Chapter 2-1

「…………こんなことになるんじゃないかとは思ってたけどね」
 結構早かったね。
 そんな風につぶやけば、マネージャーを支えようとして尻餅をついてしまった手塚がにらんでくる。
 その表情は、ここでそのことは言うな、と言っているのが理解できた。しかし、いずれマネージャーの耳に入ることだ。今言ったとしても――むしろ、今言ったほうが今後気をつけるんじゃないかと思う。
 何しろ男子テニス部は学内を問わず人気がある。
 それは全国区だけが理由ではない。
 所属部員にも理由がある。
 一番の理由は目の前にいる手塚だろうな……と思いつつ、視線をマネージャー……手塚のクラスメイトである遠山香奈子さんに合わせる。
「大丈夫かい?」
「…………ええ。ごめんなさい」
 最初は俺に、後半は手塚に言って遠山さんは小さく息を吐いた。
「気を付けたほうがいいよ。男テニマネージャーって言うのは、いいものじゃない」
「知ってる」
 
 ここまでだとは思わなかったけど。
 
 苦笑しながら遠山さんは落ちてきた――――突き落とされてきた階段に視線を向ける。
 そこには当然誰もいない。
 俺は遠山さんが誰かに背中を押されて落ちてくるところを目にしていただけで、顔は見ていないし、手塚も同じだろう。
「俺にとっては考えられたことだよ」
「……今までのデータ収集のおかげで?」
「いいや……」
 今までの男テニに対する女子の反応からかな。
 中学のころの経験だと言えば、遠山さんは肩をすくめた。
「私は……たとえそんな可能性があったとしても、高校生には判別がつくからそんな可能性、無いに等しいと思ってた」
 これ、一歩間違えば犯罪よ。
 その犯罪の被害者になっていたかもしれない遠山さんは平気な顔で言い切る。
 まあ、遠山さんの考えも間違ってはいないのだろうけれど……。
「想像できないからこんなことをしたんだろう?」
 俺が口を開く前に手塚が口を挟んだ。
 その表情はないが、それは手塚が何も感じていないわけじゃない。むしろこれは怒っていると、中学三年間で知った。
「…………」
 この状況の理由をズバリと言い切った手塚に遠山さんは困ったような表情をする。
 そして俺のほうを見るけれど、俺も手塚と同意見だ。
 高校生だからといって、なんでも理解し、納得しているわけじゃない。そうでないからこそ、こんな行動に移るんだ。
 結局、遠山さんはため息をつくしかなかったようだ。
 
 
 
「何をしているんだ、こんなところで」
 
 唐突に声をかけられて視線を移せば、男テニ監督で手塚や遠山さんのクラス担任の瀬良先生が階段を上ってくるところだった。
 その手には現国の教科書があるから、午後一の担当クラスへ行く途中なのだろう。
「もうすぐ授業が始まるぞ」
「ちょっと足を滑らせてしまって……」
 と、俺や手塚が“報告”する前にそんなことを遠山さんは言ってしまう。
「おい…………」
 口を挟もうとした手塚を笑顔で黙らせ――こんなことを出来るひとがいるとは思わなかった――、遠山さんはだからなんでもないと瀬良先生に言いつつ立ち上がる。
「っ……」
 けれどすぐに左足を押さえてその場にうずくまってしまった。
「遠山さん!?」
「…………捻挫だな」
 駆け寄ってきた瀬良先生が、ぼそりとつぶやくと、ため息をついた。
「遠山……つくならもう少しましな嘘をつけよ」
「…………」
「とりあえず、これ持ってろ」
「はい?」
 首をかしげる遠山さんに向かって、瀬良先生は教科書を渡す。しかし、何故そんなことをしたのかがわからない。遠山さんと同じように首を傾げる俺の目の前で、先生は遠山さんを抱え上げた。
「えええ!!!???」
 目を白黒している遠山さんを放って、先生は俺たちに視線を向ける。
「俺は遠山を保健室に連れて行くから、お前たちは教室にもどれ」
「「はい」」
「それから手塚」
「はい」
「ちょっと遅れるから、俺が行くまで自習しているように言っといてくれ。決して騒ぐなってな」
「わかりました」
 手塚の返事を聞くと、先生は頷いてから再び階段を下りていった。
「それにしても……」
「どうした?」
「瀬良先生。よく遠山さんの言ったことが嘘だってわかったね」
「ああ…………教師だからじゃないか?」
「そうかな――――」
 それだけでわかるものだろうか。遠山さんの表情は事実を知らなければ、信じてしまっていただろうと思う。
 そんな風にぶつぶつ言っていると、手塚が呆れたような声を出した。
「乾。そんなことを考える前にさっさと教室に戻ったらどうだ。授業はもうすぐ始まるぞ」
 そういいながら指した腕時計。
 確かにそれはあと数分で授業開始となる時間を示していた。
「そうだね。とりあえず今は教室に戻ろう」
「…………」
 俺の言葉に手塚はため息をつくだけついて、教室に戻っていった。
 表情から相当呆れていることがわかったが、いいじゃないかと思う。
 これが俺なのだと、中学三年間で嫌というほど知っているはずだ。

– CONTINUE –

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子