31. 異種

 パチン パチン

 そんな音がほぼ一定の間隔でなっている。
 天井の高いその部屋は意外にも音が響くもので、それほど力を入れていないにもかかわらず、大きな音を出している。
 その音源である二人――少々語弊があるが――は、ただ黙々と将棋盤を見下ろしていた。

 お互いに目を向けることもなく。

 ただ、相手の出す手を見ているだけだった。



 一見すれば、大男と平安時代の貴族の娘のような格好をした女という取り合わせは奇異だろう。
 しかし二人はそう思ったことはないし、この二人の関係を知っているものも、そうは思わなかっただろう。
 それよりも、この二人がどんな立場にいるものなのか知っているものならば、恐ろしさを感じたかもしれない。
 それに、この二人が会うことすら嫌うものもいるだろう。二人はまったく気にしていなかったが。そして、その理由はそれぞれ違ったが――――。



 パチン



「…………」
「王手」
 ――我の勝ちじゃな。
 そう言って顔を上げた喜雨に目をやった閻魔大王はあまり表情は変わっていなかったが、どことなく悔しそうだった。それを見た喜雨は微笑を浮かべる。それは勝ち誇った笑みで、さらに閻魔は悔しそうな雰囲気を出す。
「まだ、我には勝てぬようじゃな」
「他には負けていない」
「そうじゃろうな。じゃが、我に勝てぬではそれも意味がないのじゃろう?」
「ああ……」
 くすくすと声を上げて笑う喜雨に、閻魔はため息をつきながら答えた。
 そんな閻魔に対し、一時の間喜雨は笑っていたが、ふっと小さく息をついた。
 そして表情を先ほどまでとは違う、真剣な物に変えて言う。
「それで、このような時期に我を呼び出して何の用じゃ」
 ただ、将棋を指す相手が欲しかっただけではなかろう?
 探るような喜雨の言葉に、閻魔は少しの間、沈黙した。
「別に正しいことであれば我は何もせぬ。言うのじゃ」
「――――――その言葉、本当だろうな?」
 喜雨の言葉に、確認を取る閻魔をおかしいと思いはしたが、喜雨は言ったことを取りやめるつもりはなかった。
「もちろんじゃ」
 そうきっぱりと言った喜雨に対し、少し安心してた閻魔は喜雨が考えてもいなかったことを口にした。




「今回、妖狐蔵馬討伐の命を特防隊に出すことになった」




「――――――その理由は?」




 閻魔の言葉を聞いた瞬間、喜雨は閻魔に手をかけようとした。しかしすぐに思いとどまる。そんなことをして、困るのは喜雨の方だからだ。もちろん閻魔の命はない。が、喜雨とて無事で済むはずがない。何より今そんなことをすれば、守りたいものの命が何より一番危なくなってしまう。
 そう、これも一瞬の間に悟り、喜雨はそんなことを考えていたことすら周囲が分からないような対応を取った。
 そんな喜雨の態度に、内心閻魔は安心して言葉を続ける。


「奴は人間界に手を出そうと躍起になっている。それを放っておくことは出来ん」

 実際、何度危うい状況になったか。それを考えれば遅いくらいだ。


 そうきっぱりと言う閻魔を喜雨はまっすぐ見上げていた。その表情に変化はなく、考えが読めない。それに焦るが、一方で喜雨の考えを今まで読めたためしがないことも閻魔は思い出す。
 それからどちらも口を開くことはなく、一体どれだけの時が流れただろうか。
 ふっと、閻魔を見上げていた喜雨がため息をついた。
 それに緊張した閻魔だったが、次の喜雨の言葉には驚いた。


「それならば仕方あるまい」


「……良いのか?」
 喜雨の言葉をゆっくりと理解し、閻魔は尋ねる。それに面白そうな色を目に浮かべ、喜雨は言った。
「おかしなことを聞く。そなたたちは我がなんと言おうとそのつもりだったのじゃろう? なぜ、そこで驚かねばならぬ」
 何を当たり前のことを、と言う喜雨に、閻魔は疑いの目を向ける。
 しかしそれはもっともなことだ。
 なにせ、喜雨の正体は妖狐族。狐が長い年月をかけて霊力を得、その後妖力までをも獲得した者――妖狐が子をなし、他の種族の血が入ることなく続いてきた一族。狐の性質を色濃く受け継いできた者たち。
 今閻魔の目の前にいる喜雨はその中でも特に『狐らしい』と言われる妖怪。
 それもそのはずで、彼女は妖狐族の中で最も濃く初代妖狐の血を受け継いでいると言われている。真実は喜雨自身しか知らないが――――。
 狐は自身の子でない子も同じように愛情を傾け、育てると言う。それほど、同族意識は強い。


 ――――そして喜雨自身がそうであることを、閻魔は知っていた。


「仲間を、見捨てるのか」
 信じられないものを見たような目で問う閻魔に、喜雨はうっすら笑みを浮かべた。
「否。そのようなことがあるはずなかろう……。じゃが、人間に危害が加わると霊界が判断するのであれば、文句は言わぬ」
 そう言った喜雨の表情は、嘘をいているようではなかった。
 それだけで安心できるものではなかったが、喜雨の現在の状況を考えれば、嘘と判断する理由がなかった。もちろん、現状が改善されればどうなるか分からなかったが、そんな状況にはならないだろうと閻魔は判断した。
「そうか――――――」


 それならば、すぐにでも命令をだす。


 安心し、そう言い切った閻魔に喜雨はただうっすら笑みを浮かべるだけだった。
 立ち上がって部屋を出て行く閻魔に続き、喜雨もその場を後にする。
 そしてそれから二人は言葉を交わすことなく、別れる。










 そのため、閻魔はその後の喜雨の言葉を知ることはなかった。





「それに、蔵馬がそう簡単にそなたたちの手に落ちるはずがなかろう……我が直接その技を教えたのじゃ。――――――もしもの時にも対応できるように」



 それから背後を振り返り、審判の門を見て言う。



「我は、そなたたちが蔵馬に手を出すことに文句は言わぬ。……じゃが、我が手を出さぬとは一言も言ってはおらぬからな」

– END –

Posted by 五嶋藤子