44. カレンダー

「ちっ……なんであんな奴に……」
 呟いた慈雨は、追っ手がこちらへ来ていないことを確認すると、木に寄りかかっている寒凪に視線を移した。寒凪は慈雨よりもひどい傷を負っている。
「大丈夫か、寒凪……」
 とても大丈夫そうには見えないが、未だ追っ手が自分達を狙っているこの状況で、寒凪には動いてもらわなければいけない。慈雨自身、寒凪を支えて逃げられないくらいに傷を負っている。ただ、寒凪に比べればマシというだけだ。
「ああ――――」
 息も絶え絶えながら、それでもはっきりと返す。そして寒凪は木を支えにしながらも立ち上がった。
「この近くに    幻海の家があったな」
「ああ……けど、大丈夫か? 追っ手は特防隊だぞ」
「おそらく――――」
 寒凪は言葉を止めた。息はもうずいぶん前から上がっている。もう少し走らなければいけない中で、これ以上しゃべらせるのは体力的に無理だと判断し、慈雨はそれ以上の言葉を求めずに寒凪を促す。
「行こう」
 行けば、何とかなる。そんな気がしながら慈雨たちは森の中を再び走り出した。

「何で……こんなことに……」

◇◆◇

 その日、幼馴染の里美と雪子はそれぞれの夫と共に知り合いの家へと向かっていた。目的は――妊娠の報告だ。それぞれに妊娠期間は異なるものの、生まれてくる子供達は同学年になる。そのあたりのこともしっかりと語ろうと二人で計画していた。
「早く生まれてこないかな……」
「あら、雪子。もうお腹に入れておくのは嫌になった?」
 隣に座る親友の呟きに、からかうように里美は声をかけた。雪子はそれに対して拗ねたような表情をする。
「違うわ。早く顔が見たいだけ」
「分かってるわよ」
 くすくす笑いながら言う里美に、さらに雪子は拗ねた。
「里美は余裕ね……」
「当たり前じゃない。――二人目だもの」
 そう言った里美は、隣で外の景色を見ている息子を見る。
「憲人(けんと)君は今三つよね?」
「そう。ワンパク盛りよ。これでもうひとり増えたらどうなることやら」
「でも、憲人君なら良いお兄ちゃんになりそう」
「そうね。……それに引き換え雪子の場合は初めてなのに三つ子だしね」
「大丈夫かしら……」
「大丈夫でしょうよ。子育てのプロがいるんだし。手が足りなければ喜んで手伝ってくれそうな人も沢山いるじゃない――――一部、“人”じゃないけど」
「……それもそうね」
 同時に喜んで手伝ってくれる、けれど人じゃない人を思い浮かべて二人は顔を見合わせて笑った。
 そんな二人を、運転席と助手席に座る二人の夫は、笑みを浮かべながら見守っていた。

