45. 繋

 幻海の所有する森の中に入った喜雨は、視線の先に見知った人物が立っているのを目にした。
 その表情は厳しく、しかし辛そうな表情をしている。
「コエンマ」
 けれど喜雨に気付いているにもかかわらず何も言ってこないコエンマに、喜雨のほうから声をかける。
 次いで、そのコエンマの周囲に浮いている二つの魂に視線を移し、気付いていることを暗に知らせる。
「すま……ない」
「こちらの命は結局助かった。その言葉を言うのは我ではなく、里美や雪子…政人や悟にではないのか?」
 それに――――

「一番は、死んでしまった子達にこそ言うべきじゃろう?」

 その、死んでしまった子達の魂はゆっくりと喜雨に近付いてくる。
『ぼくたちはべつに……』
『だいじょうぶだよ?』
 幼い言葉が聞こえる。
 それは音としてではなく、喜雨の頭に響く言葉。それに対しコエンマが何も言わないことから、コエンマにはこの声は聞こえていないのだろう。
 その事実に喜雨は生まれるはずだった子達の力の強さを思い知る。
(だからこそ、慈雨たちが憑依出来たのか)

 誰にでも憑依出来るわけではない。
 魂と肉体が適合するかどうかが問題だ。魂、もしくは肉体が拒絶反応を示す場合もある。むしろそちらのほうが多い。
 慈雨たちが憑依出来たということは、魂と肉体が適合したと言うことだが……慈雨や寒凪のように強い妖怪の魂を受け入れるだけの力をその肉体はもっていたことになる。
 つまり――――元々の魂も、力を持っていたということだ。
 そうでなければ強い肉体である必要はない。
 霊気や妖気に関して言えば、そうでなければ敵に襲われる前に自身の肉体を傷つけ、生きてはいけない。
 この子達の場合、肉体が魂を保持出来ないほどの傷ついてしまった。
 そのために“死んでしまった”。
 それを喜雨が修復し、慈雨たちが憑依した。
 修復した肉体に本来の持ち主の魂を戻せないのは、その場に本来の持ち主である子達の魂がいなかったからではなく、一度死んで抜け出てしまった魂は二度と元の肉体には戻れないからだ。
 そのため喜雨は慈雨たちの本来の肉体を、魂を保持できなくなる前――つまり死ぬ前に回収し、現在修復中である。

『そんなに簡単に済ませることの出来るものではない』
『でも……』
『ふたりのいのちはたすかったよ?』
「……何事もなければ、どの命も失われることはなかった」

 人間に危害を加えたことのない慈雨たちの命が危険にさらされることも、二人の人間の命が失われることも。

 無表情に言う言葉は、コエンマに伝えると同時に死んでしまった子達に対しても。
「あのような特防隊隊員がおらねば……きちんと指令された時のみ妖怪を襲うものしか任命しなければ、こんなことは起こらなかった」

 妖怪を悪と考え、妖怪であれば無差別に殺してよいと考える者を任命しなければ――――

「すまない」
「言ったろう、コエンマ。我に言っても仕方のないことじゃ」
 ここにいるくらいなら里美たちの元へ行け。
 けれど喜雨の考えたとおり、コエンマは一歩も動こうとはしない。
 当然だ。
 未だどうしてこんなことになったのかを知らない里美たちに、説明と謝罪をしにいく気力はわいてはこないだろう。
 けれど、それでいいかと問われればすぐに否定する。
 それを許すつもりは喜雨にはなかった。
 人間を守るためと言う大義名分で妖怪を殺そうとしていたのに、実際はその妖怪は助かり人間が死んだ。
 皮肉なものだ、と喜雨は嗤う。
 慈雨たちを襲い、今ここにいる子たちの命を奪った特防隊隊員は、戻ったと同時に閻魔によって消滅させられただろう。死んで、次の場に行くことも許されず、生まれ変わるために必要なことは何もされず。
 裁かれることも、批判されることもなく。
 それに対して何故だと声を大にすることはしない。
 当然だと言う思いが喜雨にはある。
 そしてそのほうが都合がいいとも……。
 今回のことを隠したい閻魔。そしてコエンマ。
 ならばこれから喜雨が行おうとしていることに対して、止められる者はいない。

