知らされなかった事実
その情報がメディアから飛び出した時、チャスカはアプリリウスのザラ家の別邸にいた。
ちょうど三時のおやつの時間だと、別邸の執事がチャスカを呼びに来て、時間的にそろそろ雨が降るからとリビングにお茶と菓子が用意されている、そんな時だった。
たまたまつけたテレビ。
そこに映っていたのはアプリリウスにあるクライン本邸。
そして女性レポーター。
『最高評議会議長シーゲル・クライン氏息女でありプラントの歌姫ラクス・クラインさんと、国防委員長パトリック・ザラ氏の長男アスラン・ザラさんが現在進められている結婚統制での遺伝子検査において、最高の相性を示していたことがわかりました』
「…………え?」
耳に飛び込んできたレポーターの興奮した声。
それが最初、チャスカには理解できなかった。
そのためにあわてて視線をテレビ画面へと移すと、そこには派手なあおり文字が躍っていて、顔を赤くした女性が口早に……けれどはっきりと言う。
『ラクスさんとアスランさんの遺伝子の相性は他の追随を許さないほどで、まさに、プラントの将来を担う“対の遺伝子”と言えるでしょう』
ガタン
ようやくレポーターの言葉を理解したチャスカは、音を立てて立ち上がった。
それは今まで決してなかったことで、驚いた執事が何事かとリビングを覗きに来たほどだ。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
「……そんな……、そんなこと……」
けれどうわごとのような言葉を発するチャスカ。仕方なくテレビを見た執事はそこでニュースになっていることに目を見張った。
「アスラン様と……ラクス嬢が……?」
それは、執事の知らないことだった。
いや、アスランの妹であるチャスカも知らないことは明らかだ。
しかしそんなことが――――と執事が思ったところで、チャスカがばたばたと部屋を出て行った。
「お嬢様!?」
あわててその後を追う執事。チャスカがどんな行動を取るのかわからず、けれどそれを止めようとしたが、チャスカはそれを無視して邸を飛び出した。
「出かけてきます!!」
そう、言い残して。
◇◆◇
今にも雨の降り出しそうな空の下、チャスカが向かったのは同じくアプリリウスの高級住宅街にあるルイーズ・ライトナーの別邸。
ザラ家と同じで、テレビに出ていたクライン家とは異なる高級住宅街にあるため周囲はいつもどおり静かだ。
けれど、ライトナー家にはいつもの明るさは存在せず、暗い空気をまとっていた。
いつもは……たとえそこにいるのが別邸の使用人だけだとしてもこんなに暗いことはない。たとえ今のような天気だとしても。
それに今はライトナー家の一人娘がいるのをチャスカは知っている。
明日、チャスカとライトナー家の一人娘エリザベス、それから他にも数人とショッピングへ行く約束をしているのだ。
だからいるはず。
そう確信してチャスカはインターフォンを押した。
『はい』
「私、チャスカ・ザラと申します。エリザベスさんにお会いしたいのですが」
『…………』
チャスカが名乗ると――実際にはカメラでチャスカの姿はあちらに見えているのだが――応対した執事は一瞬沈黙する。
『少々お待ちください』
普段であれば言わない言葉を返し、その場を離れた。おそらくエリザベスに知らせに行ったのだろう。今は議会があっているからエリザベスの母であるルイーズは最高評議会ビルにいるはずだ。また父親のほうはユニウス市にいると聞いている。
ここの使用人たちが、あの放送があったすぐ後にチャスカがが訪ねて来て、判断を仰ぐことの出来る人間は一人しかいない。
そんなことを思いながら待っていたチャスカに、インターフォンから申し訳なさそうな、けれどどこか怒りを含んだ声が聞こえてきた。
『申し訳ございません。エリザベス様は今は誰にもお会いしたくはないそうです』
「そ、うですか…………」
『はい。申し訳ございませんが、お引取りください』
きっぱりと、拒絶を示して切れた。
ライトナー家に来て、こんな対応をされたのは初めてだが、しかしそれも仕方がないのだと理解していたチャスカはそれを受け入れるしかなかった。
ただ、インターフォンのある場所から数歩離れてエリザベスの部屋がある方向――実際に見えはしないが――を見るしか出来なかった。
(エリザベス…………)
チャスカが訪ねて来れば、エリザベスはいつも笑顔で迎えてくれていた。
それだけ、親しいし、かわいがってもらっているのもわかっている。