 ――――目的地までは、あと少し。

◇◆◇

「ああ、こんなところにいたのか。…………無様だな」
 傷だらけの、普段を思えば考えられない姿だ。また、妖狐族は美しく強い。それに比べれば無様としか言えないと、慈雨たちに追いついた特防隊は言った。
 けれど、そんなことに気を取られる余裕は今の二人にはなかった。目の前の特防隊の目的ははっきりしている。自分達の抹殺だ。けれど何故だと思う。少し前に閻魔が喜雨に「妖狐蔵馬に対する抹殺指令を出す」と伝えたと言うのは聞いた。それに対し、これから対策を立てようとしていたところだったのだ。
(俺たちが……何をしたって言うんだ)
 何もしていない。慈雨たちは人間に、人間界に害をなしてはいない。むしろ、他の妖怪から一部でしかないが、人間を守っている。それなのに――――と慈雨は思った。
「何の目的があって……俺たちを狙う」
 それが分からなければ、反撃もしにくい。どんな理由であれ、霊界人を傷つけると言うことは、霊界を敵に回すことになる。そうなってしまえば人間界にいることが出来なくなり、蔵馬を探し出せなくなる。――――つまり、永遠に会えなくなる可能性が高くなるのだ。
(それは絶対に……避けたいぞ)
 そんな想いで問うた慈雨は追っ手を見るが、問われたほうは鼻で笑った。
「何を今更。お前達を殺すためだ……妖怪であるお前達をな」
「人間を襲ったことはないぞ」
 喜雨と言う存在がいるために、考えたこともなかった答えに追っ手をにらみつける。
「そんなことは関係ない。妖怪と言う存在自体が悪だ」
 きっぱりと言い切った追っ手は、これ以上言うことはないと、二人にとどめを刺すべく手のひらに力を集め始めた。
「くっ……寒凪!!」
 自分よりよほど重傷な寒凪をそれでも促し、最後の力を振り絞って走り出した――――もうすぐ幻海邸だ。そこへ行けば、喜雨とも連絡がつけやすい。既に反撃するどころか喜雨と精神感応(テレパシー)で話をする力もない。
 寒凪自身もそのことは十分に分かっていた。そして――――自分の命が限界に来ているということも。もう既に、妖狐の持つ自己再生能力だけでは追いつかないほどの傷を負っている。このまま放っておけば、それほど時間を待たずに霊界に行けるだろう。
(だが、ここで死ぬわけにはいかない)
 蔵馬にもう一度会うまでは。そして――喜雨を悲しませないために。寒凪はそんな思いを抱きながら慈雨の後について走った。
 しかし、追っ手が二人を見逃してくれるはずもない。
 力を集めきった追っ手は、二人に向けてそれを放った。
「……くそっ!」
「――――――」
 それぞれの反応を見せながらも、間一髪で攻撃をよける。そのままそれは木々をなぎ倒しながら二人から離れていく。けれど、それを確認せずに慈雨たちはそのまま走った。もう目と鼻の先に近付いていた幻海邸を目指して。
「逃がすか!!」
 攻撃をはずしてしまったことに舌打ちをしながら、特防隊は二人の後を追おうとした。しかし――――

 ガン!

「な、なんだ!?」
 急に大きな音が、かわされた自身の力が向かった先から聞こえてきた。追っ手がそちらへ視線を向けると……そこには横転した乗用車が――――。
「なっ……」
 血の気が引くのが分かった。
 特防隊は――――いや、霊界人は人間を傷つけることが出来ない。ターゲットがその人間でない限り。そしてそんなことはないと言っていいだろう。

 しかし、自分は何をした?

 そんなことを考えた。
 車の中には数人の人間が乗っているのが確認出来る。……生きていると言うことも。それでも安心感はない。“攻撃をする”こと自体が既に規律違反だ。生きているか死んでいるか、そんなもの何の基準にもなりはしない。
 特防隊は、慈雨たちを追っていたことをすっかり忘れ、目の前の光景が、自分の所業がもたらすことに意識を奪われていた。幸いにも、特防隊の攻撃を受けたにしては車は原形を保っていた。けれど、それは何の慰めにもならない。
 そして……車内から人が出てくるのを目にした瞬間、特防隊は慌ててその場を逃げるように離れた。

 助けることもしないまま――――

◇◆◇

 ようやく横倒しになった車内からまず這い出したのは助手席に乗っていた雪子の夫――悟(さとる)だった。
 続いて里美の夫――政人(まさと)。
 二人はようやく車の状態を車外から確認し、慌てて妻や息子を助けるべく、政人が再び車内へと入り、外から悟が手助けをする。
 幸い、二人の家族共にシートベルトをつける習慣があった。また、それほどお腹が大きくなってはいなかったのでシートベルトを着けても苦しいと言うことはなかったため、妊婦である里美も雪子もちゃんとしていた。憲人は年齢的にチャイルドシートに座っている。――――けれど、ここまでの被害でどれだけ無事だろう。何より妊婦が二人もいるのだ。
 さらに悟も政人も、もしもの場面でどんな対応を取ればいいのか知らなかった。
 これが里美や雪子であれば違っただろう。
 彼女達は幼い頃からもしもの時のためにあらゆることを教え込まれていた。
 身を守ることはもちろん、怪我の手当の方法まで。
 けれど彼女達と出会った時、ほぼ成人に近かった政人と悟にはそんなことは出来なかった。
 結婚する際、多少のことは教わっていたものの、この場をどうにか出来るほどではない。
 ようやく三人を助け出すも、里美と雪子はぐったりとしている。
 幸いにも憲人はかすり傷を負っているが、そのほかに心配するところはなさそうだ。
 残るはそれぞれの妻だ。
 車の状況と現在五人がいる位置。さらに今から行こうとしていたところにいる人物を考えれば、二人の中に選択肢は一つしかない。
「行こう」
「ああ」
 どちらからともなく頷きあい、自分のするべきことを悟っている憲人とともに二人はそれぞれの妻を抱え、走り出した。

