Raining in the sun shine 22
洞窟の中、喜雨は幽助を見下ろしていた。
力なく倒れている幽助は気づいていない。――――喜雨にも、気づかせるつもりはない。
幻海は洞窟の外で待っている。試練が終わるその時を。これもまた過去の記憶とかぶって喜雨は苦笑する。それはきっとこの場に必要ないからと、そう断じるだろう。実際に必要ないのは誰の目にも明らか。奥義継承とはそういうものだ。
ただ、喜雨は自身の力までもまったく影響がないほどに押さえ込むことが出来るから、この場にいることを許されているだけで、これが喜雨と同じ理由を挙げても寒凪などはここにいることを見逃されることすらないだろう。
喜雨が眺めている中、どれだけの時間がたっただろうか。
痛みにどうすることも出来ない幽助のうめき声以外聞こえなかった空間に、パタパタと音が近づいてくる。
「…………霊界獣」
喜雨は声に出していったが、それは洞窟の中に響かない。
視線を幽助から霊界獣――プーに移る。
その姿はかわいらしいものだったが、薄汚れていて本体の影響を受けて弱っているのは明らかだ。
おそらく、もうあと一歩、幽助の心が弱いほうへと踏み出せば死んでしまうほどには。
それが自身でわかっているだろうに、プーは幽助の望む“水”を届け続ける。
分身だからこそわかるそれに喜雨はちいさく息を吐いた。
「さあ、どうする? 痛みを乗り越えるか……それとも霊界獣の強さに甘えて死なせてしまうか」
二者択一。
それは一度きりの―― 一度選んでしまえば取り消しの効かないものだ。
そんな選択はもう目の前に迫っていた。
◇◆◇
「何とか……というところじゃな」
その場に倒れた幽助のそばに音もなく降り立った喜雨は幻海に視線を向けて言う。
「本当に……霊界獣のおかげと言うところが――――」
「情けないか?」
「否――――まあ、多少そういうところがあったとしても、もともとひとつだった者たちじゃ。本人が乗り越えたことに変わりはない」
けれど、はらはらさせる、と口にする喜雨は楽しそうな……嬉しそうな表情。
それを目にした幻海は、疲れたようにため息をつくと喜雨にプーを差し出す。
「こいつを頼むよ」
「そなたが頼まれたことであろう?」
「……これから用がある」
「まあ、確かに試合は始まっておるが……そなたが行かぬとも、勝てるじゃろうて」
喜雨の言葉にそれはそうだが、と幻海は視線を移す。
「顔見せくらいはやっておくべきだろう? ……一応、同じチームなのだからな」
「律儀な……気にせずとも、蔵馬は気付いておる」
「蔵馬だけはな」
「別に正体を知らずとも、一緒に闘えぬわけでもあるまいに……何故そんなに行きたがる。今は力を温存せねばならぬ時だというのに」
「…………さあ、何故だろうな」
理由を話さずに幻海はプーを喜雨へ渡すとそのまま試合会場へと向かっていった。
「まったく……」
完全に幻海の姿が見えなくなると、喜雨はポツリとつぶやいた。
それと同時に手に力を込め、プーの怪我を一気に治してしまった。
一緒に体力をも戻してしまったのか、すぐにプーは目を開ける。
けれど喜雨はそれに気付いていながら気にした様子もなく、ただ幻海が行った方向へ視線を向けているのみ。
「そのようなこと、誰が望んだ?」
「…………プー」
誰に聞かせるでもなく口にした言葉は回復したプーのみが耳にする。
「試合に出ることも――この後に起こるだろう事も……そなたの側のものは誰も望んではいない」
それでも行くのか?
