしたところでようやくアジュールは顔を上げ、リラを見た。
 今ようやくリラを認識したアジュールの腕は、服越しでもかなり冷たかった。
 それにぞっとしながらリラはアジュールを無理やり立たせると、そのまま引っ張って公園を後にする。それにアジュールは抵抗を見せない。普段であれば、無理やりリラが何かさせようとするとすぐに理由を聞いてくるのに、それが見られないアジュール。それだけでアジュールの今の状態がよくわかる。
 どうして、とリラは思いながらもアジュールを近くの、しかしセキュリティのしっかりしたホテルに連れて行った。
 ただし、セキュリティがしっかりしていると言うことは、宿泊客の管理もしっかりしていると言うことだ。
 ずぶ濡れのアジュールに、一瞬警戒する視線を警備員たちが向けたことにリラは気付いた。すぐにそれは表面上なくなったが、彼らが内心自分たちを警戒していると言うことはリラにはよくわかる。
 けれど今はこうするしかないのだ。
 そう自身に言い聞かせて、リラはフロントまでアジュールを連れて行く。
「いらっしゃいませ」
 表面上は恭しく、しかし内心で不審者としてみているだろうスタッフに、リラはにこやかに――こちらも表面上――切り出した。
「予約をしていないのですが、お部屋は空いていますか?」
 こんな日に限って空いてないはずはない。
 確信していながらも尋ねるリラに、スタッフは「どのようなお部屋をご希望でしょうか?」と聞いてきた。
「……スイートか、それ以上でありますか?」
 アジュールの立場を考えればあまりランクの低い部屋に泊まらせるわけにはいかない。それは何よりセキュリティの問題だ。誰もが―― 一応入り口でスタッフが確認するとは言え――入れる階の部屋をとるわけにはいかない。何よりアジュールはパトリック・ザラの娘で、彼を恨む人間に襲われる可能性がないとは言えない。逆に、ザラ派の人間にさらわれるわけにもいかない。
 出来れば最上階に泊まらせることが出来ればいいのだが、セプテンベル市の馴染みのホテルならいざ知らず、ディセンベル市では無理を言えるホテルなどリラは知らない。アジュールにはそんなホテルがあるかもしれないが、自宅が好きなアジュールは特別な理由がない限りホテルには泊まらない。
「最上階であればご用意できますが」
 そうして返ってきた答えは、リラの望んだ最上階……けれど、ホテル側からすれば最高級の部屋の宿泊費をリラたちのような若者が払えるはずがないと思い、断るために提示してきたことが簡単にわかってリラは内心でむっとする。
 それでもホテル側は部屋はあると言ってきたのだ。
 すでに体が冷えて真っ青のアジュールをこのままにしてはおれず、リラはその部屋でいいと伝える。
 それに一瞬目を見開いたスタッフは、それでも平静を装って支払いのためのカードの提示を求めてくる。
 支払いは普通チェックアウトの時に行うが、一見の場合、特に予約もなしに来る客には支払い能力があるのか確認されることが良くある。少なくともプラントでは。ディセンベル出身で、あのパトリック・ザラの娘であるアジュールを見てもそれを求めてくると言うことは、アジュールはこのホテルを使ったことが……少なくともフロントを彼女自身が通って泊まったことがないということを意味していた。
 早まったかなとも思わないでもないが、すぐにでもアジュールにシャワーを使わせなければいけない状況では贅沢は言ってられない。
 リラは明日アプリリウスに用事があり――キャンセルになる可能性が非常に高いが――、それが朝一で入っているために遅くとも今日の最終便でアプリリウスに向かわなければならない。
 アジュールをこのまま残していくのは不安だが、部屋を出ないように言い聞かせれば、用事が終わった後に再びここへくれば何とかなるだろう。けれど今日泊まるのはアジュールだけだ。
 そうすると、カードはアジュールのものでなければいけないということだ。別にリラが自身のものを提示してもいいのだが、支払い能力と共に身分証明もしていることになるので、それを考えるとアジュールのものでなければいけないのだ。
「アズ……持ってる?」
 一歩斜め後ろに立っているアジュールに問うと、アジュールは微かに頷き、かばんを探って財布の中からカードを取り出す。
 それを見たスタッフが、今度こそあからさまに目を見張った。
 ――――それはアジュールが出したカードがブラックカードであり、しかも家族カードでなかったからだ。
 つまり、それだけアジュールに収入と身分があると言うことを示している。
 幼年学校の教師の収入だけではこのカードを持つことは出来なかっただろうが、幸いアジュールはその他の事業にも複数関わっていて、むしろ幼年学校教師の職のほうが副業のように見える有様だ。――――いや、もしかしたら副業にすらならないほどの収入差があるかもしれない。
 リラはそのあたりのことは知らないが、そうであっても不思議ではないだろう。
 けれど目の前のスタッフはそんなことを知らないので、自分より若い女性であるアジュールがそんなものを持っているとは考えてもいなかったのだろう、びくびくしながら受け取り、確認のため機械に通していた。
 ブラックカードなので、支払い能力がないなどとの判断は出ないだろうが、一応規則として通して出てきた結果に、スタッフが一瞬見せた安堵の表情。それを見逃さなかったリラは嫌な予感がした。
 それまでとは違って申し訳なさそうに、しかし笑っているようにしかリラには見えない顔でスタッフは口を開いた。
 