◇◆◇

「どうしたんだい!!」
 ただならぬ気配を感じて縁側に出て来た幻海が見たのは、全身血まみれの二匹の妖怪――――慈雨と寒凪。
 幻海は二人のこんな姿を見たことがない。それ程酷い状況に、寒凪は既に荒い息を吐くだけで幻海を見ることが出来ないでいる。
「……抜かっ……た」
 慈雨の言葉も途切れ途切れで、相当なダメージを受けていることが分かる。
 そんな二人の様子に眉を寄せながら、幻海は手当てをしようと近付く。
 しかし――――――

「……む…りか?」
「ああ……」

 あまりの傷の深さに幻海ですら手の施しようがないと言う。
 けれどそれに幻海は厳しい表情をする。今までにもこれ以上の怪我を治したことはある。それに比べれば二人の傷を治療できないわけがない。それなのに何故、気を当てても治らないのか――――。
「ち……あいつ……きの、なかに……混ぜ込んでやがった、か」
 慈雨の言葉から推測するに、二人を攻撃した者は幻海のような治療が効かない何かを攻撃の中に潜ませていたのだろう。
 そんなことが出来るのは――――と考え、幻海は更に表情を厳しくする。

 出来るものなど、少なくともどこに所属するものかは考えるまでもない。

 けれど、と思うのもまた事実。
 人間に害のない二人――考え方は別として、行動におこさなければいいのだ――。
 更に言えばこの二人に枷をはめた人物のことを、閻魔大王は信用している。
 そんな彼女を裏切れば、どんなことが起こるのか――――わかっているはずだ。
 そんな愚行を閻魔が犯すはずがない。
 それならば、この二人の状況は閻魔の知らないところで起こったのだろうと推測できる。
 確信はないが。

「あね…き、は?」
「まだ戻らない」

 途切れ途切れの弱々しい声。
 こんな声は聞いたことがないなと思いつつ、幻海は答える。
 数日前に出かけて行った喜雨はまだ戻っていない。
 どこへ行ったのかも分からない。
 連絡を取ることは可能だが、果たして間に合うかどうか――――
 そんな不安がよぎるが、それもすぐに玄関から聞こえてきた声とその様子に、どこかへ行ってしまった。
「どうしたんだい!?」
 聞こえてきた声は、今日来るはずの子供のもの。
 数日前に子供の母親から連絡があり、今日の予定を聞かれたのだ。特に大した用事もないと答えた幻海に、では今日顔を見せると言った里美。
 声の調子から大体のことは察したものの、驚かせようとしていることが分かったのでそれに乗ったのだ。
 嬉しいことなのだから、それくらいはいいだろうと思って。
 が、そのおめでたい報告が聞けると思ったのに、聞こえてきたのは子供の泣きそうな声。
 それから何故か感じる嫌な予感。
 それらのせいで急に不安になって玄関へと向かえば、ぐったりした様子の里美と雪子。そしてその二人の夫と里美と政人の子である憲人。

「急に乗っていた車が横転して……!!」

 悟の一言で、里美たちがどういう状態なのかを悟った。
 気を探れば確かに彼女達のおなかに子がいる――――。
 その子達が、どういう状況なのかも分かってしまった。
 中へと連れて行きながら、幻海は思案した。
 どうすればいいのか、と。

(あたしでも出来ないことはあるよ……)

