水 鏡 1

 あれから、どれだけの時が経っただろう。
 もう既に、思い出せないくらいの昔。
 たくさんのものを、失ったあの頃。

◇◆◇

 紙をめくる音を立てながら判子を押し続けるコエンマの元へ、霊界特別防衛隊の隊長――舜潤がやって来た。
「コエンマ様」
「……どうした」
 珍しくコエンマが仕事に追われているときに来た舜潤に、驚きながらも顔を上げる。
 当の舜潤はコエンマがそんなことを思っているとは思いもしないだろう。いつものように事務的に――――けれど、少し困った表情を浮かべながら用件を口にした。
「第一封印の間の、最奥の封印扉についてご相談が」
「何かあったのか?」
 舜潤の用件を知った途端、コエンマは表情をこわばらせた。舜潤の口にした『第一封印の間の、最奥の封印扉』の奥に何があるかを理解しているからだ。
 だから、理解すると同時にそこで何かあった際の対策を反射的に考え始めていた。
 コエンマの表情からそれを読み取った舜潤は、慌ててそれを止める。
「いえ、コエンマ様。緊急事態ではありません」
「…………ではなんだ」
 胡乱な表情で舜潤を見上げるコエンマ。それに、緊急事態ではないが、それでも十分に問題のことを舜潤は伝える。
「封印が幾分古くなってきています。すぐに何か起こるとは考えにくいのですが、それでも封印を新しくしたほうが良いのではないかと」
「…………十分に、重大なことだ」
 ため息をつきながら、コエンマは頭を抱えた。
 
 
 確かに『緊急』事態ではない。だが、何時そうなってもおかしくはないものではある。
 人間界と魔界の間の結界が解かれてから数百年。その間、人間と妖怪、そして霊界人もそれなりにうまくやっている。時々小さな問題は起こっているが、それぞれの関係にひびを入れるものではない。それもこれも魔界の管理者たちが日々努力をしているからだ。人間達がしたところで出来ることなど限られている。それでも人間側に被害がないのは、三年に一度の魔界トーナメントでうまい具合に人間に都合のいい妖怪が優勝し、それに賛同する幹部を指名しているからだ。
 その幹部に毎回指名される、自分のよく知る妖怪の顔を思い浮かべながら、コエンマはため息をついた。
 もし舜潤の言った場所に何かあれば、彼らの努力も水の泡になることが考えられる。
 それはなんとしてでも回避しなければならない。
 人間界はおろか――――魔界に住む者とて無事でいられる保証はないのだから。
 
 
「今一番封印の巧いものは誰だったかな……」
 腕を組んで悩むコエンマに、舜潤は思案顔で答える。
「それが、前回封印をしなおした者は既にその職を離れていまして……。現在、その者よりも封印の術に長けた者はいません」
「むう……」
 なんとなく気付いていたことだが、コエンマはそれがこの世界を守るためにはどうしようもなく必要だったことに思い当たってうんうん唸りだした。
 そんなコエンマを眺めながら、舜潤も内心でどうするべきかと頭を悩ませていた。
 今回、舜潤がコエンマに来たことからも分かるように、封印の間の管理は特防隊の仕事の一つだ。もちろんその特性上、全てを請け負っているわけではないが、責任者は特防隊の隊長――――つまり舜潤だ。この仕事の内容は封印の間全体の管理。名前が示すように封印の間はあらゆるものが封印されている場所だ――――三界全てに害をなす武器や霊界大秘宝館に展示するにはあまりにも危険な宝などが数多くある。そんな封印の間の管理は特防隊の仕事の中でも重要で。封印の術に長けた者を置くことも必要だった。
 ――――必要だったのだが、今その『封印の術に長けた者』が特防隊にはいなかった。
 霊界は――特防隊は『守』に長けた集団だ。もちろん『攻』にも優れていると思うが、どちらかと言えば『守』。そして、封印の術もその『守』にあたる部分だ。
 しかし、封印はまた特別だった。
 少なくとも、前回封印の間を任されていた者以上の技術を持った隊員は、いない。
 それが分かっていながらそのままにしていたことに、舜潤は隊長として責任を感じていた。その術に優れた隊員を任命あるいは育ててこなかった自分を責めた。
 だが、そんな舜潤も封印の術は得意ではない。むしろ舜潤は特防隊では珍しく『守』よりも『攻』に長けていた。だからこそ、特防隊の隊長をしているのだ。
 
 けれど、今はそれが役に立たないと言う結果をもたらしている。
 
「仕方ない……ひとまず、幾人かで封印を施しておくしかあるまい」
「はい。完璧ではありませんが、封印を何重にもすることでひとまず大丈夫だと思います」
 それでも近いうちに、改めて封印をしなおしたほうが良いでしょうが。
「はあ…………懸案事項が山積みだ…………」
「――申し訳ございません」
 コエンマのぼやきに、舜潤は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、後回しにしておったわしがいかんのだ……」
 とりあえず、すぐにでも再封印を特防隊で行うように舜潤に言う。
 それを受けて舜潤は部屋を辞し、封印を行う順を考えながら、特防隊の詰め所へと向かった。
 
 
 
 
 
