託された真実
ギルバート・デュランダルが自身の研究室で休憩を取っていたとき、学生時代からの友人であり、現在も同じ研究者としてライバルでもありよき相談相手でもあるサナ・ミサワがやってきた。
「ギルバート」
思いつめたような彼女に、怪訝な表情を浮かべつつ、ギルバートは椅子を勧める。
「サナ、一体どうしたんだい?」
コーヒーを入れたカップを渡しながらの質問に、サナは悩むように……本当に口にしていいのかと迷っている様子を見せる。
けれど、ここまで来て言わないことはないだろうとギルバートは思った。
サナが――何事にも慎重を期す、けれど一度決めたことはやり遂げる彼女の性格をおそらくこの研究所では一番理解している自信がギルバートにはあった。それだけの付き合いが、恋人とはまったく違う信頼が二人の間にはあった。
「貴方に頼みたいことがあるの」
ようやく顔を上げたとき、サナは先ほどまでの迷いを捨てていた。瞳は強い光を放ち、戸惑いも、迷いも、その他マイナスの感情すべてを消していた。
この時の彼女の顔を、ギルバートがずっと忘れられないくらいには印象的なものだった。
「なんだい」
「あるデータを、持つにふさわしいと貴方が判断した人に渡してほしいの」
「あるデータ?」
「これよ」
差し出されたのは何の変哲もない一枚のメモリー。
けれどサナの表情から重要なデータが入っているのだろう。
それが何かまでは今のギルバートにはわからない。
「これは?」
「その前に、決めてほしいの。もしかしたらこれを預かってしまったために、貴方を危険にさらしてしまうかもしれない。最悪の場合は生命が――――――それでも私の頼みを聞いてくれる?」
受け取ろうとしたギルバートの手の届かないところにメモリーを移動させてから、サナは言う。その内容はとても物騒なものだった。
けれど……もしギルバートがNoと言えば、サナは誰を頼るのかとも思う。
少なくとも自分以上に信頼出来る人間はいないんじゃないかと、そんなことを一番に考えてしまった。
生命は――――惜しい。まだ。しかし彼女の頼みを断れもしなかった。
「かまわないよ。…………ばれないように動くことは得意だからね」
「そう、ね。貴方はそうだったわね、ギルバート」
ほっとした表情を見せ、サナは改めてメモリーをギルバートに差し出した。
「それには、最近私が依頼されたDNA解析の、結果が入っているの――――本当の、結果が」
「っ。サナ、それは……」
「偽証を、強要されたわ」
「!!!!!」
悲しいと、口では言わないけれど表情が、瞳がそう言っていた。
あまりにもショックなそれに、ギルバートは何も口にすることが出来なかった。
「偽証、と言う言葉が正確かはわからないけれど……解析の結果を、偽るように言われたわ」
「一体……誰に」
「そんなこと強制できるのは……強制するのは一人しかいないわ」
一人しかいない、その言葉に当てはまるだろう人は、本当に一人しかいない。その他の人間であれば、“一人”にはならない。
「まさか――――」
「そう、」
プラントの最高権力者。
「これにはプラントの政策に大きく関係する子供たちのDNA解析――――はっきりと言えば、婚姻統制のための解析結果が入っている」
「その結果を、“彼”はお気に召さなかった……」
「そう言うことね」
ぐっとメモリーを握りこんだギルバートに、サナは頷いた。
内心で、こんなことをギルバートに話すのは酷だとわかっていた。彼とその恋人は、第三世代が望めないために結婚が出来なかったのだから。
けれど……権力者は自分の子を、偽の結果を出させてまで他の子とのほうが子供を望める相手との結婚を推し進めようとしている。
もしこのことが知られたら――――権力を失う。それ以上ももたらすかもしれない。
それでもこれを推し進めたいと言うことは、それだけ相手が“自身のために”は魅力的なのだろう。その相手のバックボーンが。
権力一つでこうも違うのかとサナはショックだった。
長年の友人が出来ないことを、自分の欲のためにしてしまう“彼”。しかも子供たちの気持ちなど何も考えていない。
メディアで見た子供たちの顔を思い出しながら、サナは無力な自分が嫌だった。
自分が拒否できるだけの力があれば……と、そんなことさえ思っていた。
