一輪の花
「へえ……」
暗黒武術会。
試合を見下ろしながら呟いた男はにやりと笑った。
その視線の先には浦飯チームの蔵馬。
――――――ちょうど、魔性使いチームの凍矢との試合を終えたところだった。
「…………ぇ」
「蔵馬、どうかしたか?」
幽助に支えられ会場を後にした蔵馬はふと足を止めた。
それにつられて足を止めることになった幽助は、心配そうに蔵馬を覗き込んだ。いくら蔵馬が妖怪とはいえ、女で、しかも一時は一人では立っていられないほどの怪我を負っているのだ。もしかしたらどこかの傷が開いたのか。そんな不安がよぎって聞いたのだけれど……。
「いや、なんでもない」
微かに首を振り、否定する。それでも何か言い募ろうとした幽助を遮って、蔵馬はある方向を示す。
「それより……彼女と話をしなくても言いのかい?」
そう言った蔵馬の視線の先には螢子。
それにようやく気付いた幽助は、少し蔵馬のことを心配しながらも蔵馬本人が行くように促すと振り返らずに螢子の後を追って行った。
その姿が完全に消え……他のメンバーもそれぞれにどこかへ行ってしまい、この場には蔵馬しかいなくなった。
そこでようやく今まで取り繕ってきた表情を崩す。
明らかに辛そうな表情で傷に手を当てながらため息をついた蔵馬の側に、ひとつの気配が落ちた。
「お前ほんと、無茶ばっかりするんだな」
「…………慈雨」
驚きもせず、背後に立った男の名前を呼ぶ蔵馬。既にこうなることを予測していたようだった。それに喉の奥で笑いながら答えつつ、男――――慈雨は蔵馬に手を差し出す。それに導かれるように倒れこんだ蔵馬は、そのまま抱え上げられ移動させられていた。
誰もいない静かな森の中、二人は無言でいる。
慈雨は途惑うことなく蔵馬の手当てを行い、蔵馬はされるがまま。静かな時が流れていた。
しかしそれほど長い時間が経ったわけではない。
「終わったぞ」
「…………ありがとう」
「動きづらいところはないよな」
「うん」
短い会話。けれどそれで二人には十分だった。
「……慈雨」
「うん?」
「どうやって人間界(ここ)へ? 人間界と魔界の間には結界があるはずでしょう?」
「ああ。簡単に……ちょっと細工をして……」
そうすれば、霊界に気付かれずにこっちに来れる。
「…………慈雨らしいね」
その内容に驚きながらも、それがあまりにも目の前にいる『慈雨らしい』ことで蔵馬は苦笑した。自分には出来ないことだけれど……それが羨ましいとは思わない。これは慈雨にしか出来ないこと。蔵馬には決して出来ないことだ。
ふっと力を抜いて、蔵馬は慈雨に寄りかかる。そんな蔵馬を引き寄せる慈雨。
「他に聞きたいことは?」
「……どうして…………人間界に来たの」
本来であれば、それが一番最初に出てくる疑問だろう。
人間嫌い、とまでは言わないが、それに近いものがある慈雨。そんな慈雨が何も好き好んでここまで来るはずがない。何かあると、考えるのが普通だと蔵馬は考えた。
そしてそれは当たっていたようで。
「ちょっと野暮用。――――――ジジイ共が仕事押し付けたんだよ」
さっきまでの機嫌のよさはどこへやら、ぶすっと不機嫌な表情になった慈雨に蔵馬はあっけにとられた。しかしすぐに笑みがこぼれる。
「何笑ってんだよ」
「いや…………長老達も慈雨も相変わらずなんだと思って」
「……ジジイ共が変わるわけねえだろ。何千年も変わらず生きてるんだからな」
「そう……だね……」
笑いが止まらない蔵馬。
それは慈雨の態度にも笑う要素があるのだが、果たして本人は気付いているのだろうか。
「それじゃあ、まだ慈雨はここにいるの?」
「そのつもりだ。……とりあえず、この馬鹿な武術会が終わるまでは蔵馬の側にいる」
「……人間が側にいるよ?」
「気付かれるわけねえだろ、あいつらに」
「そうじゃなくて、いいの? 人間苦手でしょ?」
「……別に、苦手なわけじゃないさ。あんまり関わりあいたいとも思わないけどな」
「ふーん…………それなら、いいんだけど」
「蔵馬は気にしなくていい。とりあえず、今は試合のこと考えておけよ。…………今の妖気じゃ、楽じゃねえだろ、試合」
慈雨はそういいながら、蔵馬を抱きしめる。
それに苦笑しながらも、その通りなので反論も出来ない。
「うん」
「何かあったら呼べよ、呼ばれたらすぐに来れる距離にはいるから」
「…………分かった」
コクリと、頷いた蔵馬の腕を軽く叩きながら、慈雨は蔵馬を促す。
「さあ、そろそろ次の試合が始まる。……一応見ていたほうがいいんじゃないか」
「そうだね」
慈雨の言葉に残念そうな表情を浮かべて蔵馬は慈雨から離れた。
それをみとめた慈雨は苦笑しながら蔵馬の耳元で囁く。
「大丈夫……たとえ人間に憑依しても、蔵馬は蔵馬だ。俺の気持ちは変わらない」
「慈雨!!」
その声に真っ赤になった蔵馬は慌てて振り返るが、既にそこに慈雨の姿はなかった。
「…………」
黙り込んだ蔵馬。しかしその表情に先ほどまでの表情はなかった。
「はあ……」
ため息をひとつつくと、蔵馬は気を引き締めながら会場へと向かった。
その姿を見ながら木の上で慈雨は笑っていた。
今の反応で、蔵馬の気持ちも変わっていないことを確認できた。それが分かっただけでもここに来た甲斐はあった、と。
– END –
お題配布元:鷹見印御題配布所