一時の別れ
エリザベス・ライトナーは無表情で廊下を歩いていた。
いや、歩いていたと言うにはあまりにも速いスピードだったが。
そんな彼女とすれ違った者のほとんどが、そんなエリザベスを目にすると慌てて道をあける。それはエリザベスの滅多にない不機嫌をあらわにした雰囲気が主な原因だったが、そうでなくとも白服である。一般兵である緑の制服を着る者たちがほとんどの現状、ほぼ全員が道をあけたとしても不思議ではない。そのために誰もがエリザベスの不機嫌な雰囲気を出している理由を知らなかったが、疑問を問うことも出来ずにその姿を見送るしかなかった。
シュンと、軽い音を立てながら扉が開いた。
「あ、お帰り」
「――――ただいま」
声をかけてきたのはリラ・カナーバだ。
エリザベスの部下で、艦に乗艦しているときは通信とMS管制を担当している彼女は人手の足りないライトナー隊の中でも内勤時にはエリザベスの補佐をしている。
とはいえ、元々年齢差が三歳あるとはいえ幼馴染なので、その口調は上官に対するそれではなかったが。
「? ……どうかしたの?」
どさりと隊長クラスに与えられる部屋の、その執務に使う椅子に腰を降ろしたエリザベスの前に数枚の書類を置きながら、リラは首をかしげた。
一時間ほど前に出て行った時にはいつもと変わらなかった。
少なくとも直前までは穏やかな表情で、部屋を出た瞬間にその表情はなくなっていたけれど、それはいつものことだとリラは不思議には思わなかった。
そして、いつもであれば部屋に戻ってきた瞬間に、無表情からまた元に戻るのだ。
(や、確かに無表情じゃないけど)
けれど、不機嫌でもないのだ、普段であれば。
これは何かあったとしか考えられないわけで。
「何かあったの?」
そう尋ねた。
「…………」
はあ。
沈黙のあと、エリザベスは小さくため息をついた。
そして――――
「アスランが、プラントを追放されたわ」
「…………え?」
エリザベスの言葉にリラは言葉を失った。
そんなリラの反応を予想していたのか、もう一度、今度は大きくため息をつくとエリザベスは説明を始める。
「ザラ元議長の刑を、銃殺刑から自宅軟禁にする、その代わりに。元々アスランはザフトを離反していたから、アスランこそ銃殺刑なんだけど……まあ、ラクス・クラインに協力してたから、クライン派が政権をとっている今、アスランを銃殺刑になんてできるはずもないけれど」
「そりゃあ、まあ……」
「けれど、離反したことは事実だし、ザラ元議長に銃を向けていたこともザフトの軍人の何人かが覚えている。もちろんその人たちも取調べ中だけどね。でも、アスランにお咎めはなし、では今後の規律が守られない」
「……それで、追放?」
「いいえ。言ったでしょう? ザラ元議長の減刑の変わりに、って。――――――チャスカが調べたクライン派の罪を取引に使ってね」
エリザベスの声のトーンが落ちた。
そして伝えられた内容に、母がクライン派議員であるリラは息を呑む。
クライン派が罪を犯していることは理解していた。ただ、母は違うと――――母はそんなことに関わっていないと確信していた。
けれど……クライン派の罪を公表するのと引き換えに、ということは、現在臨時最高評議会議長であるリラの母と取引をしたということだ。そして取引が成立したと言うことは、リラの母もそれを公表させてもらっては困ると――関わっていた、ということだ。
けれどそんなことを考えていたリラに、エリザベスは微かに笑みを浮かべた。
「心配しなくても、アイリーン様は関わっていないわ。それはチャスカに確認したから大丈夫」
「そう……なの?」
「ええ。――――けれど、それを今公表するわけには行かないでしょう? そんなことをしてプラントが混乱してしまうと、連合からの介入が確実にあるわ」
「…………確かに」
「チャスカが今まで調べていたクライン派の犯罪を取捨選択して取引に使ったそうよ。ただ、それだけでは全てのザラ派議員の命を助けることは出来ない。私の母やイザークのお母様のこともあるしね。――まあ、母の場合はユニウス市代表と言うことで、他のザラ派の人たちよりはマシだったけれど。――――そして、足りない分はアスランの追放、を使った」
「…………」
「アスランの離反に関してはチャスカの手腕だけで解決していたようよ。だから表向き、アスランの追放は“ザフト離反”の罰、ということになっているけれど、実際はザラ元議長を助けるためのものよ」