しかし、それでもこんな風に対応される理由は良くわかっている。使用人たちも理解しているからこそ、国防委員長の娘であるチャスカに――――いや、ザラ家の娘だからこそこの対応をしたのだろう。他の――――明日約束しているリラ・カナーバやマリア・エルスマン、セレーナ・マクスウェルにはこんな対応はとらない。
なぜならエリザベスはアスランが好きだから。
それは、彼女の両親も、幼馴染たちも知っている。
そして――――アスランも。
アスランも、エリザベスのことを――――。
けれど、コーディネーターは出生率が低い。そして、出生率を上げるために婚姻統制が推進されていることも、それにはわかりやすい広告塔が必要なのも理解していた。
最高評議会議長息女と国防委員長子息はまさに最高の広告塔になることも。
しかし、チャスカは真実もまた知っていた。
それを口にしてはいけないことも……。
けれど、と思う。
(どうして、あんなことを……)
決して口には出来ない。
今更口に出来ない。
口にすればどういうことになるのか……予想がつくだけに。
自身がどうにかなるのなら別にかまわない。
けれどそんなことは決してなく、当の本人に危害が加わる可能性のほうが高い。
だから、決していえないのだ。
そんなことを考えていたチャスカは、すでに雨の降る時間になったことに気付かなかった。
雨が降り出しても雨宿りをすることも、邸に走って帰ることもせず……ただ、ライトナー邸の前に立っていた。
◇◆◇
それからどれだけたっただろうか。
未だチャスカはライトナー邸の前に立っていた。
傍から見れば、ずぶぬれの少女が最高評議会議員邸の前に立っていれば不審に思い通報するだろうに、たまたま誰にも見られることはなかったため、チャスカは今なおそこにいることが出来た。
しかし――――
「チャスカ!!!」
そばにエレカが止まり、叫ぶように名前を呼ばれた。
「…………イザーク」
「何をやっているんだ、お前は!!」
「なにって……」
「とりあえず、来い!」
有無を言わさずイザークはチャスカの腕を引いて――傘も差さずにぬれていた、しかも季節は冬――エレカの助手席に押し込んで、自身は運転席へと座り、発進させた。
「ぬれ……るよ……」
「もう遅い」
「…………どこに行くの?」
「俺のうちだ。ザラ邸にそのままの姿で帰れば心配させるぞ」
「…………」
ライトナー邸からであればジュール邸よりもザラ邸のほうが近い。雨が降っていると言うのもあるが、エレカで移動しても不思議ではないほどにジュール邸は離れている。それでもイザークが自宅を選んだ理由にチャスカが文句を言うことはなかった。
黙ったままつれて行かれたジュール邸。
初めてではないのに、チャスカは居心地が悪そうにイザークに引っ張られて入る。感じる体温のあまりの低さにイザークが内心であせっていることはチャスカにはわからない。
「エリカ!」
「はい。……まあまあ、チャスカ様!!」
「シャワーと着替えを」
「承知しました。さあ、チャスカ様、こちらへ」
「…………」
チャスカのずぶぬれの姿に目を見開いたものの、ジュール家に長年仕えているエリカはすぐに冷静さを取り戻し、チャスカを促した。
チャスカはただそれに従い、シャワールームへと向かうその姿が見えなくなると同時にイザークはきびすを返し、ザラ別邸へ連絡するために通信回線を開いた。
イザークがライトナー家の別邸へ行ったのは偶然ではなかった。
イザーク自身がたまたまアスランとラクス・クラインのことを知り、驚いているところへザラ家別邸の執事が『チャスカお嬢様は伺っていませんか』と通信をしてきたのだ。
詳しく話を聞けば、テレビでアスランとラクスのことがニュースになっていることを知り、出かけて行ったのだが雨が降り出しても帰ってこない。行く場所に心当たりがあったのでまずライトナー家別邸に連絡を取ったが引き取ってもらったと言う返事しか返ってこず……それならばとライトナー家の次に可能性のあるジュール家別邸に連絡を取った、と言うことだった。
もちろんその時チャスカはジュール邸にはいない。それどころか未だライトナー邸の前にいたのだが、ライトナー邸の使用人たちはエリザベスの様子を気にするだけで手一杯だったため、そのことに気付かなかった。
そんな状況の中、イザークはザラ家別邸の執事に他の知り合いのところに連絡を入れるように言い、自身は直接チャスカを探すためにエレカに飛び乗ったのだった。
そしてライトナー邸からチャスカの行きそうな場所を探そうと思って向かったところ、そこでチャスカが立ち尽くしているところを発見したのだった。
「まったく……」