「申し訳ございません。このカードは現在使用することが出来ません」
 
「…………え?」
 最初、スタッフの言った言葉が理解できなかった。
 あわてて受け取ったカードの期限を見ても、余裕がある。
 そんな馬鹿な、とリラは内心で叫んだ。何かの間違いだ。元々物欲の少ないアジュールはお金を使うことはあまりない。だから預金も相当あり、また収入とて増えることはあっても減ることはない状態のはずだ。
 使えなくなるはずがなかった。
 それでもスタッフの言ったことは本当なのだろう。ここでごねれば間違いなく不審者として放り出されるだろう。最悪、警察でも呼ばれてしまってはたまらない。
 リラはザラ邸の状況から、今、アジュールに関して公的機関は信用出来なくなっていた。
(仕方ない)
 そうあってもホテルに泊まらなければいけないのだ。このままアプリリウスやセプテンベルに連れてはいけない。だからと言って安い、セキュリティの甘いホテルに連れて行くことも出来ない。
(私も一緒に泊まるしかないじゃない)
 明日の予定はキャンセルだ。
 元々キャンセルになると予想している仕事だ。けれど必ずキャンセルになるとは限らない。もしキャンセルにならなかった場合、大きな仕事であるから、リラの信用はがた落ちになることは間違いない。ただこれで信用をなくしても、幼馴染を見捨てるよりはマシだった。
 そう判断したリラは、カードをアジュールに返してから自身のかばんを探って、財布からアジュールと同じ会社、同じ色のカードを取り出す。
 つまり、リラの持っているカードもブラックカード。
 立て続けに若い女性がそれを持っていることを知り――片方は使用不可だったが――、様子を伺っていたスタッフは全員が息をのんだ。
(残念でした)
 リラとてアジュールと同じように名家に生まれ、それ相応の教育を受け、名声を得ている。母親の立場を利用した家族カードではなく、自分で契約した、自分名義のカードを持つくらいには。
 受け取ったスタッフはリラのカードも使用不可であることを望んでいるようだが、そんなことはありえないだろう。
 時間がたつにつれ、リラはなぜアジュールのカードが使えなかったのか、その理由に思い至っていた。
 そして、自身の時にはそんなことがなかったことと比較し、なんてことをするんだと、母の所属する派閥に嫌悪を抱き始めている。
 そんなことなど知らないスタッフは、リラのカードが使用できることを知って落胆したようだが、ふと見た名義人の名前――つまりリラの名前――に目を見張った。
 それを目にしながら、その理由は名字であることに思い至るのはたやすい。
 リラ自身は確認していないが、リラの母がしたことはメディアに散々流れているはずだ。――――戦争を終結させた、と。
 どこがだ、とリラなどは思うが、一般市民にそんなことを言っても理解されない。
 先ほどまで感じたムカつきを一切抱かせない笑顔でカードを返してきたスタッフに、今日は二名宿泊することを伝え、カードキーを受け取り、案内をきっぱりと断ってからリラはアジュールの腕を引いて唯一最上階へ向かうことの出来るエレベーターに乗り込んだ。