「昔の仲間が望んでいると言う理由で……そなたは“今”の仲間のことを考えぬのか?」
長い付き合いの喜雨には答えのわかっている問いだが、口にせずにはいられなかった。
そんなに単純なことではないことも……長く考えてのことだと言うことも。
けれども“今”を生きるからこそ、過去に残したもののためにと言う理由では、周囲は納得しないだろうと思っていた。
「それに……それを言うならば我こそが手を下さねばならぬのではないか?」
果たさなければならないものを背負っているのは何も幻海だけではない。
自身もそうだと喜雨は思う。
それこそ誰も望んではいないとわかってはいても……五十年、喜雨の中でくすぶっている。
「仕方あるまい? 人一人の命の行方を変えてしまったのだから――――」
元に戻さなければいけない。
そんな考えのまま生きてきて、それでもそれは許されない。
行方を変えることは許されたのに。
何度自身に問いかけても答えが出たためしのないそれを、喜雨はすでに問うことをやめていた。
そして再び問い直し、答えが出る前に自身のことよりも優先させなければいけない“想い”が喜雨の行動を縛る。
「………………」
ため息をつくと、手を離れたプーに視線を移す。
そのプーは心配そうに幽助を見ていたが、
「霊界獣」
そう呼んで自身に注意を向けさせる。
「…………プー!」
「――――プーか」
「プ」
しかしそう呼ばれることが嫌なのかひときわ大きな鳴き声を出すプーに、喜雨は目を丸くし、その“名前”を呼びなおせばそうだと言う風に偉そうな表情をしたプーに表情を緩める。
「では、プー。そなたは一時我とともにおれ。その者は放っておいても心配はない」
「……プー」
それよりもそなたが意識のないものと一緒におるほうが危険だと続ける喜雨に納得したのか、小さくうなづいてプーは喜雨の腕の中に戻った。
そうして喜雨は意識のないままの幽助をその場において歩き出した。
向かったのは幻海が去った方向と同じだった。
◇◆◇
『オレの望みは妖怪に転生すること』
その言葉が会場中に響いた。
優勝者の望みの内容に誰もが驚き――そして仲間は皆止めた。
その光景を目にしながら、喜雨は己の手を血が滲むほどに握り締めていた。
優勝者――戸愚呂が望むものを与えられるのが自身しかいないことを知っているからだ。
そして、暗黒武術会の優勝者の望みは霊界でも止めることは出来ない。
暗黒武術会が、人間界での妖怪の犯罪件数を減らしているから――――というのがその理由だ。
実際に“そう”なのだから、喜雨自身とてそれを否定し、手を出すように霊界に――閻魔に言うことはない。言ったとしても閻魔も聞きはしないだろう。
いくら喜雨が力があるとはいえ、喜雨は妖怪だ。魔界生まれの。
人間界のことに口を出すことは許されない。
それに暗黒武術会は主に妖怪同士の殺し合いだ。
ゲストとして呼ばれるのは人間だが――――力のある者たちばかり。元々妖怪に狙われやすい立場にいるものばかりなのだから、戦っている場所が違うだけ。
だから霊界は暗黒武術会に関知しない。
喜雨も――――暗黒武術会で決められたことに異議を唱えることが出来ない。
自身が人間を妖怪へと転生させることを拒否できない。
喜雨は今まで多くの弟子を取ってきた。
今は小休止中、と言っているが実際には後数年もすれば弟子を取ることになるだろう。
それを拒否することはない。
拒否したことも実際には数えるくらいしかない。
それでも弟子としたヒトに対し、人間の弟子を持つ人間の師――――戸愚呂の気持ちは理解できる……はずだった。
けれどここに来てわからなくなっていた。
なぜ、弟子を殺した妖怪と同じ妖怪になりたいなどと言うのだろう。
妖怪すべてを恨んでも仕方がないと……あの時に思ったと言うのに。
そんな自身の考えに没頭していた喜雨は、感じた鋭い視線に顔を上げる。
『あんたなら出来るだろう? ……妖狐喜雨』
「戸愚呂…………」
『妖狐喜雨、闘技場下までお越しください』
「っ…………」
今大会で何度か聞いた女性の声に、本部も喜雨の能力のことを把握しているのだと理解した。
たとえ把握してなくとも、すぐに知られることになっただろうが。
どうしようもない想いを抱えたまま、喜雨はゲストたちのいる場所まで降りていった。
「喜雨……」
「どうして……」
「暗黒武術会の優勝者ならば……仕方あるまい。それがここでののルール。誰にも変えることは出来ぬ……そう、我にも拒否できぬ」
「しかし――」
「幻海」
「何?」
この場にいる人間の中で、一番付き合いが長いのは幻海だ。
彼女が物心つく前からの付き合いと言って良い……そして、少しは幻海の考えていることもわかっていると思っている。
「――――すまぬな」
「な、にを……別に、喜雨が謝る必要は――――」
「それでも、じゃ」
そう言うと喜雨は顔をまっすぐにあげ、そして戸愚呂と本部の人間がいる場へと向かう。
「成功する確率と、失敗する確率は半々。加えて、修行時とは比べ物にならない程の苦痛を伴う――それでも妖怪になることを望むか?」
「ああ」
「一度妖怪となれば二度と人間には戻れぬ。それでも――――」
「妖怪に転生する。それを覆す気はない」
「――――そうか」
喜雨とて自身の言葉で戸愚呂の気を変えることが出来るなどと思っていたわけではない。
ただ、事実は伝えなければ気がすまなかった。それだけだったが、それがいわゆる“悪あがき”だと取られても仕方がないなと、本部の人間の表情を見て思った。
けれどもう何も言うまい。
いや、何も言えない。
そう実感した喜雨は、小さくため息をついて己の力を解放した。
!!!!!!!!