ライトナー邸の使用人たちが気付かなかったことに微かに怒りを覚えるが、あんなことがメディアで流されればそれも当然かと思うのもまた事実。
それだけ彼らはエリザベスの気持ちを知っていた。ただ、政治的配慮が必要とされる立場であるため黙って見守るしかなかったのだ。
そのことはザラ家別邸の使用人たちも理解しているだろうが、一応言っておくべきだと判断したイザークは、チャスカを見つけて家に連れてきていることを知らせるために通信回線を開いた。
◇◆◇
ザラ家別邸との通信を切ってから少したった後、シャワーで温まり、着替えを済ませたチャスカがイザークのいるリビングにやってきた。
その顔色は先ほどの雨にぬれて冷え、真っ青だったものより幾分マシになっていた。もっとも、チャスカは自身の顔色などに気付いてはいないだろうが。
「そこに座れ」
そう言ってチャスカにイザークの向かいのソファに座るよう促す。それとほぼ同時に執事が暖かいココアを持ってきたた。それに戸惑いながらも黙ったまま、にらみつけるような目をするイザークに促されるようにカップを手にとり口に運んだ。
「…………」
「落ち着いたか?」
「はじめから、落ち着いてたよ」
「落ち着いているなら冬にあんな雨の中、突っ立っていたりはしない」
「…………」
イザークの言うことは最もで、チャスカは言い返すことが出来ない。
「何があったのか……というのはわかっているから聞かないが、あんなことをしていれば心配をかけるぞ」
アスランだけでなく、エリザベスにも。
「それに……気付かなかったことに、ライトナー家の執事たちは自分を責めそうだ」
「そんなっ……」
想像していなかったことにチャスカは目を見張る。
けれどイザークの言うことは最もなことで……小さく「ごめんなさい」と口にするしかなかった。
「帰ってから使用人にも言うんだぞ」
「うん……」
こくりとうなづいたチャスカに、満足そうな表情を浮かべたイザーク。
二人ともがようやく執事の用意した飲み物を口にしたところで、チャイムが鳴った。
誰かが訪ねて来たのだろうが、イザークは誰とも約束をしていなかった。それに用事があるなら前もって連絡を入れる人間ばかりとの付き合いしかしていないのだから、イザークが首をかしげたのもまた当然のことだろう。母であるエザリアはチャイムは鳴らす必要はないのだし。
そんなことを思いながら、執事が応対するために腰を上げなかったイザークだが、急にバタバタと誰かが走ってくる音が聞こえて驚いてリビングの入り口へ視線を向けた。
と、
「チャスカ!!!」
ちょうど姿を現したのはエリザベス・ライトナー。
今まで見たことがないほどにあわてたその姿にイザークもチャスカもあっけにとられている中、エリザベスはチャスカの元に駆け寄り――――
「よ、よかった……」
ぎゅっとチャスカを抱きしめる。
「エリザベス?」
ことんと首をかしげるチャスカ。何故、エリザベスがここにいるのか。何故、こんな行動を取るのかがわからなかった。
けれどイザークの表情は、その理由がわかっているようだった。
「執事に聞いたのか?」
「ええ……。ザラ家の執事がチャスカが見つかったと連絡をくれて、ジュール邸にいるって聞いたから」
私が出なかったからだし。
そう言ってうつむいたエリザベスに、チャスカは息をのんだ。
「――――――ごめんなさい」
「え?」
「私が、いけなかった、から……」
「どうして? チャスカのせいではないでしょう? 私が誰とも会いたくないって言ったんだから」
「でも――――」
「チャスカ?」
「?」
さらっと言い切ったエリザベスに、普段であれば「そう言うのなら」と、兄であるアスランよりもかなり楽観的(幼馴染限定)な考え方をするチャスカにしては気になる反応に、エリザベスもイザークも引っかかった。
二人が一度顔を見合わせ、改めてチャスカに視線を移しても、チャスカはうつむいたまま……。
「チャスカ、何を知っているの?」
びくんと、エリザベスの言葉にチャスカは肩を震わせた。それは、エリザベスの言葉があっているという証拠。まだ幼いチャスカにはごまかすことが出来なかったもの。
「ごめん……なさ……い」
ぼろぼろと涙を流し始めたチャスカに、エリザベスはどうすることも出来ない。ここまでチャスカが泣いたところを見たことがないからだ。
それはイザークも同じで、ただ驚いているだけだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい――――」
その後も、チャスカはただ泣いて謝るだけで、その理由を話そうとは決してしなかった。
– END –