◇◆◇

 部屋についてすぐ、バスタブに湯を張りながらアジュールを浴室に押し込んだ。
 その時受け取ったテディ・ベアはどちらもクリーニングに頼み、アジュールは浴室から一番遠い場所で携帯で長距離通信をした。
 相手は母であり、急遽臨時最高評議会議長に就任したアイリーン・カナーバだ。
 今はまだ忙しいだろうが、構うものかとリラは思う。
 “あんなこと”を許している人間に、気を使ってやる必要はまったく感じなかった。たとえそれが自身の母であろうとも。
 そうしてつながった母は、何故今かけてきたと言わんばかりの声音だった。
 けれどそれでもリラは母の子だ。
 間違っていることを指摘して何が悪いと思う。
 しかも、国家反逆罪で母が拘束された時、リラはアジュールのような状況には陥らなかった。急進派が市民を守り、穏健派が守らないとは、自分たちの言っていることとやっていることが違うじゃないか。そんな風に、繋がってすぐに叫びたかったが、あまりに大きな声を出すとアジュールが何事かと心配してしまう。
 そしてきっとリラと母の仲を心配するのだ。自身と母は二度と会うことが出来ないから。
 
「一体アズが何をしたと言うの、お母様」
 
 けれどイラついていたのだ。唐突ともいえるその言葉に、アプリリウスにいるアイリーンは「何のことだ」と聞き返す。
「とぼけないで! ザラ議長がなくなり、戦争を拡大させたと主張するのはまあ、この際何も言わないわ。言えるわけないしね。でも、だからと言ってあのザラ邸の状況は何!? 何もかも破壊して……あそこにはアズは住んでいたのよ!? マンションを借りたり買うことをせずに!」
『――――何か隠していないか調べるのは当然だ。それに、ザラ家は政府に没収される。国家への賠償金として』
「だからと言って、どうして住めなくなるまで壊すのよ。それに没収の決定が早すぎるでしょう!? まだ、裁判もしていないのよ!?」
『いずれそうなるのなら、早くても――』
「さっきも言ったとおり、アズは本邸と別邸以外にすむところを持たないのよ!? すぐに出て行けといわれても、住む場所がないのよ!!」
『ホテルがあるだろう。……一時、身を寄せるくらい――』
「アズのカードを使えなくさせておいて、宿泊できるわけないじゃない!」
『な……なんだと!?』
 それはどういうことだ! と叫んだ母に、リラは何を今更と思う。
『ホテルに提示したら、アズのカードは使えないって言われたわ。ちなみにアズが持っているのは私が持っているものと同じよ。何より、アズの財力は私を軽く上回っていることを知っているでしょう!? あの子ほど財産を持っている最高評議会議員の子供はいないわ!!』
 それなのに使えなくなった。
 期限はまだ先。
 そしてこのタイミングを考えると、政府が動いたとしか考えられない。
「戦争に関与していないアズの個人資産まで奪うなんて――――」
 最低!! と叫ぼうとしたリラをさえぎり、アイリーンは言った。
『まて、私はそれは知らないぞ!』
「…………え?」
 何だ? と聞き返したリラに、アイリーンは続ける。
『それは私は知らない。そもそもアジュールの個人資産まで国家賠償として押さえろとは言っていない。パトリックとアスランのものはカードも預金も使用を停止しろと言ったが、それは勝手に使うものが現れるのを防ぐためだ。プラント内に住んでいて、管理の出来るアジュールのものまでこちらが管理する理由はない。何よりあの子は民間人だぞ』
「でも、使えなかったわ! この状況で、そんなことが出来るのは政府だけじゃない!!」