 それが今このときほど悔しかったことはない。





「慈雨…………」
 縁側の部屋に来た時、外に慈雨と寒凪が倒れていることに憲人は目を見張った。
 政人や悟は二人の流す血の多さに愕然とした。
 普段からはとても考えられない、どちらも見たことのない状態に、恐怖を覚えずにはいられないようだ。
 里美や雪子を気にかけながら、慈雨たちへも不安げな視線を向ける。
 ただひとり、幻海だけはこの四人への処置をどうするか悩んでいた。
 とは言っても、先ほど本人達に話したとおり、慈雨と寒凪はどうすることも出来ない。
 この状態では、喜雨しか彼らを助けることは出来ないだろう。
 そして、と視線を里美たちに向ける。
 この二人と、その中にいる子供達。
 里美や雪子はどうとでも出来る。彼女達にはそれ程のダメージは今のところない。
 けれど……と考えたところで、胎児の状況は表情を暗くする。
 子が出来たと喜びを伝えに来た彼女達に、こんな宣告をしなければいけないのかと……。
「喜雨…………」

「何があったのじゃ」

 幻海が小さく、現状を打破できるであろう唯一の名を口にすると同時に、感情のこもらない声が聞こえた。
「喜雨ちゃんっ!」
 続いたのは既に泣いている憲人の声だ。
「特防……隊にやられた」
「きゅうにね、くるまがたおれたのっ」
 途切れ途切れの慈雨と、涙声の憲人。
 それに頷き、喜雨は慈雨と寒凪に手をかざす……が、すぐに里美と雪子の元へと向かった。
 そしてすぐに口を開いた。辛そうに自身を見上げる里美と雪子に向かって。

「里美、雪子。そなた達の子は、一人ずつ既に魂が宿ってはおらぬ」

「え……」
「……そん……」
 気を使うことも、言いにくそうにすることもなくきっぱりとしたその声に、里美たちはもちろん、幻海や慈雨も息を呑んだ。
 ショックを受けた全員を気にかけることなく、淡々と喜雨は続ける。
「早く対処せねば、雪子は残りの子供も危うい。里美は、そなた自身の命にも関わる」
「っ…………」
 それだけを言うと、喜雨は再び慈雨たちの元へ行く。
「慈雨、寒凪。――――――その身体はもう使えぬ。……いや、使えるようになるまで時間がかかる。傷を塞いだとしても、結局そなた達の死は免れない」
 告げられたそれに幻海は息を呑んだ。
 けれどそんなことは分かっていたのだろう。
 慈雨は辛そうにしながらも微かに笑った。
「やっ……ぱりな」
 そんなことだろうと思ったと続いた言葉に周りの空気が沈む。

「喜雨……ちゃん」

 長い時間がたったようで、実際はすぐのことだろう。
 雪子が喜雨の名を呼んだ。
「……」
 返事の代わりに静かに雪子に近づくと、その場にひざをついた喜雨の着物の裾を握り締めながら、雪子は言う。
「もう……死んじゃったの? 助けることは、出来ないの?」
「是」
 涙を堪える雪子に、喜雨は遠慮をすることはなかった。
 喜雨はこういう命の関わることに対して、遠まわしな言い方をすることはなかった。
 いずれ知られるのなら、隠していても仕方がないだろうというのがその根底にある考え。
 結局、どうやっても悲しみが訪れるのなら今でもいいだろう。そんな考えの下に発せられた言葉に、雪子は微かに瞳を揺らす。けれど、すぐにとんでもないことを言い始めた。
「そして……慈雨達も助からないのよね? 今のままじゃ」
「ああ」
 弟や、恋人の命も危ないと言うのに感情のゆれのない声。
 けれど生まれたときからの付き合いで、雪子には何となく喜雨が悲しみの感情を表に出さないようにしていることに気付いた。
 だからこそ、雪子はせめて助かるのならと口にする。

「じゃあ……死んでしまった子の身体……使えない?」

「雪子……?」
「何を言って――――」
 夫や親友の夫の声が聞こえる。けれどそれを無視して雪子はじっと喜雨を見つめた。
 魂が既に宿っていないと言うことは、その子の身体が死んでしまったことを意味する。そこから別の魂がその身体に宿っても、生きれるわけが――成長するわけがない。
 けれど、と雪子は思う。

