てのなるほうへ 3

 ぐしゃり、と音を立てながら俺に向かってきた妖怪が潰れた。
「弱いな」
 思わず口に出してしまう。
 それ程、最初に倒すことになった妖怪は弱かった。
 なめられたものだと思う。
 相手は人間だから、この程度の妖怪でも大丈夫だと――――そう思われたのだろうか。
「と言うことは、喜雨のことは知らないんだな」
 そうとしか考えられない。
 俺とあの三人との関係を考えれば……一番に考えられることだ。

 ――――俺に霊力の扱い方を教えたのは喜雨だと言うことを。

 知っていたらこんな弱い妖怪を送って来はしない。
 あの三人の中で一番教えることが上手いのは喜雨だ。
 しかも、ここに俺がいる理由も喜雨。
 それすらも分からずにここに妖怪を放ったのなら、その情報網の偏りに呆れざるを得ない。
「これで強い奴が来たら来たで困ったことになるが……」
 それは心配ないだろうと俊哉は言っていた。
 力のある妖怪は人間界に入ってこれない、と。
 力のあるものが入り込めば、霊界が黙ってはいないとも聞いた。
 それなら大丈夫だろうと思う。
 今俺がすべきことは、望結たちを守ることだ。

「桜木……?」

「っ……」
 結界を解いた直後、名前を呼ばれて目を見張る。
 声のした方を慌てて振り向けば、そこにはクラスメイトの渡辺が立っていた。
「な、なんだったんだ……今の変なのは」
「…………見えたのか?」
 渡辺の言葉に衝撃を受ける。
 渡辺は“変なもの”が見えたと今言った。
 結界を張っていたにもかかわらず、“見えた”。
「あ、何言ってんだ? 当たり前じゃないか」
「…………」
 俺の張る結界は、喜雨のお墨付きだ。
 人間が見えるはずもない。
 それなのに渡辺は見えた。
 それが意味することは――――――。
「一体何なんだよ、あれ。しかもお前……」
「何故渡辺がここにいるんだ? 家は市内だったろう?」
「ここも市内だよ。……まあ、俺んちは学校の近くだけどな。この先に祖父さんちがあるんだよ」
 週末に顔を出すことになっていると言う渡辺に納得する。ちなみに今日は金曜で、明日は第二土曜日で学校は休みだ。
 納得すると同時にこの場を誤魔化せるものを探さなければいけなくなる。
 けれどそんなものはどこにもなく、渡辺は詰め寄ってきた。
「で、あれはなんだったんだ? それに、お前も何してたんだ?」
 ……見た目がいいわけでもない妖怪を見ているはずなのに、この反応はどういうことだろう。
 場違いなことを思いながら、それでもどうしようかと悩む。
 そう言えば、見られたことに対して自分がまずいと思っていないことが不思議だ。
 俊哉のような記憶の操作など俺には出来ないのに。



「とりあえず、離れろ」
 周囲に誰もいないとは言え、ついこの間衣替えしたばかりの季節。しかもここは故郷に比べて南に位置している。
 ――――――つまり、年間平均気温は高いのだ。
 そうでなくとも俺は暑がりだ。ここまで近付かれて汗が出ないはずがない。
「相変わらず暑がりだなあ……」
「うるさい」
 俺がそういう理由をよく知っている渡辺――渡辺だけでなく、他のクラスメイトも知っている――は、苦笑しながら言う。
 けれどすぐに呆れた表情を引っ込めると、誤魔化されないぞと睨んでくる。
「で、答えろよ」
「ここでか?」
「当然」
「もうすぐ大雨が降るのに?」
「はあ?」
 俺の言葉に渡辺はぽかんとした表情を浮かべる。
(ああ……まずいな)
 失言だった。
 普段なら、望生たちの前でしか言えないことを口にしていた。
「雨なんて降るわけ……」

 ない。

 そう言おうとした渡辺の口が動きを止める。
 ぽたぽたと、空から滴が落ちてきたからだ。



「何でこんなすぐに大雨になるんだよ!!」
「だから言っただろう!! 大雨が降るって!!」
 すぐに大きな音をたてて降り出した雨に、ばたばたと自転車にまたがりながらも言い合う。
 俺も渡辺も、自転車は倒れた状態だったのだ。
「桜木! お前んちどこだ!?」
「……来るつもりか」
「だって祖父さんちこっから三十分かかるんだぜ!」
「……居候だから無理だ」
「そこを何とか!!」
「だから無理だと――――――」

「涼哉君!!」

「…………利明さん」
「誰?」
「居候先の家主」
「は?」
 雨の中、止まってしまった渡辺を放って、利明さんの乗る車に近付く。
 すると、利明さんは雨の中車を降りて、その後ろに回った。
「急に雨が降ってきたからねぇ。道違ってなくてよかったよ」
 そう言いながら車の後ろを開け、俺の自転車をさっさと乗せる。
「…………」
「そうだ、君の家はどこ?」
 そう言ってぽかんとしたまま立ち尽くす渡辺に声をかける。
「送っていこうか?」
「え、でも……」
「もう一台くらいなら自転車は乗せられるよ」
「…………」
「利明さん、こいつの目的地はここから自転車で三十分くらいかかるそうですよ」
「ああ、そうなの。それならうちで雨宿りしていけばいい」
 利明さんの話に乗ろうとして来た渡辺に呆れながら利明さんに一応渡辺がどこに行く予定だったのか伝えてみる。
 すると案の定、俺の考えたとおりのことを言う。
 俺と話しているから安全だと考えたんだろうけれど……それにしても、自分が何故ここにいるのかを考えて欲しい。
 いや、だからこそ俺を基準にするのは間違っていないのだが――――。
「いいんですか?」
 一応聞くことはするようだ。
 そんな渡辺に笑顔を見せながら、利明さんは言う。
「大丈夫だよ」
 そう言えば、喜雨は利明さんのこう言うところは気をつけろと言ってなかっただろうか?

– CONTINUE –

Posted by 五嶋藤子