けれど、どうしようもなかった。
それでも最後の意地で、闇に葬られる真実を誰かに託したかった。
時が来て、真実を表に出せる機会が来ることを願って。
「そこには、真実の結果が入っているわ。“彼”の子と、“彼”の望む相手。――――それから、本来その相手の子と一番相性のいい子の結果が……」
「その相手の子と言うのは?」
「プラントのナンバー・ツーの、長子」
「ああ、あの子か……確かに、“彼”が望みそうな相手だ」
「ええ、バックボーンも、実力もすばらしいものがあるわ」
「しかし彼は――――」
「だから貴方に託すの。貴方ならこのデータを正しく使ってくれる人を知っているんじゃないかと思って」
そう言ったサナは、少し前にメディアで流されたプラント社交界のパーティーに映った子供たちの姿に懐かしい色を瞳に宿したギルバートのことを覚えているのだろう。
口にしたことはないが、確かにギルバートには彼女の望む伝手がある。
「わかった、すぐには出せないだろうが、いずれ表に出せる人に渡そう」
きっぱりと言い切ったギルバートに、サナはほっと肩の力を抜いた。そして「ありがとう」と、ようやくいつもの笑みを浮かべたのだった。
それから数日後、サナ・ミサワは殺された。
◇◆◇
長年の友人でありライバルであった彼女が殺される前日、ギルバートは彼女に託されたデータを、将来使うこのとの出来る人物に送っていた。
自分の手から放したあのデータの内容を、ギルバートは見ていなかった。
それは見れば少なからずショックを受けることがわかっていたからだ。そして、今後子供たちに会う機会に恵まれたとして、平然としている自信がなかった。既にあれだけの話でも、自信はない。そしてこれ以上――――あの子にふさわしいとされる相手まで知ることは出来なかった。
だからそのまま、盗難にあわないように対策を施し、偽りの相手と婚約させられる子でも、その親でも、まして本当の相手となるべき子でもない、それでも彼らに近い子に送った。
まだ“可能性”の中にいる子。けれど、その片鱗を既に見せている子に。
それでも後悔はある。
本当にあの子でよかったのかと、何度も何度も考えた。
けれど既にサナが消されてしまった以上、あれを持ち続けるのは危険だった。
もしかしたらデータが残っているかもしれないと、あちらは探すかもしれない。
あると確信すれば、どこにあるかなど……友人のそう多くない彼女があれを託せる人間など限られてくる。―――― 一番に、ギルバートの名前が挙がるだろう。
そして、あの子たちとのつながりも簡単に知られることになる。別に隠していることではないのだが、それでも危険にさらすことに変わりはない。
それでもあの子たちの立場では、そう簡単に消されることはない。いや、出来ない。それだけ厳重に守られているのだから、ギルバートが今心配すべきなのは自身の安全のみだった。
それだけなら、うまく立ち回って見せよう。そう言う思いもある。
窓辺に立ち、外に視線を向けながらギルバートは自身と彼らの境遇の違いを思う。
自分と彼女では子供が残せないからと、恋人との将来をあきらめた。
けれど“彼”は真実をゆがめてまでも娘とあの子の結婚を望み、それを成し遂げようとしている。
権力
たったそれだけの違い。
それだけの違いで望む未来をもてなかったギルバートと、望む未来を手にしようとする最高評議会議長。
しかし、それをうらやましいとは思わなかった。
ギルバートが思ったのは、あの子たちの悲しむ顔を見たくないと、それだけだった。
望まぬ結婚。
それは、あの子たちにとってどれだけの苦痛になるだろう。
婚姻統制のためとはいえ――それでも真実ではないのだが――、プラントに戻ってきて初めて会った時の、あの笑顔を思い出せば胸が痛む。
ようやく好きな時に幼馴染たちと会えるとうれしそうに話したときの表情。
けれど、あの子たちは権力者の欲に翻弄されてしまう。
特に生まれたころから知っている彼らは、ギルバートにとっても大切な子たちだ。
悲しむ姿など見たくはなかった。
けれど……権力のない自分にはどうすることも出来ないことも、十分に理解していた。
出来れば、どうにもならなくなった頃にしか、あのデータが出せない、そんなことにだけはならないように願うしかなかった。
– END –