 もしかしたら、喜雨ならどうにかできるのではないかと。

 命を己の意志で作り出すことは出来ないと、昔懐いていた野良猫が死んだとき悲しむ雪子に喜雨は言った。
 けれど現状では命は――――魂はある。
 外に倒れているであろう慈雨たちは、身体が喜雨ですらどうすることも出来ない状態にあるから死んでしまうのだ。
 それなら、喜雨が手を施せる身体なら?
 慈雨たちのような攻撃を受けたわけではない。
 実際は特防隊の攻撃のせいでこんな事態になったのだが、そのことを雪子たちはまだ知らない。
 その状態での提案に、喜雨の瞳が揺れたように雪子には見えた。
 それに何故か、ああおなかの子の身体は喜雨がどうにかできる状態なんだと、理由もなく思った。
 ――――喜雨が、弟や恋人を助けるためにそうしたいのだということも。
 けれど、返ってきた言葉に雪子は戸惑う。
「出来るわけがなかろう?」
 そのようなこと……許されるはずがない。
 その言葉の表す感覚を、喜雨が持っているはずはないと耳にしながら雪子は思う。
 きっと他の者もそう思っただろう。
 けれどそれ以上何も言わずに首を振る喜雨に、今度は里美が口を開く。
「私からもお願い……もう、この子の魂が戻ってこないのなら……必要としてくれるなら、使ってくれたほうがいい。それに、妖気からの影響をないようにすることも出来るでしょう?」
 さすがに長年妖怪が近くにいる環境ですごしていただけのことはある。
 そういうことを知っている里美たちは、喜雨がその妖気からの影響を里美たちに与えないようにすることも可能だと言うことも知っている。
 雪子と里美。自身のことを知っている両方に言われては、反論する気が起きない。
 それならばとその夫達に目を向ければ、悲しみを瞳に宿しながら、それでもしっかりと頷いていた。
「いい、よ」
「せめて二人が助かるなら……」
 自分達の子は死んでしまった。
 けれどせめて助かる命は……助かる魂があるのなら、助かって欲しい。
 そんな思いで頷いた二人に、最後の頼みとばかりに幻海を見る喜雨。
 けれど幻海は頷いて――――

「里美たちがいいと言うなら、構わないだろう」

 あたしが関知するところじゃないよ。
  
 そこまで言われてしまえば、更に拒否することは出来ない。
 本心ではそうなることを望んでいる喜雨は、ため息をついたあと、表情を変えて言う。

「ありがとう……」



 それから喜雨は、寝かせた里美と雪子のおなかの上に手をかざした。
 そして――――その中に力を送る。
 言葉を発することはなかった。
 口が動くこともなかったために、周囲は何をどうやってしているのか判断がつかない。
 けれど何かが起こっているのはぼうっと光り始めた里美たちの腹部からわかる。

 どれだけ時がたっただろうか。

 ごほりと喜雨の後ろで咳き込む音が聞こえたかと思うと、憲人の視線の先で慈雨と寒凪、二人が動かなくなった。
 そして――――その身体からそれぞれ淡い光の玉のようなもの――――魂が浮かび上がってくる。
「慈雨、寒凪」
 と、今まで黙っていた喜雨が仲間の名を呼ぶ。
 するとその二つの魂は、その声に導かれるようにゆっくりと喜雨へと近付き……そして里美と雪子、それぞれの腹部の上で止まる。
 そして喜雨の手に導かれるようにゆっくりと里美たちの中に入っていった。



「慈雨は里美と政人の、寒凪は雪子と悟の子となる」
 全てが終わった後、里美たちの顔色が良くなり、起き上がれるようになってから喜雨は言う。
 里美たちは流産していない、となった今、生んだ後に子は産んでいないとすることは出来ない。
 出産はその特殊性から喜雨が立ち会うにしても、慈雨と寒凪を人間としていなかったことにすることは今の日本では不可能だ。
 だから二人は妖怪でありながら人間として生きなければならない。
 そう説明する喜雨に里美たちはもちろんだと理解を示た。
「では……我は用事があるから出かける」
 小さく息を吐いて言う喜雨に、納得しても不安定な精神状態だから側にいて欲しいとは言わなかった。

 喜雨の用事が何か、慈雨の言葉を思い出せばすぐに分かることだからだ。



 喜雨が出かけるのを見送った後、里美たちは縁側に座っていた。
 そして里美と雪子、どちらからともなく呟いた。


「…………ごめんね」
「身体ごと送ってあげない私たちで――――」


 ごめんね。

– END –

Posted by 五嶋藤子