「無茶を言うなよ」
「――――無茶か?」
「無茶だぜ」
「そうか。――――だが、現状では我々で補修するしかない」
 詰め所へと戻った舜潤は、隊員全員を目の前にしてコエンマと話し合ったことを伝えた。
 全員が、封印の間が自分達の管理領域だとは知っていたが、第一封印の間がそのようなことになっているとは知らなかった。
 そして、全員が再封印を早くしなければいけないと思った。しかし――――応急処置としてひとまず自分達がしなければいけないとは思わなかった。
「大体……」
 横から別の声が割り込んでくる。
「どうしてそんな大変なものが封印されているのかしら?」
 問われたことは、皆考えていたことだ。
「“昔の大妖怪の力”なんて――――アバウトなのも程度の問題だと思うのよね」
「ま、確かに。ご存知なのが閻魔大王様だけってのもどうかと思うぞ」
「それでも……確かにあの場所にあるものは危険だ」
 唯一、第一封印の間の扉の前まで行ったことのある舜潤は言う。
「行けば分かる。完璧でない封印の所為で、どんなものが感じられるのか――――少しのほころびが、どれだけの力を抑え切れていないのか」
 もう少し封印が弱まれば――――それほど弱くなっていると感じない程度であっても、すぐに封印された力は暴走を始める。
「怖いこと言うなよ」
「だが事実だ」
 少し怯えた様子を見せる隊員に対し、舜潤は真剣な表情を崩さずに言う。
 本気で言っているそれに、隊員たちは一瞬で気を引き締めた。
 舜潤は冗談を言ってもまじめに返してくる。けれどそれは決して冗談が通じないわけではない。ふざけていても、大丈夫なときは大丈夫だ。たまに舜潤自身も恐ろしい内容の冗談をまじめな顔をして言うのだから、それが良く分かる。
 けれど、今回ばかりはそうではなかった。
 大体第一封印の間を話し出した時にそれは分かっているはずだが……内容が内容だけに、信じたくないと思ってしまったのかもしれない。
 だから、封印の下手な自分達が行かなくても、と考えたのかもしれない。特防隊以上に封印の得意な者がいるわけがないと分かっていても。
 
「だからさっさと行くぞ。のんびりしているのは危険だ」
 
 小さなほころびに神経質になっている舜潤を不思議に思いながら、それでもその“もしも”が実際に起こっては大変だと、舜潤の後について特防隊全員で第一封印の間に向かった。
 
 
 
 
 
「ここ……か?」
「ああ」
 途中まで饒舌にしゃべっていた者でさえ、第一封印の間の前に着いたときには無言になっていた。滅多に流さない種類の汗を流している者もいる。
 それほどまでに、予想していたものとは比べ物にならないほどの妖気が漂っていた。
「隊長……」
「…………なぜ、ここまで感じるんだ」
 自分が呼ばれたと言うのに返事をせず、舜潤は呟いた。
 滅多に変わらない表情が、驚愕を表している。
「まだ……時間はあったはずだ」
 そう考えていたと舜潤は言う。
 もう少しはもつだろうと、そう予測していた。それほどまでに封印は強力だった。自分では到底敵わないほどに。それはほころびがあっても変わらなかった。そして――――現状でも、これほどの術をかけられるかどうかは分からなかった。
 舜潤は自分の力を過信してはいない。
 出来ないものは出来ないと認め、出来るように努力してきた。
 それでもまだまだ修行の余地があるのが封印の術だった。
 そんな状態だから……そして現在の特防隊印は全員が全員そんな状態だから、果たして小さなほころびをカバー出来るだろうかと思っていたほどだ。
 
 けれど
 
(ここまで解かれた封印をカバー出来るほどのものを、我々で作り出せるのか?)
 ここに来て、慎重を期していたと思っていた自分が甘かったことを舜潤は知った。
 昔の大妖怪の力と言っても、特防隊全員でかかれば……少なくとも、現在魔界の中枢を担っている妖怪たちと変わらないものだと――それでも自分達は敵わないが――考えていた。
 けれど、自分の考えがことごとく崩されていく。
 信じていたものが、覆された……あの時のように。
 けれど今は、それらを思い返している場合ではない。
 
「全員で封印を行う!」
 
「了解!!」
 ぴったりと合った息で返事をし、同時に封印の術の構えを取る。
 そして全員の、膨大な力が第一封印の間の扉に向けられた。
 しかし――――
 
 
 時既に遅し。
 
 
 術と妖気の押し合いの音が響く中――――聞こえるわけのない音が、全員の耳に響いた。
 
 カラン
 
 それは……第一封印の間へ続く扉にかかっていた鍵――封印が解けた音。
「な……に?」
 誰からともなくこぼれた言葉。けれどそれは全員の気持ちだった。
 場違いなほどに響いた音は、信じられないくらい静かな時をもたらした。そう、特防隊の使う術の音も、使っている本人達の耳に入らなかった。決して、手を止めたわけではないのに。
「……なにが」
 起こったんだ。
 そう続けたかったと考えられる言葉はしかし、音になることはなかった。
 
 
「!!!!!!!!」
 
 
 次に響いたのは、特防隊の全員が壁にぶつかる音だった。
 悲鳴は聞こえなかった。
 そんなものが口から出る前に、全員が壁に、柱に叩きつけられ、気を失っていた。
 そして……その後にはまた無音の時。けれどそれも一瞬のことだった。既に開いていた第一封印の間の扉のその奥から、巨大な、たった一匹の妖怪の力とは思えないほどの強大な力が飛び出してきた。
 それはまるでそれ自体が意思を持っているかの様に封印の間の出口へと向かい……様々な被害を霊界にもたらしながらも衰えることなく霊界を出て、どこかへと行ってしまった。
 
 
 
 その後、気付いたコエンマが駆け込んできた時、目にしたのは床に倒れた、傷だらけの……けれど息は確かにある特防隊の全員。
 
 
 そして――――――封印されていた力のなくなった第一封印の間だった。

– CONTINUE –

2020年10月25日

Posted by 五嶋藤子