 母が嘘を言っているとは感じなかった。母はこんなことで嘘をつく人ではなかった。何より市民のために役に立つことを目指して議員をやってきたのだ。その市民を貶めることをするとは思えなかった。
『……おそらく、誰かの指示だろう。アジュールのことを知っている人間は、政府内では議員くらいだ。一般職員が知っているとは思えない。指示をするなら評議会議員の誰かだろうが……』
「お母様?」
 途中で言葉を止めた母を不思議に思い、リラは母を呼んだ。
 けれどそれに答えることなく、アイリーンは別のことを言う。
『ともかく、アジュールの資産についてはすぐに凍結を解除させる。明日までには使用可能になるはずだ』
「それは当然。だけど――――」
『指示をしたものに関してはこちらで探す。リラはアジュールから目を放すな』
「もちろんそのつもりだけど、でも私もアズも仕事があるのよ? 私は別にいいけど、アズは――――」
『校内に入ることは出来ないのか?』
「まあ、アズが許可すれば可能だろうけど。一応身分証明もあるし」
『ならばそうしなさい。アジュールが大丈夫になれば連絡を入れる』
「了解」
『それから……エリザベスのことだが……』
「リザがどうかした?」
『ルイーズも拘束されている。血のバレンタイン以来急進派になったからな』
「それは知ってるけど……」
 まさかエリザベスもアジュールと同じ目にあっているのでは!? と思ったリラの考えを、アイリーンは否定した。
『さすがにそこまではない。――――ザラ家がひどい、と言うことでもあるが。だが、落ち着くまでは彼女に会わないほうがいいだろうと言いたいんだ。少なくとも、アジュールとエリザベスを会わせない様にするべきだ』
「な、どうして!?」
『彼女たちは戦争に関係していないとは言え、親が急進派――ザラ派だ。単に幼馴染として会っているつもりでも、そう考えないものも出てくる』
「それは……そうかもしれないけれど」
『一時の間だけだ。それまでは決して会わないように言っておくんだ。これは彼女たちの身の安全のためだ』
「……わかった」
 そう答えると、アイリーンは一言二言、無茶はしないようになどと言い置いて通信をきった。
 
 ……………………
 
「会うなって言われたって……」
 どちらも心配なのだ。
 毎日必ず自宅に帰るアジュールとは異なり、農業研究所に勤めるエリザベスは職場に泊り込むことが多い。
 平日休日の違いなく研究室につめていることが多いため、たとえライトナー邸に政府の人間が押し寄せても、直接捜査を見ていることは少ないだろう。アジュールは絶対と言っていいほど目にしただろうが。
 それでも母が拘束されたとなれば平静ではいられない。
 リラもそうだった。
 ただ、リラの場合は民間人であるリラにまで影響がないように急進派――――きっとパトリック・ザラの指示だ――が考えていたからマシだった。
 けれど穏健派はわからない。
 ザラ邸をアジュールが住んでいるにもかかわらず、あんなふうにしたのだ。
 さらにアジュールの財産にまで手を伸ばした。
 エリザベスにまで同じようなことが起こらないとは限らない。
 今のままのアジュールを放って会いには行けないが、必ず連絡は取ると決心して、リラはアジュールの着替えを買いにホテルに出店していたブティックまで降りて行った。
 複数の服を抱えて戻ってきても、まだ風呂から上がっていなかったアジュールを不審に思ったリラが浴室を覗けば、呆然としたままぬるくなったお湯につかっているアジュールをしかって、お湯を継ぎ足し、よく温めてから風呂から上がらせるというばたばたを行うことになるのは、まだ少し先の話。

– END –

2021年11月8日

Posted by 五嶋藤子