周囲が驚いているのが喜雨には感じられたが、だからなんだ、とそんな他人事のように思う。
そう、他人事だ。
たとえここで解放した喜雨の力で誰が――妖怪や人間が死のうとも、己が意思でここに来ているのだから喜雨の知ったことではない。
ようやく“死”の可能性に気付いた幾人かが逃げるように動き出すも、大半が自分たちの目の前に生死の選択が迫られていることに気付いていない。
普段であれば、ここで何人が生き残るだろうかと考えるところだが、本来の姿をさらし、感情すら“妖怪”のそれに戻った喜雨には頭に浮かぶこともなかった。
ここにいるものたちの中で、この姿を見たことがあるのは今は会場のどこかで冷めた目でこの光景を眺めているだろう寒凪だけだ。
それ以外にこの姿をさらしたこともなければ、さらす気すらなかった。
そんな必要すらないと思っていたから、本当にこの姿になるのは久しぶりだ。
白い髪に真っ赤な瞳。
妖狐族はおろか、自然界にすら珍しいその色を喜雨は持っていた。
その姿が力を持つものの証と言うように……魔界で喜雨と同じ色を持つ妖怪に今まで会ったことがなかった。
――――そもそも、妖狐族の色ですら珍しいものであったが。
そんな喜雨の姿を一番近くで目にした戸愚呂は、初めて見る喜雨のその姿に息を呑んでいる。
けれど喜雨にはそれを気にしてやる必要性も感じない。
そうして先ほどまでとは明らかに違う声で戸愚呂に伝える。
ならば全力を持って、妖怪になりなさい。
言い終わると同時に喜雨は戸愚呂を自身が生み出した空間へと引きずり込む。
一瞬にして現れた暗黒の空間に、戸愚呂は逆らうことはなかった。
そうして労することなくすべきことの終わった喜雨は、その姿のままリングを降りようとする――が。
「ま、待て! 戸愚呂は――――」
護衛の妖怪を犠牲にして生き残っていた本部の人間が叫ぶ。
「今、妖怪になるための試練を受けに行ったわ――――その試練を越えればはれて妖怪になれる……越えられなければ死あるのみ」
「それでは約束が違う!!」
「約束など、私はしていないわ。それに、簡単に妖怪になれると思わないで。そんなこと、私ですら出来ないわ。妖怪になる――人間よりも長い時を生きると言うことは、それだけの苦痛が必要だと言うことよ」
お金を積めば出来るとも思わないでほしいわね。
「妖怪になれるかどうかは結局は本人次第。私はきっかけを……妖怪になる場を与えたに過ぎない。それに、戸愚呂がそれを乗り越えれば、勝手にここへ戻ってくるわ。そこに私の意志は一切関係ない」
言い切ると、喜雨の力から自分たちを守るように動いていた幻海たちの横を通り抜け、喜雨は力を開放することで見つけていた寒凪のそばへと一息で向かった。
– CONTINUE –