(里美たちはどう思うだろうな)

 言えば、困った表情をするだろう。
 それだけは分かる。
 けれど、それ以上は想像がつかなかった。
(喜ぶか怒るか。どちらも想像できるだけに、言えないのだ)
 元々言う気はないが。
 それでもこの子達の親だ。一言言うべきかと考えてしまう。
(それでも……結局は元通りになるわけではない)
 それなら言っても言わなくても一緒か。
 そう思った喜雨は、コエンマをまっすぐに見て言った。
「それでもなお、我に謝るのであれば……これから我のすることを止めるでないよ」
「なに…………」
 何をする気だと、顔を上げたコエンマに喜雨はうっすら笑みを浮かべた。
「隠したいのであろう? これが霊界で公になれば責任を問われる」

 が、それで監視がゆるくなることはなかろう。

「意識を変えようという気がないからのう」
「…………だから、黙って見ていろと?」
「別に霊界に殴り込みをかけようとしているわけではない。まあ……少々そなたか閻魔に動いてもらうかもしれぬが、難しいことではない」
 多少の後ろめたさは生まれるじゃろうが。
 口には出さず、心にだけとどめた喜雨は、側にいる二つの魂を己の側に引き寄せる。
「何をする気だ」
 コエンマの戸惑った声に笑うと、喜雨は言う。
「気付いたのではないか? ……この魂を、霊界へは行かせぬ」
「待て! それは……」
「おぬし達、霊界人が引き起こしたことだ。――――人間界を、人間を守るというヒトを見下した大義名分を掲げるおぬし達の」
「っ……」
『なにするの?』
『気にするな』
『でも……』
 コエンマの様子に戸惑いの色を乗せながら尋ねる子達に、大したことではないと喜雨は答える。
 そう、大したことではない――――今回の件はなかったことにさせるだけだ。
『ついておいで』
『う、うん……』
『……わかった。けど……』
 それでも戸惑いを残しながら、子達は喜雨についてその場を離れた。


 それからコエンマがその子達の魂を見ることはなかった。

◇◆◇

「喜雨」
「なんじゃ、コエンマか」
「…………分かっていただろうが」
 幻海の寺の縁側に座って庭を眺めていた喜雨に、コエンマはため息をつきながら言う。
 そして移した視線の先では四歳くらいの男の子がひとり遊んでいた。
「慈雨たちはどうした」
 遊んでいるのは慈雨の弟だ。人間の。
 そしてその魂は――――死んでしまった憲司と名づけられるはずだった子供。
「慈雨たちは学校じゃ」
「そうか……」
 ため息をつきながら喜雨の隣に座ったコエンマは、ここ数年気になっていたことを尋ねた。
「もうひとりはどこへやった」
 あの時死んだのは目の前の子供だけではない。
 もうひとり――――今は寒凪の人間名となっている俊哉の名を与えられるはずだった子供がいる。
 目の前の子供――憲吾が生まれて数ヶ月。ここへ連れてこられた憲吾をたまたま来ていたコエンマは、見た瞬間にその魂があの事件で死んでしまった子供だと理解した。
 あれから三年以上が過ぎていた。
 その間に母親達は子を産むことなく……それどころか雪子は子を産めなくなっていた。
 けれど里美はあの時死んだ子を産んだ。
 それなら残ってしまったあの子供はどうしたのだと、思いながらも喜雨に聞けないまま時間が過ぎていた。