「……それなら、追放にせずに飼い殺しにすればいいのに」
アスランをプラントから追放なんて、自分のほうから有用な人物を手放すことと同じじゃない。
「どれだけプラントに損害があると思ってるの?」
「それはチャスカの考えよ」
リラの疑問にエリザベスは首を横に振った。
「チャスカはクライン派の牛耳るプラントに、アスランをその手足となって動かすことを嫌がったのよ」
「え?」
「自分の兄を、クライン派に渡したくはなかったのよ。たとえ現在の最高評議会議長がリラのお母様だとしても、“臨時”だから――」
これが“臨時”でなければそうでもなかったんでしょうけどね。
「“臨時”では、今の情勢で何が起こるかわからない。もし議長を辞められて、その後を続いた人間がアイリーン様のような人物だという保証はどこにもないでしょう?」
「うん」
それはリラも説明されるまでもなく分かっている。
というより、臨時だろうとそうでなかろうと、政権交代など頻繁にあってもおかしくはない。
プラントでは議長は直接選挙なのだから。議員から不信任案でも出されれば、すぐにでもそれが不当であるかそうでないのかが分かる仕組みにもなっている。そして判断は市民がくだす。
シーゲル・クラインが任期満了まで議長を勤められたのはたまたまだとリラは思っている。おそらくエリザベスも。
いや、二人だけではない。
二人の幼馴染たちも、きっとそう思っている。
「だから、嫌がったのよ。アイリーン様のようなクライン派ならともかく――そんな人なんて少ないわ。いない、と言ってもいい。狂信的なクライン派が議長になる可能性が否定できない以上、チャスカの気持ちも分からなくはない」
私も嫌よ。
きっぱり言い切るエリザベスに、苦笑をしながらリラは思う。
(ああ、でも……)
「それでも、追放だから機嫌が悪かったんだ」
「…………そうよ」
ふいっと顔をそらせたエリザベス。
その理由はリラにはよく分かる。というより、幼馴染一同知っている。
「まあでも、チャスカが関わっているなら、帰ってくるんでしょう?」
「じゃなきゃ、実の兄を“追放”処分にするわけがないわ、あの子が」
「…………それはそうだ」
ここでエリザベスの気持ちを指摘するとどうなるだろうとリラは思ったが、それは止めておいた。
エリザベスもイザーク同様怒ると結構怖い。少なくともリラは。アスランやチャスカは平気な顔をしているが、他の幼馴染たちはリラと同じ反応を返している。
だからリラは、別の言葉で自身の気持ちを素直に表すことができないエリザベスの代弁をするように言った。
「それじゃあ、安心だね。――――また、みんなで集まれる日が来る」
(本当は、二人っきりで会いたいかもしれないけれど)
そこまでは口にしないリラだった。
「で?」
「何が?」
沈黙のあと、そう尋ねるように言ったリラにエリザベスは首をかしげる。
「アスランが戻ってくる間に、私たちは何をしていればいいの?」
一度追放された人間が――市民権を剥奪された人間が、そう簡単に戻ってくることなど出来ない。
さすがにそれはたった一人の力では無理だ。
もっと大きな力が、市民の支持が必要になる。
そのための協力をリラは惜しむつもりはなかったが、今の自分にはそんな力がないことも十分に理解している。
「とりあえず、力を、だそうよ」
「何でもいいの?」
「さあ? でも、出来る範囲で、でしょうね」
「不正をせずに?」
「当たり前よ」
「でもねえ……単なる通信・MS管制担当の兵士に何が出来ると思ってるの」
そう、リラは今、隊長兼艦長であるエリザベスの補佐をしているが、艦に戻れば通信・MS管制担当でしかない。副長はちゃんと存在するのだ。ただ、副長自身も忙しく、エリザベスの補佐をするまで手が回らないだけ。
「それでもできることはあるでしょう? リラ・カナーバ」
「――――――」
「それに……その能力を使おうと思えばすぐに“単なる”通信・MS管制担当だけの兵士ではなくなるわ」
「はあ……」
エリザベスの言葉にリラはため息しか出ない。
(何と言うかまあ……隠してたわけじゃないし、するつもりだったけど)
「私はそんなに上には上がれないよ。チャスカほどの情報網もないしね」
「それでも“カナーバ”は最後までクライン派だった」
「…………ああ、もう。そうだよ。でも、できる範囲なんてそんなに広くないからね」
「“今は”、ね」
「…………」
エリザベスの言葉に今度こそ言い返せず……リラは深いため息をついた。
– END –