「ちゃんと生きておる」

 ようやく聞けたことの答えは簡単なものだった。
「だが、雪子は子を産めなくなった。兄弟にも……同じくらいの子はいない」
 ちゃんと調べたんだぞと、言うコエンマに、喜雨は笑みを浮かべた。
「ああ、そうじゃな」
「なら誰が産んだ? お前のことだ、雪子の身内の中で選ぶと思ったぞ」
「もちろん、そのつもりじゃった。……だが、誰も産める者がいなかった。ならば別に探すしかなかろう」
「ではどこに」
「言わぬ」
「…………喜雨」
「言って何になる」
「気になる」
「ならば言わずともよかろう。言って何が出来るわけでもない」
「…………」
 淡々とやり取りをしている喜雨たちの声が聞こえたのか、憲吾はパタパタと駆け寄ってきた。
「喜雨ちゃん?」
 首を傾げる憲吾に、喜雨は首を振る。
「そろそろ三時じゃな。菓子を用意するから手を洗っておいで」
「はーい」
 そう言って駆けて行った子の背中を見送り、喜雨は立ち上がる。
「教えぬよ、コエンマ。あの子はあの子で幸せに暮らしている。声をかけないとしても、どこかでそなたは雪子たちに口を滑らせてしまうかもしれない。それを我は望まぬ。どちらも……特に雪子はようやくあの件を乗り越えたばかり。そこに惑わすようなことは知らせたくない」
「それでも……こうなったことにはこちらも責任が――――――」
「そう思うならコエンマ、何も言わないことが責任の取り方じゃ」
 実際、閻魔は何も言ってこない。
 内心で何を思っているか分からないが、それでも責任を追及されれば弱い立場に立つことになる。それを良しとしなかった閻魔は、今なお口を閉じたまま……。賢明なことだと思う。霊界の統治者としては失格だろう。けれど、喜雨の力を考えれば結局霊界のためなのだから許されるだろう。誰しも自分が一番可愛いのだから。
 そう言うと、コエンマの次の言葉も待たずに喜雨はその場を離れていった。
 残されたコエンマは……落ち込んだ表情をしながら呟いた。

「それでも……何も知らされなければ気になるだろう? 寒凪ほどの魂を宿して、それでも肉体に負担になってはいない。そこに本来宿っているはずだった魂は、どれだけの力を持っているかと――――――」

 それが嫌だから……一度霊界のせいで死なせてしまったから、二度と霊界が関わらないようにしたいんだろうけどな。

 ため息をつき、コエンマは仕事が山積みの霊界へ戻っていった。
 喜雨の耳がいいことを忘れたまま。



「当然じゃ。――――――憲吾も、あの子も……誰も霊界探偵にはさせぬよ」

 それが、里美たちの望みでもあるのだから。

 誰にも聞かれないように、喜雨は呟く。
 最終的に、里美たちはあの出来事の原因が何であるか、喜雨に聞き出していた。
 喜雨も聞かれれば教えることにためらいはなかった。
 話しても、里美たちは慈雨と寒凪を責めることはないと分かっていたから。
 責めるべきはあの特防隊隊員と、それを管理する霊界。
 コエンマが霊界での地位が高いことを知っていて、ちょくちょく自分の子達と会うことは認めても、それ以上は拒否した。
 何を望んでいるか知っていて、それを認めることはしなかった。
 コエンマに管理責任はない。
 あるのは直接任命権のある閻魔大王だ。
 それを理解してなお残る怨みをコエンマにぶつけようとする自分達を、そうすることで何とか抑えようとしている。
 それぞれの子が、霊界探偵になれる力を持っていると知ってからは更に。
 それを理解していた喜雨だから、里美たちの願いを聞いた。
 霊界の……コエンマの考えていることに関わらないようにしてきた慈雨も寒凪もそれを望んだ。
 だからこそ喜雨は、今でも見張っているのだ。
 今は霊界探偵となる素質を一番持っている憲吾と、本来とは違う母から生まれた……それでも幸せに生きる子に妖怪の手も、霊界の手も伸びないように――――


 喜雨の側であのときの子供の一人である憲吾は、黙々とスプーンでゼリーをすくって口に運んでいた。
(憲吾もあの子も、何も覚えてはいない。だからこそ、これ以上霊界が手を出してくることは許さぬ)
 憲吾の頭を撫でながら喜雨は思った。

 あんなことは二度とごめんじゃ――――と。

– END –

Posted by 五嶋藤子